Sec. 02: The Man of the Jackpot - 02

 まずは状況を整理するところから始めるべきだ。レイは手帳を取り出し、ボールペンをノックした。春に使い始めた手帳には、事件にまつわるさまざまなことが記されている。


 第一に、抄録集の記載によれば、キース・チェンバーズは交霊学派の教授である。錬金術と死霊魔術を融合させた『魂の流転』について発表する予定だった。


 第二に、部屋に荒らされた形跡はなく、紅茶が二つ淹れられていた。チェンバーズは独身なので、家族のために淹れられたものではないことがわかる。友人か、あるいは知人。


 第三に、ベッドに残っていた人体の構成式はごく一部であり、現時点では『』は不明。なんらかの方法で神隠しに遭っただけ、という可能性も考えられる。


 そこまで書いて、レイは背後からの熱い視線に気づいた。白い旗袍が視界にちらつく。


「神隠し、ねえ」


 藍鍾尤はつまらなさそうに唇を尖らせている。クロフォードのことを気に入っているようだったから、さもありなんという感じだ、とレイは思った。


「神隠しだったら、ハウエルズだな」


「そうなのか?」


「彼女は妖精と契約してる。妖精はどこかしらの幻想域と繋がってるだろ?」


 妖精には下級から上級までランクがあり、上級に当たる妖精は精霊と呼ばれる。彼らはみな妖精域——幻想域を領地として所有しており、中級以下の妖精はその幻想域に所属し、社会を形成するのだ。そのため妖精と契約するということは、その妖精が属する幻想域、ひいてはその幻想域の領主と契約するということでもある。


「それに、ハウエルズはキース・チェンバーズと仲が悪かったからな」


「はあ?」初耳だ。「だからあんな、先生を拘束するまでが早かったのか?」


「ハウエルズが犯人だと思ってるなら、それは早計だ」


 藍鍾尤は首を横に振る。早計であったとしても、クロフォードよりも犯行の可能性の高い人物が浮上してきたのだから、彼を解放する要因の一つになるだろう。早く彼の拘留を解いて、彼を捜査に復帰させてもらわなければ。自分だけでは限界がある——レイはそう強く思っていた。式核に触れなければ行えない殺人など、自分には手に余る。


 レイは立ち上がった。何はともあれ、クロフォードに話を聞かなくては。


「クロフォードのところに行くなら、おれも行く」


 藍鍾尤も同様に立ち上がり、発表会場を後にする。発表がなくなってラウンジで談笑している魔術師たちの隣を通り過ぎるとき、レイは視線を不必要なほど感じた。『死神』が逮捕され、その弟子が何をするのか、みんな気になっているのだろう。


 デッキ七までエレベーターで上がって、七三一号室を目指す。部屋の前には、サフラン色の裏地のローブを纏った執行者が一人立っていた。そういえば藍鍾尤はローブを着ていない。保安局は警備課や執行課などに分かれているし、課が違うのだろうか。


 藍鍾尤が担当者と話をつけてくれ、レイたちはクロフォードと面会できることになった。時間は五分。過ぎれば無理やり引きずり出すと言われたが、そんな脅し、悪魔を目にしたレイには怖くもなんともない。


 三回ノックして扉を押し開けると、彼はベッドの縁に腰かけて聖書を読んでいるところだった。教会からは既に破門された身であるというのに、敬虔なことである。


 クロフォードは顔を上げ、本を横に置いた。立ち上がり、隣のシーティングエリアへと向かう。一人掛けのソファに腰を下ろし、レイたちに向かいの長椅子へ座るよう示した。レイと藍鍾尤は三人掛けのソファに促されるまま座り、どこか浮かれているように見えるクロフォードを、同じようにじとりと見つめた。


「何が楽しい?」レイは思わず口を開いていた。


「逮捕されるのは久しぶりだ」


 クロフォードは長い脚を優雅に組み、その上で指を絡める。口元には微笑が浮かんでいて、それはいつだかに見た、戦いのなかの彼によく似ていた。捕食者の顔だ。


「久しぶり? 記録にあんたの名前は一度も出てこなかったぞ」


「裁判にかけられたことはないからな。君たちが聞きにきた話は、そうではないだろう?」


 レイはソファに座り直し、クロフォードの態度に確信を深めた。彼は、殺していない。仮に本当にクロフォードが犯人なら、逮捕された時点でもっと隠蔽工作に走るなり焦りを見せるなりするはずだ。魔法使いなのだから、証拠を全て消してしまうことだってできる。なのに魔法を使ったそぶりもなければ、諦めたりするそぶりもない。


「やってないんだな?」


「どう思う?」


「どうって……お前がやってないって言うなら、やってないんだろ?」


「同じく。あんたは意味もなく殺すやつじゃないし、そもそももっと上手くやる」


 藍鍾尤の擁護は斜め上からだったが、確かに一理ある。レイは頷いて同意を示した。


「信用してくれて嬉しいよ」ふふ、と笑う。


「……やってないんだよな?」


「もちろん。先ほども言った通り、私はキース・チェンバーズをよく知らない。抄録集に記載されたことくらいの情報しかね。知らない人間をわざわざ殺す動機もないし、殺人が必要になる儀式の企みもない」


 クロフォードは片手を上げてやれやれと首を振った。呆れている様子なのに、やっぱりどこか嬉しそうだ。レイは調子が狂わされるのを強く感じながら、わかった、と言った。


「お前がやってないなら、代わりに無実を証明してやる。僕だって、師匠が人殺しなんてごめんだ」せめてもの抵抗に、クロフォードを睨みつけた。「いいな?」


「おれも手伝う。あんただけじゃたぶん門前払いだ、レイ」


 おそらく、藍鍾尤は執行者としての権限のことを言っているのだろう。レイは執行者ではなく、ただの魔術師見習いでクロフォードの弟子だ。執行者が警備に当たっている以上、一介の参加者では現場に入ることすらできないに違いない。藍鍾尤がいれば、多少の融通は効くはずだ。


「私はこの部屋から出てはならないそうだから、ここで吉報を待っている」


 クロフォードは手錠のかかった両手を掲げ、つまらなさそうに肩をすくめた。手錠には天秤を象った魔術保安局の刻印がされている。


 これは魔力源炉を含めた干渉基盤の働きを抑制するもので、容疑者を拘束するための儀装の一つである。体内で魔力を生成すること、呼吸によって体内に取り込まれる魔素が魔力に変換されることの両方を阻害し、干渉術の全てを行使できないようにする。


 拘束の第二段階として干渉回路の演算を阻害する首輪があるが、そちらはまだ彼には使用されていないらしかった。


「ああ、そうだ。これを使うといい」


 思い出したように言って、クロフォードは器用にジャケットの内側からカラーグラスを取り出した。


 青いレンズが嵌まった、金縁の丸眼鏡だ。魔力の流れだけでなく、レイたち魔術師には見えない式核を含む構成式まで視認できるようになるという、クロフォードが愛用する儀装である。一言礼を告げて受け取り、シャツの胸ポケットに引っかけておく。


「期待しているよ」


「……うるさい」


 あの日、レイを裏切ったクロフォードに期待されても嬉しくなんてないはずなのに、どうしても胸が高鳴った。彼の期待に応えたい、彼を感心させてやりたいと、そう思う。

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