第2話 : 陰謀の兆候
学術交流会から数日が過ぎ、ついに公開討論会の日がやってきた。朝から降り続いていた雨が上がり、王都の円形劇場は、湿った空気と人々の熱気で満ちていた。石造りの壁には、苔むしたような古びた匂いが染み付いている。微かに混じるのは、昨日までの賑やかな交流会で使われた、甘い香水の残り香だ。
舞台は、巨大な石造りの円形劇場。中央には演壇が二つ、向かい合うように置かれている。俺は演壇の前に立ち、ゆっくりと周囲を見渡した。観客席には、昨日交流会で顔を合わせた学者や貴族、そして教会の偉い人たちが、ずらりと並んでいる。きらびやかな衣装を身につけた人々が、好奇心と警戒心がないまぜになった目で、俺を待っていた。彼らの視線は、まるで獲物を狙う猛禽類のようだった。
やがて、向かいの演壇にエルヴィス・アルンが姿を現した。彼は、完璧に仕立てられた紺色のローブを身につけ、その表情は一見穏やかだったが、その瞳の奥には、俺を値踏みするような冷たさが宿っていた。
「さあ、リョウ殿。あなたの説を、この場で証明してもらいましょう」
エルヴィスが、嘲笑うような口調で言った。彼の声は、講堂の分厚い石壁に反響して響く。
「古代文明は、神の怒りで滅んだのではなく、環境破壊で滅んだと」
彼の言葉は、俺の知識を否定するだけでなく、この世界の信仰そのものに喧嘩を売ることになる。俺の心臓がドクンと音を立てる。まるで、これから始まる戦いのゴングが鳴ったかのようだった。だが、俺は努めて平静を装った。
「神話に喧嘩を売りに来たわけじゃない。ただ、歴史の真実を語りに来ただけだ」
俺は静かに、地下都市で発見した資料を取り出した。それは、汚染された水によって病に苦しむ人々の姿を描いたスケッチだった。俺は、その資料を投影するための魔道具を起動させる。微かな光と共に、病に苦しむ人々のスケッチが、舞台の空中にホログラムのように映し出された。
今までの旅で得た知識の核心部分、つまり悪用される可能性がある古代の技術やその制御方法については一切触れずに、話を進めた。
「これを見てください。この病は、汚染された水が原因です。古代の人々は、自分たちの文明を維持するために、無節操に自然を破壊し、その結果、自分たちの世界を滅ぼしてしまったんです」
観客席がざわつき始めた。ざわめきは次第に大きくなり、それは疑惑と困惑の渦となって俺たちを包み込んだ。
その時、教会のルシウス枢機卿が、席から立ち上がった。彼の顔は怒りで赤く染まっている。その怒りが、周囲の空気をピリつかせた。
「その説は神への冒涜だ!そんな戯言、決して認められない!」
枢機卿は、まるで俺を焼き尽くすかのような目で睨みつけ、異端者として糾弾しようとする。会場の空気は一瞬で張り詰め、誰もが息をひそめた。
「真実を隠すのが信仰ですか?それなら、あなたの信仰は、この世界の未来を閉ざすだけです!」
そう言い返した時、観客席の端から、アイリアが静かに舞台に上がってきた。その足音は、まるで羽のように軽かった。彼女はゆっくりと俺の隣に立つと、一点の曇りもない澄んだ瞳で観客席全体を見渡した。彼女の顔には、もう恐怖の色はなかった。あるのは、深い悲しみと、それを乗り越えようとする強い決意だ。
「この絵の悲しみは、本物です。この痛みは、ここにいる人たちにも、きっと分かるはず」
アイリアはそう言って、古代の言葉で歌い始めた。彼女の歌声は、神秘的な光の粒子になって、まるで雪のように観客席全体に降り注いでいく。その光は、ひんやりと冷たく、そしてどこか懐かしい匂いがした。
その光に触れた人々は、一瞬苦しそうな顔をした後、アイリアを見つめた。みんな、彼女の歌を通して、古代の人々の悲しみと、滅亡の痛みを、肌で感じ取っているのだ。中には、静かに涙を流している貴族の姿もあった。
「な、何だこの力は!?」
ルシウス枢機卿が驚愕の表情を浮かべる。彼の顔は、まるで悪霊でも見たかのように青ざめていた。その隙に、セリアが舞台の陰から駆け出してきた。その手には、もう一つの古代文献が握られている。
「リョウさんの説は正しいです!これを見てください!」
セリアは、彼女が王都で独自に研究していた古代文献を掲げた。その顔は、汗で濡れ、頬は紅潮している。
「父が私に教えてくれた古代文字の解読法で調べました。この文献も、リョウさんが言ったことを証明しています!」
彼女は、父親への複雑な気持ちを乗り越え、真実を選んだのだ。その顔は、誇らしげで、堂々としていた。
俺はセリアの文献を受け取り、大きく息を吸い込んだ。そして、観客席全体を見渡し、力強く宣言した。
「これが俺たちの答えだ!古代の知識は、誰かを滅ぼすためじゃない。未来を救うための、希望の光なんだ!」
円形劇場は、一瞬の静寂の後、割れんばかりの大きな拍手と歓声に包まれた。熱気が、会場の隅々まで満ちていく。拍手は次第に大きくなり、やがて嵐のような大歓声へと変わっていった。
演壇から降りながら、エルヴィスとルシウスの顔を見た。彼らの顔は、悔しさよりも、俺とアイリアへの執着で歪んでいた。それは、学術的な敗北を喫した者の顔ではなく、大切な獲物を取り逃がした捕食者の顔だった。
「見事でした、リョウ殿。しかし、覚えておくことです」
エルヴィスが、俺たちの背後から冷たい声で言った。その声は、耳元で囁かれたように鮮明に聞こえた。
「この街には、あなたが想像もできないほど、恐ろしい闇が潜んでいる」
その言葉に、背筋が凍るような感覚を覚えた。まるで、冷たい水を背中からかけられたようだ。
宿に戻る道すがら、アイリアが俺の腕を掴んだ。その手は、先ほどまで歌っていたとは思えないほど、強く震えていた。彼女の瞳は、まるで怯えた小動物のようだった。
「リョウ、さっきの人たちの目が怖かった。…私たちを、狙ってる」
「大丈夫だ。俺が必ず、君を守る」
アイリアの手を強く握り返した。彼女の温かさが、俺に勇気をくれる。
「それに、俺たちには仲間がいる」
俺たちの後ろを、ノエルとセリアが歩いている。セリアは、俺たちを見て、小さく微笑んでくれた。その笑顔は、彼女が真実を選んだことへの誇りと、そして、これからの戦いへの覚悟を示しているようだった。
心の奥では、俺は不安を感じていた。エルヴィスの言葉が頭から離れない。この王都に潜む「恐ろしい闇」とは、一体何なのか。そして、それは俺たちの何を狙っているのか。
俺たちの旅は、遺跡の謎を解き明かす冒険から、この世界の真実を巡る戦いへと変わった。今夜は静かに過ぎていくが、明日からは本当の戦いが始まるのだろう。俺は古代の知識を武器に、この街の権力者たちと戦う覚悟を決めた。アイリアと共に歩んできた旅の集大成として、この王都で真実を貫き通してみせる。
その日の夜、勝利の余韻に浸ることもなく、俺たちはセリアの部屋に集まっていた。豪華な夕食を前にしても、誰も箸をつける者はいない。テーブルの中央に置かれたランプの光が、俺たちの顔をぼんやりと照らしている。
「…リョウさん。父は…あなたを、もう敵だと見なしているでしょう」
セリアが、絞り出すような声で言った。
「私は父を尊敬していました。父は学会の権威を築き、多くの人々に尊敬されてきた。でも、今日、真実よりも自分の地位を守ろうとする父を見て…私は、初めて父が怖いと思いました」
セリアは、震える声で続けた。
「父が言った『恐ろしい闇』、それはきっと…」
その時、ノエルが口を挟んだ。
「それは、俺の知ってる話と似てます。古代の技術を狙ってる連中がいるって。王都の貴族や、教会の上層部にもいるらしいです」
ノエルは、俺たちの旅の間、ずっと俺たちのことを守ってくれていた。彼もまた、この街の闇を知っているのだろう。
俺は、テーブルに置かれた古代文献に手を伸ばした。あの討論会で、セリアが持ってきたものだ。
「この文献には、古代の人々が滅びの予兆を感じて、知識を後世に残そうとしたことが書かれている。ただの技術じゃない。彼らが犯した過ちの記録だ」
その文献を静かに閉じた。
「俺は、その過ちを繰り返させたくない。だから、この旅を始めたんだ」
アイリアが、俺の隣にそっと座って、俺の手を握った。
「リョウは、一人じゃないよ。私たち、みんな、リョウの味方だから」
彼女の温かい手と、まっすぐな瞳が、俺の心の不安を少しだけ和らげてくれた。
「ああ、ありがとう」
その夜は、誰も眠れなかった。窓の外は静まり返っているが、俺たちの心の中は、これから始まるであろう戦いへの緊張と覚悟で満ちていた。
翌朝、俺たちは新たな計画を立てた。エルヴィスが言う「恐ろしい闇」の正体を突き止めるために、俺たちは別々の行動をとることにした。俺とアイリアは、王都の地下に広がる古代の遺跡を調べる。ノエルは、王都の裏社会にいる仲間たちから情報を集める。そして、セリアは、父であるエルヴィスから、何か手がかりを得ようと試みる。
俺たちの旅は、今、新たな局面を迎えた。それは、遺跡を巡る冒険から、王都の権力と陰謀に立ち向かう戦いへと変わったのだ。
「みんな、気をつけてくれ」
仲間たちに向かって言った。
「うん、リョウもね」
アイリアが、俺の顔を覗き込んだ。その瞳には、心配と同時に、俺への揺るぎない信頼が込められている。この王都の闇を、俺たち自身の力で解き明かし、古代の知識が、再び誰かの手によって悪用されることがないようにと。
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