Chapter. 002: The Menace from Pride

Sec. 03: Solomon's Children - 01

 生きた心地がしなかった。失敗してしまった手前、クロフォードの部屋を訪れることもできず、レイはただ漫然と参加者たちの発表を聞いて一日を過ごし、夜会にも出席せず、自分の部屋に閉じこもっていた。壁を殴るだけの度胸もないから枕を殴って、顔を埋めて叫んで、代わりにあれこれと考えてしまって。結局、うまく眠れなかった。


 翌日、眠い目をこすって会場に赴くと、聴衆がざわめいている。


 レイは藍鍾尤の姿を探したが、どこにもない。代わりにローマンを見つけて、彼の元へ歩いて行った。「あの、ロード。また何かあったんですか?」


「レイか。昨日、チェンバーズがいなくなっただろ。今朝もまた被害者だ」


「え?」ならば、やはり犯人はクロフォードではない。「先生は……?」


「クロフォードなら部屋にいるぜ。オレもアデラインに忠告したんだが、頑固だったな」


 ローマンは腕を組んで、不満そうに鼻を鳴らす。レイより年上のはずだが、まるでそう歳の変わらない学生のように見えた。ハウエルズはクロフォードを評価しているようだから、きっと彼が魔法使いであることを根拠に、拘留などいつでも抜け出せる、とか言ったのだろう。彼女にとって魔法使いとは、神にも等しい存在であるようだから。


「いなくなったのは誰ですか?」


「カーリー・エディソンって魔術師だ。本人は研究者じゃなくて、第七天のレストランで給仕をやってた。旦那のスチュアートに付き添って乗船したらしい」


「エディソン?」


 名前に、聞き覚えがある。レイは必死になって記憶を掘り起こし、その名を突きとめた——一日目に夕食を共にした、『仮想空間上に人間を再現する』という研究テーマの男だ。


 レイはカーリーの名前を書きとめ、ダークブロンドを捜した。「あそこだ」ローマンはすぐに誰を捜しているか察してくれたらしく、身をかがめてレイに耳打ちする。


 そちらに向かえば、彼がどれだけの悲しみのなかにいるか理解させられた。彼は腫れた目蓋や涙の痕、充血した瞳を隠そうともせず、発表会場の隅で虚空を見つめていた。


「ミスター・エディソン……」


 レイが遠慮がちに声をかければ、ゆっくりと瞬きをして視線を向けてくれる。


「君は、ミスター・シャーロックの……」


「レイ・カレンです。今回は……」


 カーリーが死んだかどうかも分かっていないから、ご愁傷さまでしたと言うこともできない。レイは目を伏せて言葉を切り、曖昧に濁した。スチュアートは力なく微笑み、首を横に振る。「お気遣いありがとう」


「私にとって、太陽のようなひとだった。まさかこんなことになるなんて」


「その……不躾な質問ですみませんが、ミセス・エディソンが失踪する理由に心当たりは」


「あるわけないだろう!」


 彼は怒鳴るようにして、レイの台詞を遮る。それから我に返り、慌てて取り繕う。彼も憔悴しきっているのだから仕方のないことか、とレイは動揺を飲み込んだ。


「すまない、私たちは……よく議論をしていたが、それはあくまで建設的な議論だ。喧嘩じゃない。その議論を通して、互いに自分の意見を伝えられてもいたし……本当に、失踪する理由なんてあるわけないんだ」


「そうですか……」


「レイ、本当にシャーロックが妻を……カーリーを連れ去ったのか? 彼女はまだ生きているのか? 生きているなら、どこに……」


「それが、僕にもわからないんです……すみません」


 スチュアートはレイの困り顔に納得したようで、黙りこくってしまう。ぺこりと頭を下げ、レイは彼のそばを離れた。一人にしてやるのがいいと思った。それに、またさっきみたいに怒鳴られるのはごめんだ。祖父に叱られたときのことを思い出して、嫌な気持ちになる。


 レイを育ててくれた祖父は厳格な人で、レイはゲームをはじめさまざまなことを禁止されていたが、特にファンタジーのフィクションに触れるのは御法度だった。母親が魔術師だったと知った今のレイにはわかる——祖父は、レイを魔術に触れさせたくなかったのに違いない。もしかすると、レイの母をよく思っていなかったのかも。


 だからレイは怒鳴られることが苦手だった。何かに縛られることも。その点では、クロフォードはどちらもしない。師匠——指導教授としてはありがたい存在だ。


 レイがローマンのところに戻ると、彼は「どうだった?」と率直に聞いてきた。


「今の先生は拘束されていて、魔術も魔法も使えないはずで……カーリー・エディソンを幻想域に連れ去ることは不可能だと思います。それにできたとしても、動機がない」


「ああ、合格だ。オレもそう思ってる。


 彼の眼差しが鋭くなる。魔法使いクロフォードが犯人だとするなら、ハウダニットは意味を為さない。魔法はすべてを可能にする、神の力に等しいものだ。ならばホワイダニットのみが重要で——クロフォードには、その答えとなるものがない。


 彼はキース・チェンバーズを、発表する論文の要旨をまとめた抄録集に載っていることしか知らない、と評した。カーリー・エディソンも同様のはずだ。第七天のレストランで働いていたという彼女を知っていても不思議ではないが、それ以上の関係であったとは考えにくい。


 仮に教え子だったとしても、クロフォードは教え子に加害するような人物ではないはずだ。レイは半ば確信のように、そう言い切ることができた。あの春、レイを命懸けで守ってくれたのだから。


「……行か、なきゃいけません、よね。先生のところに」


「ハッ」鼻で笑われる。「クロフォードがアンタに失望してると思うか?」


「それは……」


 思わない、という言葉が喉まで出かかって、口をつぐんだ。クロフォードは人の失敗を笑ったりしないけれど、心のうちでどう思っているかなど、誰にもわからない。


 そこまで考えて、レイは自分が彼の内心ででさえ失望されたくないと思っていることに顔を歪めた。自分を裏切るような、あんな男の評価なんて、どうでもいいはずなのに。未熟な自分を認めてくれたのは彼だけだから——期待を裏切りたくないのだろうか。向こうは、とっくに裏切ったのに?


 押し黙っているレイにローマンはまた笑った。


「意地悪な質問だったな」


 笑顔には野性味があり、不敵にも見える。イケメンすぎるピアニストとしてメディアでもてはやされているのも、偶然流れてきたSNSのフォロワーが何万といたのも、なんとなくわかった。荒々しいが故の色気のようなものがある。「ついていってやるよ」


「オレとしても、アイツと一旦話し合っておきたいんでな」


 確かに彼と訪問すれば、少なくともレイを軽蔑の目で見ることはないだろう。レイは、そうしたことを考える自らの浅ましさにほとほと嫌になりながら、頷いた。


「決まりだな」


「いいんですか?」


 ローマンは賢者という立場があるから、クロフォードの無実を前提とした捜査に協力することはできないと言っていた。故に藍鍾尤と一緒に行動していたのに、今のローマンは屁理屈で賢者としての立場を捨てているように見える。いいんだろうか、とレイは勝手に危機感を覚えていた。


「友達と会うのに理由が必要か? アデラインを黙らせる方法なんざごまんとある」


 冗談めかして笑ってみせる彼の目が笑っていないことに、レイは気づいていた。本気なのだろう。友人にしては過激と思われたが、彼の師匠がクロフォードであることを考えると、仕方のないことのように思えた。あれだけ、仲が良さそうにしていたのだし。


「鍾尤は……?」レイは辺りを見回して尋ねた。


「ああ、臨時の警備責任者になったから、よりアデラインに頭が上がらなくなったんだと。そういや、アンタに謝っておいてくれと伝言を受けたな」


 やはり、ハウエルズの権限はかなり強いようだ。警備責任者は通常の警備課の執行者と異なり、現場で警備を行いつつ他の執行者を取りまとめる必要がある。藍鍾尤はそれほどマルチタスクが得意ではないのかもしれない。それに、ただでさえ責任者は、『全責任を負う』という強い制約を受けていそうだから。


 レイはとっくに始まっている発表を抜け出し、エレベーターに乗ってローマンとデッキ七を目指した。みな発表を聞いているようで、廊下やエレベーターには一人もいなかった。

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