影の正男と猫の漱石 | 三題噺Vol.21

冴月練

影の正男と猫の漱石

📘 三題噺のお題(第21弾)

錆びたオルゴール

月明かりの井戸

影の旅人


――――――――――――――――――――――――


【本文】

 忍耐。

 それがオレの座右の銘だ。

 好む好まざるの問題じゃない。忍耐がなければ生きてこられなかった。


 オレ、正男まさおは戦時中に産まれた。

 親父は戦地から帰ってきたが、兄貴は戦死した。

 戦中戦後を何とか生き延び、世の中が明るくなり出した。オレも希望を持った。

 だが、職場の上司がクズだった。上には媚びへつらうくせに、下には威張り散らかす。大嫌いだった。そんなオレの気持ちが表に出ていたのか、野郎の標的にされた。毎日毎日理不尽な目に遭わされていた。


 鬱屈していた。だから、あんなことをしてしまった。

 あの日、中華料理屋で夕飯を食べた。女店主が一人で切り盛りしている店だった。旦那は戦死したそうだ。

 自分よりも弱い相手だと思い、不条理を押しつけた。最低だ。あの上司と同じことをした。ずっと恥じている。

 料理が不味いと難癖をつけた。特に、焼き飯が最低だと。女だから、火を怖がっていると言った。金も払わずに店を出た。

 少しの間は清々した気分だった。それから、自己嫌悪に苦しんだ。


 だけど、思わないだろ? あの中華料理屋の女店主が、炎の魔女だったなんて。反則だ。

 その日の夜中、魔女はオレのぼろアパートに現れた。魔女は怒り心頭に達していた。特に、焼き飯を侮辱されたことが許せないと言った。炎の魔女である自分の炎の扱いにケチをつけた。それが許せないと。

 必死に謝った。だが、許してもらえなかった。


 魔女はオルゴールを取り出すと、ネジを回して音楽を鳴らした。聞いたことのない、美しい曲だった。状況も忘れて、音楽に心を奪われた。

 魔女が呪文を唱え始めたことで、我に返った。とんでもない危険が自分に迫っている。なぜかそれがわかった。魔女にもう一度許しを請うたが、魔女の呪文は続いた。

 魔女の呪文が終わったとき、呪いで影だけの存在になった。

 魔女は呪いを解く方法をオレに伝えると、笑った。それは、不可能なことだった。魔女は呪いを解く気がないのだと理解した。




 影を渡り歩き、旅をした。

 長い時間が流れた。昭和が終わり、平成が終わり、令和になった。

 呪いを解くために旅をしてきた。だが、最近はこう思う。オレは……死ねるのだろうか?




 オレは東京の下町の古いアパートにいる。

 ぼろアパートではない。中身はきれいに改装されている。リノベーションとかいうやつだろうか?

 取り憑いた男も、稼ぎは悪くなさそうだ。

 男はスマホで女とおしゃべりを始めた。少し聞いていたが、ありきたりで面白みのない話だ。




 外に出ることにする。

 月光に照らされたアパートが影を作る。その影の中を移動する。

 影の終わりに到着。これ以上は動けない。ふと、猫を見つける。動物は行動が読みづらいが、猫の影に入る。


 猫の動きに合わせ移動する。

 良い感じだ。この猫は活動的だ。このまま遠くへ移動しよう。

 そう思ったのに、猫はおかしな動きを始めた。酔っている? またたびか? それとも酒か? まずい。行動の読めない獣は怖い。


 そして、案の定猫はアパートにある古井戸に突っ込みやがった。

 オレと猫は井戸に落ちた。まだ水がある。おかげで転落死は免れたが、溺死の可能性が急浮上だ。

 昔取り憑いた男が読んでいた『我が輩は猫である』を思い出した。面白い小説だった。あの小説の結末。猫が溺死する。状況は違うが同じだ。


 かつて取り憑いた男が山で遭難死し、3年近く発見されず、動けなかったことが脳裏に浮かぶ。あれは悪夢だった。気が狂うかと思った。

 猫が井戸で溺死して、もし誰も気づかなかったらどうしよう? 絶望に沈んでいくような気分だ。


 空を見ると、月がちょうど井戸の真上にある。

 月明かりが、井戸の中を照らしている。

 誰か、気づいてくれないだろうか?

 そんな望みの薄いことを考える。


「漱石!」

 若い女の声が聞こえた。

 女ははしごを持ってくると、自分が濡れるのも構わず、猫を助ける。

 このアホ猫、漱石って名前なのか……。あの小説の猫は、名前なんてなかったのに。ずいぶん大層な名前を付けられてやがる。

「ああ、良かった」

 女がアホ猫を抱きしめる。アホ猫はジタバタしている。少しは感謝しろよ。


 猫に取り憑いているのは危険と判断し、女の影に移動する。

 女はアパートの部屋に戻ると、タオルで身体を拭いた。

 女を観察する。おそらく学生だ。素朴と言うか、田舎者っぽい。だが、数々の女を見てきたオレにはわかる。こいつは磨けば光るタイプだ。


 女が取り出した物を見て驚愕する。

 古くなり、錆びも見えるが、あれは魔女のババアのオルゴールだ! なぜ、こいつが持っている?

 女がオルゴールのネジを回すと、音楽が流れ始める。錆びて劣化はしている。だが、間違いない。あの時の曲だ!


 猫の漱石が部屋に入ってきた。邪魔だな。今は考えなくてはならないことがある!

「あっち行け! バカ猫」

 無駄だと知りつつ声に出したら、信じられないことが起こった。

「誰? 誰なの?」

 女がオレの声に反応した。漱石もオレを見ている。

 こんなことは、呪いをかけられてから初めてだ。


 この女、もしくはオルゴールには何かある!

 オレは、女に取り憑いて、徹底的に調べることに決めた。

 呪いを、解けるかもしれない。


――――――――――――――――――――――――


【感想】

 最初は正男と少女の話を思いついたのですが、すごく長くなるので、猫の漱石との話に変えました。

 正男と少女の話は、うまくプロットができたら、書きたいと思っています。長編になるから、いつになるかはわかりませんが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

影の正男と猫の漱石 | 三題噺Vol.21 冴月練 @satsuki_ren

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ