夏神世舞
栗原 愛里
夏神世舞
「誰だよ、男気ジャンケンなんて考えたヤツ。まじで許さん」
道端の雑草を蹴飛ばすと、数匹のバッタが跳ねた。
「高3の代表が舞を踊るっていう伝統なんて意味わからんし」
紗世が住まう田舎のこの村では毎年、夏祭りで高校3年生の1人が舞を舞うのが伝統だった。ちなみに男女は関係ない。しかし、選ばれた1人は夏休み中ほぼ毎日山の上の神社へ練習のため通わねばならない。よって、誰もやりたがらない。同級生12人での本気のじゃんけん大会の結果、紗世が見事優勝し、今年の代表に決まったのだ。
「そもそも、なんで夏祭りで舞をしなきゃいけないわけ」
祭りが3日後にせまった今日の練習はいつもより長く、6時をまわった外はすでにうす暗くなり始めていた。街灯のない山道はどことなく怖い。だんだんとあたりを支配する闇から逃げるように坂道を下っていると、
「あれ」
ふと紗世の足が止まる。
「こんなとこに神社なんてあったっけ」
何度も通ったはずの坂道の半ば、灯篭に照らされた道が山の中に続いていた。奥には連なる鳥居が見える。
「今まで電気がついてなかったから気づかなかっただけ、とか。いや、さすがにこの道に気づかないことはないか」
不気味だとは思いつつも、好奇心が勝ってしまった。まだ門限の7時までは時間がある。紗世は道に足を踏み入れてしまった。
鳥居までたどり着くと右側に神社の建物が見えた。白い塗装がほとんど剥げてしまっている。もとは、真っ白な美しい祠だったのだろう。そんなに大きくない、紗世の背丈ほどの祠。どうせならお参りして帰ろうと鳥居の間から参道に入る。入った途端、さっきまでうるさいほど鳴っていた蝉の声が少しも聞こえなくなったことに紗世は気づかない。
5円を賽銭箱に投げ入れ、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。さあ帰ろうとしたとき、祠のわきににある地蔵に気づいた。後ろに立札で説明書きがついている。
『身代わり大黒様』
病気やけがなどで、身体が病むとき、身分の病むところをさすり、その手で大黒様の同じところをさすると、病は大黒様が代わってくれると伝えられて居ります。
「身代わり」
その言葉がひどく恐ろしく思えた。
チリーン
耳元で音がした。びっくりして振り返ると、すぐそこに風鈴があった。暗くて気づかなかったが、鳥居の3つに1つくらいの間隔で風鈴が吊るしてある。さっきまで静かだった空間が、急に風鈴の音で満ちる。
チリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーンチリーン
ここにいてはいけない。紗世は祠に背を向け足早に歩きだした。ところが、しばらく歩いても入ってきたはずの鳥居の隙間が見当たらない。それどころか鳥居がどこまでも続いているように見えた。
「あれ、通り過ぎたかな」
振り返って動きをとめる。参道の真ん中に着物を身に着けた五歳ほどの男の子がいた。泣いていて下を向いているため、顔は見えない。気味が悪いが、さすがに子供が泣いてるのを無視するわけにはいかない。
「どうしt」
紗世の言葉はそこで止まった。祠の背後の暗闇から同じく着物を着た女の人が現れたからだ。髪も肌も異様に白い、美しい女の人だった。その人が男の子に近づく。
「いたいよ。たすけて」
「大丈夫。もう少しだから」
女の人が男の子を抱き上げ、祠のほうへ帰っていく。女の人の肩から覗く男の子と目が合った。女の人の髪とは対照的な真っ黒な瞳だった。目が合った瞬間男の子が笑った気がして、紗世の意識は遠のいた。
気づくとあたりは明るかった。
「え、うち何時間寝てた」
声を出そうとして驚く。声が出ない。体も動かせない。見えるのは連なった鳥居のみ。しばらくたつと向こう側から3人ほど人がやってくるのが見えた。着物みたいな服を着ている。3人は紗世の前に来ると手を合わせて祈り始めた。
「大黒様、大黒様。どうか娘の病気を治してくださいませ。」
3人のうち一番幼い女の子が自分の胸を触り、その手で紗世の胸に触れた。途端に、息苦しくなる。
「お父さん、苦しくなくなった」
「そうか、よかった。大黒様、本当にありがとうございます」
3人は満足そうに帰っていく。
そのあともけがをした人や病気の人がつぎつぎとやってきては、自分の体の悪いところに触れその手で紗世に触れていく。そのたびに、痛みや苦しみが紗世を襲う。何度か繰り返すうちに、自分が祠のわきの石造、大黒様になっているのだとなんとなく理解した。また、人がやってくる。その男の人には右腕がなかった。
「戦争で腕を失ってしまいました。今も痛くてたまりません。どうか、この痛みを和らげてください」
男の人が泣きながらない腕をさする。
「ちょっと待って。それはさすがに」
紗世の声にならない声は誰にも届かない。男の人の左腕が紗世に触れた瞬間、あまりの痛さに紗世は再び意識を失った。
ドン
太鼓の音で気がついた。夜だというのにあたりは提灯で照らされ、屋台が所狭しと並んでいる。広場の真ん中にはやぐらが立ち、周りをたくさんの人が取り囲んでいる。みんなが着ているもの以外は、紗世の知っている村の夏祭りそのものだった。
「舞が始まるぞ」
誰かが叫んだ。やぐらの上に巫女装束に身を包んだ女の人が現れる。手には鈴をもち、仮面をつけている。それは、今紗世が練習している舞の格好だった。太鼓と笛に合わせて、舞が始まる。その鈴がなるたびに紗世が感じていた体の痛みが消えていく気がした。
気づけば、もとの神社の参道に戻っていた。男の子も女の人も消えていて、紗世は鳥居の隙間のわきに立っていた。時間は6時半を少し過ぎたところ。
「やばい、門限すぎる」
紗世はあわてて走り出す。鳥居の隙間から出た瞬間、蝉の声が紗世を包む。そのことに紗世は気づかない。紗世が気づいたのは、舞のもつ意味だけだった。
夏神世舞 栗原 愛里 @kuriharaairi
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