第5話:終焉の三階

 午後五時を知らせる音楽が店内に流れる。

 今日は、お店の雰囲気にあったボサノヴァのようだ。

 

 音楽が流れると同じくらいに、ようやく客足が途切れた。


 井波さんは平気な顔をしているけど、刈谷さんは今にも崩れ落ちてしまいそうな程ヘトヘト。

 播磨姉妹も、四時を過ぎてからはオーダーミスをしたり、ボーっとしていたりして疲労がたまっていた様子だった。


 かくいう私も、もう動きたくないのだけど。


 近くのカウンタースツールに腰を下ろし、壁に取り付けられたモニターを眺めニュースを見る。

 程よい化粧を施した女性アナウンサーが、笑顔で動物駅長の就任を伝える。

 今度は眼鏡をかけた古株の男性ニュースキャスターが、街で起こった交通事故や窃盗事件について真剣な面持ちで話し始める。


 下らない。

 実に下らない。


 この街は、嘘をついている。


 昨日だって、一昨日だって、いや、その前からずっと。

 この街に住む善良な市民が、グリムによって何人も殺されている。

 その事実を、政府もメディアも公に出さない。


 自分達の地位がそれほど可愛いのだろう。

 その地位を守るためなら一般市民がどれほど死のうが知ったこっちゃないっていうのがあいつらの考えなんだ。


 反吐が出る。


 ニュースキャスターたちのわざとらしい笑顔を横目に、更衣室に向かう。

 キッチンを通り過ぎたところで、井波さんが端末を動かしながら、「ちょっと」と言って手招きした。


「もう上がるでしょ?」


「そのつもりでしたけど……クローズまでいたほうがいいですか?」


「いえ、ただ時間があったらこれをお願いしようとしただけ」 


 井波さんはそう言って、さっきいじっていた端末を親指で優しく押した。

 すると、ズボンにしまってあった私の端末が震えた。


”窓際の席の男、政府直轄部隊『卿夷十君』所属の人間。情報取得の可能性アリ。尾行できるなら”


 マジで?


 目を見開きながら井波さんを見上げると、彼女は顔色一つ、向きさえも変えず小さく「うん」と頷いた。


「なんで分かったんですか?」


 小声で質問すると、井波さんも同じ声量で返した。


「さっきボスからグループに共有されていたよ。まぁ、あんなに忙しかったなら端末に目をやる暇なんてなかっただろうけどね」


 私は、「確かに」と返事をして、仕事の準備に取り掛かる。

 更衣室で私服に着替え、拳銃と予備弾薬を手に取った。


 あ、危ない危ない。

 グローブを忘れるところだった。


 再びホールに戻ると、ちょうど対象の男が店を出た。


 慌てて追いかけようとドアノブに手をかけた時、井波さんが呼び止めて小型発信機を放り投げた。


「おっとっと」


「ナイスキャッチ。……光里、無理はしないでよ。今回は尾行だけだからね」


「任せてくださいよ」


 オッケーサインを出してから、扉を開けて男の後をつける。


 店を出てから三十分が経過した。


 昼の青さと夕焼けが混在する、夏らしいほの暗さが街を包む。


 道中、男は端末越しに誰かと話していたが、内容はまったく聞き取れなかった。


 だけど、その通話を皮切りに、明らかに歩くスピードが上がった。


 時刻は六時。


 男は四階建ての立体駐車場に入る。


 人の気配もなく、周りに商業施設もない、こんな細い道に隠れるように存在する場所にわざわざ車を止める人なんているはずがない。


 十中八九、何かの取引場所として使われているのだろう。


 ヒビが入るコンクリートの壁と、堅い地面の割れ目から生える雑草。


 錆びついた外階段を上り、壁に三と書かれた階に男はいた。

 その男以外に、三人の人間がそこにいた。


 私は咄嗟に、壁にぴったり背中をつけて、耳を澄ます。


 二人は、尾行していた男同様に黒のスーツを着用し、レザーのビジネスバッグを持つ。


 もう一人は、三人とは恰好が違う。

 黒い外套、庇つきの緑色の制帽を被った男が一人。

 シルバーの帽章が夕焼けの橙に染まる。


「目撃情報があった店をすべて回りましたが、結果は芳しくありませんね。常連客にも話を聞きましたが、やはりはここ数か月、誰とも会っていないようです」


「こちらも同じです。新しい情報は何も得られていません」


「そうか……芳賀、君はどうかね」


 へぇ、私がつけていた男の名は芳賀というのか。

 

 身長はあの中で一番高い。

 百九十あるかないか。

 年齢不詳の童顔で、その高身長と併せると違和感が凄いけど、見た目通りのサラリーマンだったなら女子人気は凄いことになりそう。


「私は、対象ヤツの予想活動範囲から離れた店舗に向かいました」


「ふむ……、私はそんな指示を出した覚えはないが」


「独断です」


 おうおう、なかなか肝が据わっていますな。

 軍組織、それも特殊部隊『卿夷十君』の一員が上官の指示に従わず独断で動くなんて。

 減給で済めば御の字ですね、こりゃ。


「理由は?」


 制帽を被る男の、ドスの効いた低い声が冷たい。

 

 案の定、怒りますよね。

 いや~、それにしても、あの怒りかたは井波さんに通ずるものがあるなぁ。


「我々の追跡がバレています。恐らく、組織の中に裏切り者がいるのでしょう」


「恐らくか……それで? 上官の指示よりも自身の推測を優先した貴様は何を得たのかな?」 


「二つ……私が手に入れた重要な情報は二つです。一つは、ターゲットである醜女しこめはこの近くに潜伏していること。そしてもう一つは……」


「……どうした?」


 芳賀はもう一つの情報を出す前に、何かに気付いたように私が身を隠す壁に顔を向けた。


「おい! 芳賀ッ! 報告を続けろ!」


 上官の話が耳に入っていないのか、それともわざと無視しているのか。

 よく分からないが、あの男は瞬き一つせずこちらを凝視し続ける。


(バレたか?)


 音は出していない。

 一部始終は手鏡の反射を使って見ていた。

 反射光があったとしても、今の時間帯は夕焼けでごまかせるはずなんだけど。


 万が一に備えて愛用の銃に手を伸ばす。

 同じタイミングで、制帽を被った男が痺れを切らして芳賀の胸倉をつかんだ。


 「貴様ッ! いい加減に……ッ!」


 瞬間、パパパという乾いた破裂音が制帽の男の声をかき消した。

 

 何事かと、今度は鏡ではなく、自分の目で状況を確認した。


「芳賀……き、さ……ま」


 制帽の男が腹部に三発の弾丸を食らっている。

 口をパクパクさせながら、大量の血を流してその場に倒れた。

 

 やったのは、芳賀。


 上司が仲間に射殺された光景を目にして残りの二人は一瞬放心していたが、さすがは軍人。


 すぐに状況を読み取って、懐に手を伸ばした。


 しかし、


「シャアァァァァァ!」


 突如現れた、マチェットを持つ謎の年寄りに後ろを取られると、うなじを切り裂かれ何もできずに倒れ伏した。


 その老人について、視角から得られる情報では、性別を区別できない。

 目じりと額、ほうれい線の皺が深く刻まれていて男か女か、どちらにも見ようと思えば見えてしまう。

 

 年齢は八十くらい、腰は年齢に合わずまっすぐで、身長は百五十五くらい。


「遅刻だぞ。醜女」


 醜女……あの人が、卿夷十君が追っていた対象か。

 名前から、女性っていう認識でいいよね。


「ボケェ、米寿を迎える年寄りを動かすなぁ」


「お前の能力なら俺の所にすぐ飛べるだろう。まったくどこで油を売っていたのやら」


「小僧の注文が多いのが悪いんじゃ、ボケェ」


「いい歳した大先輩が他責か。まぁ、いい。それじゃ……ん?」


 芳賀が視線を足に向ける。

 そこには、血だらけになった手で芳賀の足首を掴み、充血した目で童顔を睨みつける制帽の男の姿があった。


「おやおや、まだ息がありましたか軍曹」


「いったい……どういうことだ……」


「見た通りですよ。私と醜女は友達ということです」


 芳賀の不気味な笑顔が、彼の精神の異常性を教えてくれた。

 どんな人間でも、他者を攻撃するときには必ず顔に感情が現れるはずだけど、あの時の芳賀にはその定説が通じなかった。


 私が今まであったことの無いタイプの人間。

 

 芳賀は、まさに今、苦しむ元上司を見て恍惚とした表情を浮かべていた。

 そんな人間がまともなはずがない。


「あっ、あなたにはきちんと伝えなければ。それでは、報告を続けます。もう一つ発覚した情報は、私が醜女に内部情報を渡し、あなた方を死に追いやった裏切り者です。……って、あらら、もう息をしていませんね」


「それほど面白いもんか? 人殺しは」


「なんでそんなこと聞くんですか?」


「はぁ、自分が笑っている自覚ナシかい」


 やはり芳賀はイカレていた。

 もう少し彼らの情報を収集したいところだが、今はリスクを冒すべきじゃない。


 卿夷十君は、醜女と呼ばれるグリムを追っていたこと。

 その卿夷十君内に裏切り者がいること。

 

 この二つが分かっただけでも十分だ。

 尾行はここまでにして切り上げよう。


 そう思っていたんだけどね。


「時に小僧。お前、あれはどうするつもりだ」


「あれ……あぁ! 彼女あれですか。それはもちろん、彼女の返答次第ですよ。では、そろそろ出て来てくださーい! ドロエットの光里ちゃん」


 ……やっぱり尾行、バレてんじゃん!

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