第3話:新島の決意2 ~憎悪の胎動~

「五年前の爆破事故、あの時、君が見た顔のない人間の正体。知りたくありませんか? 家族の仇を執りたくありませんか? 復讐を遂げたくありませんか?」


 新島は黙り込んだ。

 かつてだるま男にしたように、そんなものは知らないとシラをきるべきか、はたまた直感を信じて話を聞くべきか。


 冷静に考えているように見えて、新島の思考は好奇心と未だくすぶる憎悪に軍配が上がっていた。


「……さっきスカウトって言ってたよな? どんな内容だ?」


「おい、まもる。こんな奴らの言うことなんて――」


「爺さんは黙っていてくれ! ……それで、俺は何をすればいい?」


(食いつきましたね。やはり彼にはまだ火種が残っている。)


 矢筈はモノクルを調整し、またも顎髭を触る。


「君に殺して欲しい者たちがいます。名を『グリム』、政府が飛躍的技術革新を進める各国に対抗する名目で作った強化人間です。その力はまさに一騎当千。百人いれば小国を三時間で制圧できます」


「名目? 強化人間? 初めて聞いたぞ、そんなこと」


「知らないのも無理はありません。これらはすべて特秘情報ですから。世界は今、豊富な資源と優秀な人材を欲しています。わざわざ戦争を仕掛け、無理やり奪い取りたくなるほどに……」


 老人は新島の腕を引っ張り、「そんなバカな話があるか!」と見え隠れする残り僅かとなった歯を剥き出しにして口を動かす。


 反して新島は、目を見開き、興味ありげに矢筈の整った歯列を見続ける。


「戦争が始まるのか?」


「もう始まっていますよ。まだこの国には戦火が届いていないだけ。しかし、もし我が国が参戦し、グリムを投入したなら……始まるでしょうね。我が国による一方的な蹂躙が!」


「随分と言い切るんだな」


「この目で見ましたからね。この国の闇を、彼らの強さを」

 

 再び狐の顔に戻った矢筈は、モノクルを人差し指で軽く叩いた。

 黄金に輝く瞳が静かに、新島の復讐心を揺さぶり始めていた。


「私はね、どの国も対等な力を持った勢力均衡の状態が理想だと思っています。その点、この国の戦力は過剰すぎます。間引きが必要だとは、思いませんか?」


「……そいつらを殺せば、ノーフェイスとやらについて教えてくれるのか?」


「もちろん、彼だけではありません。あの事件に関わった者たちすべての情報を君に共有しましょう」


「なぁ、一つだけ先に教えてくれ。どうしてあいつらは、あの日、あそこに現れたんだ?」


 新島からの質問を受けた矢筈はハットを深くかぶり、下を向いて表情を読み取らせないようにした。


「試験運用と聞きました。あの施設は築後年数が経っていましたから、何が起きても老朽化という言葉が免罪符として効力を発揮したんですよ。生き証人がいたならば話は別ですが……君は子供でしたし、真実を言っても普通の大人なら子供の妄言と考え、相手にしません。だから戸籍を消して社会から追放した。わざわざ手を回さなくてもすぐに死ぬとでも上は考えたんでしょう」


 話を聞いた新島の額に青い血管が浮き上がる。瞳は小さくしかし激しく震えている。

 固く握られた拳からは、自身の爪が食い込み血が流れるほど強い力が入っている。


「そんな……そんなことのために……父さんは、母さんは、妹は……」


 奥歯と奥歯が強く圧迫される。

 怒りが血圧を上げて毛細血管が切れる。それにより白目がべったりと赤く染め上がる。


「せねぇ……許せねぇ! 家族を奪った奴らが! それを許した政府が! 傍観していたあんたたちが!」


 獅子のように顔を歪め、血交じりの唾液で口がいっぱいの新島の様子を見た尾長が矢筈に耳打ちをする。


「危険ではありませんか? あの少年今にもこちらに飛びかかって来るやもしれません」


「それはありえませんよ。彼は私を殺しません。(彼は理解しているのです。怒りの中でも、自身が復讐のために為すべきことをなしたいと)」


 赤く染め上げられた瞳が、しばし矢筈を睨みつける。

 アスファルトの窪みに出来た水面が落ち着きを取り戻す。

 やがてシルク生地の傘が雨粒を弾かなくなった。


 激情に溢れかえっていた瞳に正気が戻る。

 一時の感情を優先することが今すべきことなのか、自分が本当に為したいことは何なのか。

 深く、冷たい熟考を新島は終える。


「どうやら、気持ちは固まったようですね」


「あぁ、俺はあんたらに付いていく」


「……まもる、お前」


 今さっきまで怒りで我を忘れそうになっていた新島が、今は別人のように優しい顔で老人を抱きしめる。


「心配すんな。今の俺の家族はあんただけだ。やることやったら絶対帰ってくるからよ」

 

 矢筈が傘を閉じ、「それでは行きましょうか」と催促する。

 新島の腕が離れると老人は涙を流し、その場でうずくまった。

 その姿を背に新島は矢筈、尾長と共に二人が来た道を共に歩み始める。


 三人が老人に向けて振り返ることはなかった。


 ゴミ溜めの住民が好奇と期待の眼差しを三人にぶつける中、新島は自分と横並びで歩む矢筈の顔を見上げた。


「なぁ、グリムってやつらはアホみたいに強いんだろ? どうやって殺すんだ?」


「強化人間とはいえど、人間ですから弱点は一緒です。頭を潰す、心臓を穿つ、修復不可能な怪我を負わせる。ただそれだけで死にます」


「それだけって、それが難しいんだろ?」 


 矢筈は顎髭を指先で軽くなぞる。


「君の言う通り難しいですね。なので、我々はグリムを殺すためのグリムを作っているんですよ。毒をもって毒を制す。埒外の力には同様に埒外の力をぶつけるしかありません」


「となると、俺もグリムになるための手術かなんかを受けることになるわけか……俺があんたのお眼鏡にかなったのは、使い捨ての駒として便利だったのと、グリムへの復讐心があったから――そういうことでいいんだよな?」


「付け加えるなら君に適性があったからですよ。能力付与の適性がね」


「適性?」


 水たまりを気にせずに踏み抜く矢筈。

 新島の質問に答える彼は、ばつが悪そうでありながらも、どこか挑発的だった。


「実験を通して分かったことですが、どうやら能力と人間の間に適性なるものが存在しましてね、まぁ簡単に言えば相性のことなんですが……とにかく、その適性を無視して無理やり力を付与させると、体が粉々に砕けてしまうんですよ。だから我々は適性を持つ人間を探していたわけです」


 二人の間に訪れた二度目の沈黙。

 技巧白夜街の花街から聞こえる喧騒が、重苦しい沈黙を破った。


「どうせやるなら、俺には一番強い力をくれ」


「フフッ、まずは訓練を無事乗り越えてもらわないことには何も始まりませんが……いいでしょう、お約束します。これからよろしくお願いしますよ。――すべてのグリムの死を願って」


「グリム……俺が殺すべき存在、怪物の名」


「その通り。そして、それは――あなた自身がなる怪物の名でもあるのです」


 新島は闇夜に漂う鱗雲を見てわずかに微笑んだ。


 幾筋もの白い光が地上から放たれ、その鱗雲を裂き、夜空を貫いていた。


 今宵、技巧白夜街にまた眠らない人間が一人生まれた。

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