Sec. 01: Conference Presentation - 03

 その後、第二セッションが始められる。


『ゲマトリアにもとづくロゴスの再解釈』『類感呪術と双方向呪詛のつながり』『他者の痛みを媒介とする魔女術の構成式的検証』——カバラ、呪詛、ウィッチクラフト。レイは第一セッションの反省からキーワードを拾って手帳に書きとめ、学習の手助けとした。


 ゲマトリアは、ヘブライ文字をヘブライ数字の法則に従って数に変換し、単語や文章を数値として扱う手法を指す。聖書や教会が保管するテキストにも使われたもので、時代が下るにつれ近代魔術にも取り入れられたものだ。


 この発表は構成式を形作る未知の文字、すなわち構成言語をアルファベットでなく数字に翻訳しようというもので、電脳魔術との類似性が示唆された。電脳魔術の研究が進めば、魔術と魔法の垣根はなくなり、ロゴスを人工的に作る——世界を創造することさえできるだろう、と。


 現代学派の賢者は電脳魔術使いであり、その才能は魔法使いに匹敵すると言われている。彼女は元より虚数属性という貴重な属性の適合者ではあるが、周辺環境を0と1に変換し、高速かつ高精度で構成式を改竄できてしまうのだという。


 レイは発表しているカバリストがスライドを取り違えたり、呪詛師が質疑応答で有識者に「素人質問で恐縮ですが」と殴られたりしているところを微笑ましく眺めながら、手帳へ発表者の名前とテーマ、そして拾い上げることができたワードを記していく。


「ポスターセッションは、昼食後にこの会場で行われます」司会者のハウエルズが発表を切り上げ、そう微笑んだ。「昼食はデッキ五のビュッフェレストランでどうぞ。発表者の皆様は開始時刻の午後二時までに準備をお願いいたします」


 会場にいた魔術師たちは一人また一人と部屋を後にし、レイはすぐに司会者のハウエルズと、彼女と親しげに話している女性、警戒を緩めた執行者たちを除いた最後になった。


 壁際に控えていた藍鍾尤とクロフォードは言葉を交わし、ハウエルズに報告に向かう。レイは手のひらサイズの手帳を閉じ、ワイシャツのポケットにしまった。


 クロフォードがこちらに歩いてくる。それを待ったあたりで、捜査をしているわけでもないのだから共に行動する必要はないのだ、と気づく。


 けれどまあ、知らない人間——しかも魔術師——の多いこの船では、知っている人間と群れていたほうが、心の安寧にはよいだろう。レイは自分にそう言い聞かせ、クロフォードと歩調を合わせて会場から外に出た。


「ようクロフォード。さまになってたぜ、警備責任者」


 会場の外では、長い黒髪の男が、壁にもたれてクロフォードを待っていたようだった。グレーのワイシャツにワインレッドのネクタイ、黒のジャケットという出で立ちは、その上背と相まってわずかに威圧感を感じさせる。ネクタイと同じ色のルビーがあしらわれたピアスが、温白色の照明を受けて煌めいた。


 男はレイたちに合流すると、一緒の歩幅で廊下を進んでいく。


「いたのか。学術発表には興味がないと思っていた」


「おいおい、これでも賢者だぜ? 自分の分野だけじゃなく、全部見ておくべきだろ——『学びをやめた者から取り残される』。オレにそう教えたのはアンタだ」


 クロフォードは黄金色の瞳を細め、懐かしむように少しだけ口角を上げる。


「そんなこともあったな。覚えていてくれて、師匠冥利に尽きるよ」


 男のグリーンの瞳が、レイのほうに向いた。瞳孔のあるべき場所が紫色に染まっている。こんな目を、レイは見たことがなかった。クロフォードの瞳孔も猫や蛇に似ている。彼もクロフォードのように、人間ではないのかもしれない。


「で? コイツが報告書にあった、新しい助手か?」


「ああ、レイ・カレンという。ルーシャの子だ。優秀だよ」


「ふうん?」長髪の男は値踏みするようにレイを眺め回す。「あー、そういう感じか……アイツまわりは近づきたくねえな。虎の尾を踏むのは一度でいい」


 はあ、とため息を吐き、彼はがしがしと後頭部を掻いた。


「とはいえ、自己紹介くらいはしとくぜ。オレはローマン・ヴィドラ、創生学派の賢者をやってる。オタクの何代か前にクロフォードコイツの弟子で、助手をやってた」


 男——ローマンは親指でクロフォードを示し、握手を求めレイに手を差し出す。レイはおずおずとそのふしくれだつ手を取り、握り返した。角ばった大きな手で、クロフォードのシルクに包まれたそれに比べれば、ずっと男性らしいものだった。


「よろしくお願いします、ロード・ヴィドラ」


 魔術師の外見の年齢と実年齢は相関関係にないが、ローマンは特にアンチエイジングが得意であるらしい。見たところ彼は二十歳そこそこのようだが、レイの何代か前に助手であったなら、少なくともその年齢ではないだろう。


 学会では、学派のトップである賢者にはロードまたはレディを、学派の創設者である大賢者にはロードまたはマダムを、敬称とすることになっている。これは術識学会の制度についての講義で習ったところだ。まさかまだ一年目の自分が、賢者に謁見するとは思わなかったけれど——学会の外からも人が集まる学術発表会ともなれば、上層部が参加してもおかしくはないのかもしれない。


「他の賢者ではなく、君なのか」


「パンフ見てないのかよ、おまえ……オレが夜会で生演奏する、ってのが目玉扱いだ」


「学術発表会なのに?」クロフォードは生真面目に片眉を吊り上げた。


「学術発表会なのに」ローマンもため息を吐く。「発表がメインだと思ってねえんだろ。第一こんなキャパで、しかも懇親会のBGMに使われるなんざ、軽く見られたもんだ」


 ふん、と鼻を鳴らす男の言い草を聞いて、レイは思い出したことがあった。


 ローマン・ヴィドラ。現代の演奏家に疎いレイでも知っている、有名ピアニストである。コンサートのチケットは即ソールドアウト。年間開催数も少なく、生でその演奏を聴ける機会ですら貴重であるという時代の寵児。まさか——魔術師だったなんて。


「まあ、人数がどうこうじゃない——貴族どもがオレのピアノを客寄せパンダ程度にしか思ってない、なんてことが判明しない限りはな」


「彼らも、君のピアノの価値はわかっているさ。私とてそうなのだから」


「テメエな……いやいい、ならおまえのために弾いてやるよ。それとレイ、アンタにもな」


 ローマンはほんの少し身をかがめて、レイにそう告げた。彼なりの激励なのだろう。それほど詳しくないレイでも知っている世界的アーティストが、レイのためにその腕を披露してくれる。レイの胸は高鳴り、今夜の夜会が楽しみになった。


 レイたちがデッキ五のレストランに到着すると、担当者は慣れた様子で席次についての説明をしてくれた。曰く席は日替わりで、同じテーブルにつく者を毎日入れ替えることで活発な交流を促しているという。


「カレン様は、ミスター・シャーロックと同じお席にされますか? どちらでもよいと、ハウエルズより仰せつかっておりますが」


 レイはクロフォードを見上げた。師匠と違うテーブルにつけば、多様な分野の研究者と話すことができるだろう。しかしレイはまだ入学したばかりの若輩で、コネもツテもない。研究者か執行者しかいないこのレストランで、見知らぬ学生に何を話してくれるというのだろう。そう考えれば、クロフォードの隣で話を聞かせてもらうほうが、ずっと現実的に思える。少し癪だけれど、背に腹はかえられない。


「先生と同じで」


「かしこまりました」担当者はインカムで指示を出した。「お二方のお席はDブロックにございます。ロード・ヴィドラはBブロックにどうぞ」


 恭しく礼をする担当者にありがとうと言って、クロフォードは中に入っていく。レイもそのあとに続き、ビュッフェの形式に則り、皿を手に取った。

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