第五章:そのプロジェクトは、見積書との睨み合いから始まった。

会場と、許可が下りた。だが、本当の地獄は、ここからだった。


「……古賀さん。これ、なんですか。この、ゼロの数は」


 真央は、中村蝋燭店の四代目と名乗る、頑固そうな職人から送られてきた見積書を見て、震えていた。手作りの高級和蝋燭百本。その値段は、真央の年収の、約半分だった。


「だから言ったろ。本物は、高いんだよ」


「で、でも、こんなの、経理が、絶対に通してくれません!」


「だろうな。だから、これから、この爺さんを口説き落としに行くんだよ」


 彼らは、新幹線に乗り、人里離れた山奥にある、蝋燭工房へと向かった。四代目は、彼らの顔を見るなり、こう言った。


「あんたらみたいな、イベント屋に、うちの蝋燭は売れん」


「なっ……!」


「うちの蝋燭にはな、魂がこもってんだ。百の物語の、最後の灯火を、お遊びで灯してもらっちゃ、困るんでい」


 そこから、古賀の、意外なプレゼンが始まった。彼は、この百物語が、単なるイベントではないこと。失われゆく日本の伝統文化を、現代に蘇らせる、意義深いプロジェクトであることを、無骨な言葉で、しかし、熱っぽく語った。その姿は、いつもの鬼の古賀さんではなく、仕事を愛する、一人のベテラン職人のようだった。


 四代目の職人は、黙って、その話を最後まで聞くと、ふっと、笑った。


「……気に入った。半値で、いい。その代わり、最高の蝋燭を作ってやる。一本の蝋燭が消える時間が、きっかり、五分になるように、調整してやらあ」


 こうして、最大の懸案だった蝋燭問題は、古賀の意外な人情味によって、解決された。


 残るは、百の怪談と、その語り手だ。


 これもまた、困難を極めた。怪談作家や、民俗学の教授、果ては、話術を学ぶために、落語家にまで、頭を下げて回った。


 全ての準備が、終わった。


 イベント開催、前夜。


 真央は、ホワイトボードに、完璧なタイムテーブルを書き出していた。


「……古賀さん! 見てください! これで、完璧です!」


【百物語プロジェクト・進行タイムテーブル】

20:00 開会

20:05 1話目開始

20:08 2話目開始

……(中略)……

03:50 99話目終了

3:53 100話目開始

03:56 100話目終了

04:00 閉会


 そこには、1話3分、話の入れ替え2分として計算された、緻密なスケジュールが、びっしりと書き込まれていた。


 古賀は、その完璧なタイムテーブルを、腕組みをしながら、じっと見ていた。そして、一言、真顔で、こう呟いた。


「……なあ、桜味」


「はい!」


「トイレ休憩は、どこだ?」


 真央は、ホワイトボードと、古賀の顔を、交互に見た。


 そして、血の気が引いていくのを感じた。


 八時間、ノンストップ。出入り禁止。


 トイレ休憩が、ない。


「……あ」


 プロジェクト最大の危機は、怪異でも、炎上でもなく、極めて、人間的な問題だった。

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