Chapter. 003: To Keep a Stiff Upper Lip

Sec. 06: To Keep a Stiff Upper Lip - 01

 闇のなか、水の滴り落ちる音で目を覚ます。


 レイはこれが夢であることをすぐに悟った。暗く、何も見えず、自分が存在するという感覚すら、ない。荒唐無稽さは、普段見るような取り止めのない夢と同じだった。


 だが、何かが違う。


 いつまで経っても、景色がない。ただ鼓膜を打つ不快な静寂と、動かない体だけがある。


 ——違う。これは、視界を塞がれているのだ。

 そう理解した瞬間、空気の冷たさが肌を撫で、誰かの息が浅く乱れているのが聞こえてきた。すぐ近くで何度も繰り返される、荒く、細い呼吸。これが夢でないとしたら、クロフォードと感覚を共有しているということになる。レイは場所の手がかりを得ようとしてもがいたが、体は少しも動かなかった。


 自分のものではない肺が、震えている。腕は後ろ手に、脚は椅子の脚に縛られており、縄が食い込んでいる感覚がある。痛みだけは、なかった。身体の中に入り込んでいるわけではないようだ。


 誰かの足音が近づく。コツコツという音。革靴か、パンプスか。何かを引きずるような重たい音もしている。椅子なのか、別の器具か、レイには判別できなかった。ただ誰かがそこにいて、この場と、クロフォードの生殺与奪を、支配している。


「……はは」クロフォードは乾いた笑い声をこぼす。「手際が、悪いな……」


 すぐさま、頬に鋭い衝撃が走る。拳か、平手か。頭が横に跳ねた。口の中を切ったのか、口元を伝う血の感触があった。レイに痛みはなかったが、クロフォードはわずかに呻く。


 次いで、腹部に同じような衝撃。殴られたのだ。膝が反射的に跳ね上がろうとするが、縛られたままの脚は動かなかった。


「っ、あ……ッ」


 クロフォードは低く呻いて、浅く息を吸う。何も見えないからこそ、聞こえる音が生々しくレイの耳朶を打つ。呼吸はひどく不規則になり、顎から滴った血が、鎖骨に落ちる。その感覚を追体験して、レイはクロフォードと同化しているはずの自分の心臓がうるさく騒ぎ始める錯覚を抱いていた。


「は、ぁ……ッ、何が、目的だ……」


 レイと感覚を共有しているからか、クロフォードは相手にそう問うた。情報を引き出そうとしてくれているに違いなかった。しかし、答えが返ってくることはない。かすかに聞こえる喉の音、細く濡れた呼吸、血の臭い、震えまいとするような、張り詰めた静けさ。それだけが、部屋に充満していた。


 冷たいガラスが唇に触れる。傾けられたらしく、水のような液体が唇を濡らした。クロフォードはきつく口を結んでいたが、頭を掴まれて上を向かされ、飲むように強制される。レイは自分の口が勝手に開く感覚、無味無臭の液体が喉を伝って流れ落ちていく感覚に、恐怖と嫌悪を覚えた。クロフォードは無理やり飲まされた液体に噎せ、激しく咳き込む。そのたびに殴られた場所が痛むのか、背を丸めるような動きをした。


「……何を、飲ませた……」


 返事はない。ただ見えざる指先が、クロフォードの胸元をなぞる。心臓の位置だった。


 魔素の揺らぎを感じる。魔術の行使。パンプスか革靴か、硬質な踵が床を叩く音。絨毯ではなく、フローリングのような。そして、冷たい金属がクロフォードの胸に侵入する。刃物だ。痛みに苦悶の声をあげる彼と、痙攣する肉体。


 ——レイが飛び起きたとき、手のひらにはじっとりと汗をかいていた。


 それから、無力感にベッドを殴りつけた。

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