第5章:知識と権力の戦い
第1話: 王都学会
翌朝、夜明け前の薄暗い道を、馬車は王都へと向かって走り出した。石畳の道が、ガタン、ゴトンと規則的な音を立てる。窓から差し込む朝の光はまだ弱々しく、遠くの地平線が、ほんのりと赤く染まり始めていた。
俺が転生前にいた日本とは違う世界だが、大都市特有の活気と、権威に満ちた空気はどこか似ていた。巨大な図書館や、荘厳な教会が街のあちこちに建ち並び、真理を探求する学者たちが、威厳を保ちながら行き交っている。考古学者だった俺の好奇心がくすぐられるが、同時にこの街に漂う、なにか不穏な空気も感じ取っていた。
馬車から降りた途端、ノエルが目をキラキラさせながら街を見渡した。
「わあ!これが王都なんですね!建物が全部すごーい!」
その隣で、セリアは緊張した面持ちで、警戒するように周囲を見回している。彼女は、この王都の権力争いの根深さを誰よりも知っているし、その中心に自分の父親がいることも分かっているからだろう。
「リョウさん、父はきっとあなたの知識を欲しがります。本当に…気をつけてください」
セリアの忠告に、俺は無言で頷いた。その時、隣を歩いていたアイリアが、俺の服の袖をぎゅっと掴んだ。その指先が、わずかに震えているのがわかった。
「リョウ…この街、なんだか嫌な感じがする…」
俺は、何も言わずに彼女の手を握った。
「大丈夫だ。俺が守るから」
俺の手の温もりが伝わったのか、アイリアは少しだけ安心したように、ふっと息をついた。
その瞬間、俺たちの前に一人の男が現れた。その男は、セリアにどこか面影が似ていて、しかし、彼女からは感じられない冷たい雰囲気をまとっていた。
「秋月遼殿ですね。私は王都学会の筆頭研究者、エルヴィス・アルンです」
男は、セリアの父親だった。エルヴィスは、まず俺を値踏みするような冷たい目で上から下まで見つめ、それから興味深そうにアイリアに視線を移した。彼の目には、俺の研究よりも、アイリアの持つ不思議な力に対する好奇心の方が色濃く浮かんでいるのが見て取れた。
「貴殿の報告書は拝読しました。しかし…古代文明の滅亡原因についての貴殿の説は、我々の長年の研究とは大きく異なります」
エルヴィスは、挑戦的な口調で続けた。
「よって、公開討論会を開きます。そこで、貴殿の説の真偽を明らかにしていただきたい」
それは、学問的な討論のふりをしながら、俺の知識を合法的に奪い、そしてもし俺の説が邪魔になるようなら、徹底的に潰すための罠だと、俺は直感した。
その日の夜、俺たちはセリアの家に招かれた。王都の大学院の近くにある、研究用の部屋を兼ねた簡素な部屋だった。
彼女が用意してくれた夕食は、手の込んだ肉料理や彩り豊かな野菜が並んでいて、この街の裕福さが感じられた。だが、俺とアイリアは、ほとんど手をつけられなかった。王都の権力者たちと初めて顔を合わせた興奮と、これから待ち受ける戦いへの緊張で、喉が通らなかったからだ。
「父は…真実よりも、学会の権威を大切にする人です。リョウさんの研究が、今までの定説を覆すものだと分かれば、何が何でも潰そうとするでしょう」
セリアは、どこか諦めたような、悲しげな顔で説明した。その声は、まるで自分の父親を弁護するかのように、微かに震えていた。
その言葉を聞いて、アイリアが心配そうに俺を見つめる。
「リョウ、やっぱりここから逃げましょう。この街にいると、危険よ…」
アイリアは、まるで迷子になった子供のように不安な表情で、俺に縋るように言った。俺は、彼女の小さな手を優しく握りしめる。
「いや、逃げるわけにはいかない」
強い意志を込めて答えた。
「俺は、この街で古代知識の本当の価値を証明する。そして、権力者たちの企みを、この目で見て、暴いてやる」
アイリアの手を強く握ると、彼女は不安そうな顔をしながらも、ゆっくりと頷いてくれた。
「…分かったわ。でも、無茶は嫌ですよ......」
「約束する」
この王都は、俺たちにとって、今まで探検してきたどんな遺跡よりも危険な場所になるかもしれない。しかし、俺は、アイリアと共に、この戦いに立ち向かうことを誓った。
王都に着いて二日目。エルヴィスから招待された学術交流会に出席することになった。
会場は、きらびやかなシャンデリアが天井から吊り下がり、壁には重厚な油絵が飾られている。豪華なドレスやタキシードに身を包んだ貴族や学者たちが、ワイングラスを片手に談笑している。甘い香水と、古い書物の匂いが混じり合い、どこか現実離れした空気が漂っていた。その中で、俺は普段着のままだった。濃紺のパーカーに、少し色褪せたジーンズ。この空間に不釣り合いな自分の姿に、俺は少し笑ってしまう。
「師匠、さすがにその格好は…」
ノエルが俺の服装を見て、眉を八の字にして困った顔をする。
「いいんだよ。考古学者がこんな場所で着飾る必要なんてないだろ。俺は真実を語りに来ただけだ」
俺の言葉を聞いて、アイリアが嬉しそうに笑った。
「そうよ、リョウはそのままが一番素敵!」
アイリアのまっすぐな言葉に、俺は少し照れて、彼女から顔を背ける。その横で、セリアが小さくため息をついた。
「もう…。リョウさんったら。アイリアさんも、せめてドレスを着てみませんか?」
セリアは、俺たちの服装が周囲から浮いていることを気にしてくれているのだろう。だが、アイリアは首を横に振る。
「私はこれでいい。リョウと一緒なら」
アイリアの素直な言葉に、セリアの表情は複雑そうに歪んだ。二人の距離がどんどん縮まっているのを、彼女は肌で感じているのだろう。
会場に入ると、一斉に俺たちに視線が集まるのを感じた。好奇心、軽蔑、そして探るような目。みんな俺の古代知識に興味があるようだ。その視線は、まるで獲物を狙う猛獣のようだった。
しばらくすると、ひとりの老人が俺の前に立った。分厚いローブを身につけ、その首には巨大な金色の十字架がぶら下がっている。その瞳は、深淵を覗き込むように冷たく、俺を値踏みするような鋭い視線が、まるでナイフのように俺の心に突き刺さった。
「あなたが噂の若き考古学者ですね。私は教会のルシウス枢機卿と申します」
彼の言葉は、穏やかでありながら、鋼のような硬さがあった。
「あなたの研究は神話を否定するものです。到底、認めるわけにはいきません」
「真実はいつでも探求されるべきでしょう。それが学問の、いや、人間が持つべき探究心というものではないですか?」
俺の反論に、枢機卿は鼻で笑った。
「真実など存在しません。あるのは、神が定めた秩序と、我々が信じるべき教えだけです」
彼の言葉の傲慢さに、怒りにも似た感情を覚えた。口の中が鉄のような味で満たされる。その時、俺の隣にいたアイリアが、静かに口を開いた。
「違うわ。真実は、ちゃんとある。あなたたちが、見ようとしないだけ」
アイリアは、一点の曇りもない澄んだ瞳で枢機卿を見つめている。彼女の瞳には、俺たちが見てきた古代の記憶が宿っている。枢機卿も、その不思議な力に気づいたようだ。彼の顔から、一瞬、嘲笑が消え、驚きと、そして、底知れぬ恐怖が浮かんだ。
「ルシウス様、ここは学術の場です。お引き取りください」
その時、エルヴィスが静かに近づき、枢機卿を牽制した。だが、その声は冷静でありながら、どこか焦りの色を含んでいた。彼の目にも、俺の知識とアイリアの力が、喉から手が出るほど欲しいという欲望が見て取れた。
交流会が終わり、宿に戻ると、セリアが俺たちの部屋を訪ねてきた。彼女は、昼間とは違う、簡素な、しかし上質な服に着替えていた。
「気をつけてください、リョウさん。父も、ルシウス枢機卿も、あなたが手にしている古代の知識という力を、自分たちのものにしようとするはずです」
セリアは、窓の外を眺めながら、ぽつりとつぶやく。
「そして…、残念ですが、そのためには手段を選ばないはずです」
彼女の言葉を聞いて、アイリアが不安そうに俺の顔を見つめた。俺は、彼女の手を握って、優しく微笑む。
「分かってる。でも、もう逃げない。ここで俺は古代知識の本当の価値を証明する。そして、権力者たちの企みを暴いてやる」
アイリアは、不安そうな顔をしていたが、俺の決意を理解してくれたようだった。
「…分かった。でも、一人で抱え込まないで。私たち、仲間なんだから」
その言葉に、俺は心が温かくなった。ノエル、セリア、そしてアイリア。俺には仲間がいる。みんなで力を合わせれば、きっとどんな困難も乗り越えられる。
その夜、俺は明日の公開討論会に向けて、資料を整理し直していた。古代文字で書かれた、崩れかけた羊皮紙。その匂いを嗅ぎ、指先でその凸凹をなぞる。一つひとつの文字が、古代文明の叡智と悲劇を物語っている。
「リョウ、少しは休んで」
アイリアが、俺の隣に座って、優しい声で言った。彼女の手には、温かいミルクの入ったマグカップが握られている。
「ありがとう。でも、もう少しだけ…」
「無理しちゃダメよ。明日、リョウが倒れたら大変なんだから」
アイリアは、俺の隣にそっと寄りかかって、俺の手から羊皮紙を一枚、そっと抜き取った。
「私がいるから、大丈夫。私たちは一人じゃないから」
彼女の優しい眼差しに、俺の心の緊張が少しずつほぐれていくのを感じた。
この王都は、今までの遺跡よりもずっと危険な場所になりそうだ。だが、俺は負けない。アイリアのため、真実のため、そして未来のために、戦い抜くと心に誓った。
そうして俺は、温かいミルクを一口飲む。口の中に広がる優しい甘さが、俺の心を静かに満たしていく。
明日の公開討論会は、今まで以上に厳しいものになるだろう。だが、俺は一人じゃない。アイリアと、仲間たちと、この戦いに臨むのだ。
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