第2話 人形の住処
「私は野暮用がありまして。お構いできませんが、どうぞご自由に」
そう言って町長が行ってしまったので、私たちは渡された鍵で中へ入った。身長一メートルの人形を抱いたままだけど、服で隠れる部分はほぼ空洞で、見た目ほど重くない。
時計台は町役場とは独立した建物で、一階部分には小学校の教室くらいの大部屋がある。真白は中を見渡すと、小さく肩をすくめて言った。
「なるほど、資料室ですね。郷土史と甘楽スミヱの個人史がごっちゃになってますけど」
等間隔に並んだ棚には町の歴史に関する本がたくさん。その中には甘楽スミヱの作品集や、個人的な持ち物だったらしいスケッチブックも交ざっていた。かわいい表紙の雑記帳が目に留まり、手に取るとページの一枚がひらりと舞った。床に落ちる寸前に指先でつかまえる。
高校生くらいの少女を描いた鉛筆画だ。サインはスミヱ、日付は昭和ひとケタ——ということは、モデルの学生とスミヱさんは同世代か。
「ん?」
私は少女の顔をじっと見つめた。そんな私の袖を、横から真白がちょいちょいと引いた。
「何、真白?」
「いえ……そのムカつく木偶を助けるのは不本意なんですけど」
「仮にも天女をムカつく木偶とか言うなよ」
「さっきからそいつ暴れてるんで、いい加減気づいてやってください」
気づいてないわけじゃなかったけど、まだ資料室を見ていたかったので見ないフリをしていたのだ。だけど人形は私の腕の中でジタバタし、上を指さしながら腕をカタカタ振っている。これ以上無視したらまたロケットになって、天井を突き破っていきそうだ。
「わかった、わかった。行ってみよっか」
階段を目指して歩きながら、私は雑記帳にはさまっていた鉛筆画をひっくり返した。そこには流れるような一筆が書かれていた。
〈天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ〉
古びた階段は不穏にきしむ。手すりを頼りに上っていくと、じっとたたずむ鉄の塊が見えてきた。
二階と三階は時計を動かすための機械室だ。歯車が複雑に組み合わさったこの装置が塔の心臓。一階と違い二階以降は、装置ひとつで圧迫感があるほど狭い。
「外からだと、もっと広い塔に見えたけど。あ、私たちのいる階段分の広さか」
「まあ究極、時計を動かすためだけの建物ですから」
時計が動いているときには規則正しい金属音が空間を支配していたんだろう。修理が終わるまで、七十年ぶりの静寂が小部屋を満たしている。
人形は機械なんか興味なさげだ。目指す場所はまだ先らしい。さらに上ると扉に行き当たる。ノブを回して押し開けた一瞬、私と真白は声を失った。
「これは……ドールハウスですかね」
「そう呼ぶには和風だけど、ドールのための部屋ではあるね」
塔全体の中ではちょうど文字盤のすぐ下に当たり、階段の反対側の壁には、天女人形が毎時間外に出るための二枚扉がある。息をのむほど驚いたのは階段と扉の間の空間が、平安貴族の屋敷みたいにしつらえられていたことだ。
わずかに開いた扉から吹き込む風が几帳に垂れる絹布を揺らす。
「まさかそいつ、ここで『生活』してたわけじゃないですよね?」
「人形が畳で寝起きしてたら可愛いけどね。ホコリが積もってるから、形だけだと思うよ」
畳の上に指を這わせて、ふうっとホコリを吹き飛ばす。
自分で言いながら、あれ、と思う。ずっとほったらかしだったにしちゃ畳の上にへこみがある。もしかしたらたまには誰かが訪ねて、ここに座ることがあったのかもしれない。客人の膝が乗る辺りを触って確かめようとして、
「――あっ」
緩んだ腕の隙間から、人形が抜け出し、走り出した。
止める間もない。焼け焦げた袖をたなびかせ、突進で高坏をひっくり返す。小さな体が突き当たりの扉に体当たりすると日光が小部屋になだれこみ、目を焼かれる寸前に私は天女が空へ舞うのを見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます