第三章:そのプロジェクトは、想定外の連続から始まった。
海善寺の住職、田所さん(92歳)は、真央が想像していた「お寺の偉い人」とは、だいぶ趣が異なっていた。縁側で日向ぼっこをしながら、煎餅をかじっている姿は、どちらかというと、真央の田舎の祖父にそっくりだった。
「――というわけでして、当社の新規事業の一環として、こちらの本堂をお借りしたく……」
真央が、練習してきた完璧な営業トークを繰り出す。隣では、鬼の形相の古賀が、A4サイズの企画書を見開きで広げている。
「……ほう」
田所住職は、煎餅をかじる手を止め、ゆっくりとこちらを見た。耳が遠いのか、反応が薄い。
「つきましては、会場利用料として、当社規定のフィーをお支払いし……」
「……要するに、だ」
真央の言葉を遮り、古賀が、住職にも聞こえる大きな声で言った。
「じいさん、この本堂で、一晩中、火を焚かせろ。そういうこった」
「古賀さん! なんて言い方を!」
「こっちの方が、早えだろ」
すると、田所住職は、にこりと、穏やかに笑った。
「ああ、そういうことかね。いいですよ」
「えっ!?」
あまりにあっさりとした承諾に、真央は拍子抜けした。
「ほ、本当によろしいのですか!? 百本の和蝋燭を、畳の上で……」
「うん。畳は、まあ、張り替えりゃええし」
「一晩中、人の出入りを禁じて、百の怪談を語り続けるのですよ!?」
「うん。夜は、まあ、ヒマじゃし」
「お、お化けとか、出たら……」
「うん。出たら、まあ、その時は、その時じゃな」
真央は、この住職の「想定」の範囲が、宇宙のように広大であることに、畏敬の念を抱いた。
ただ、一つだけ、住職は、譲れない条件を出した。
「……蝋が垂れて、床が汚れるのは、かなわんのう」
「はあ」
「イベントが終わったら、本堂の床、三百畳。全部、米ぬかで、手で、磨いていってくだされ。そうすりゃ、貸してあげます」
かくして、最初の関門は、「イベント後の、全員参加の、地獄の床磨き」という、企画書にはないタスクを追加することで、なんとか突破された。
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