第34話 眠れない夜は、君のせい

 パタン、と静かにドアが閉まる音を聞き届けて、私はベッドの上に崩れ落ちた。

 顔が熱い。心臓が、今にも張り裂けそうなくらい、うるさく鳴り響いている。


「~~~~~~~~~~っ!!」


 声にならない悲鳴を上げて、枕に顔をうずめる。

 もう、ダメ。無理。恥ずかしすぎて、死んじゃう……!


 さっきまでの出来事が、脳裏に何度も何度もフラッシュバックする。


 守くんに、押し倒された。

 ベッドの上で、彼の腕の中に閉じ込められて、至近距離で見下ろされた。


 『僕だって、男なんだぞ』


 あの時の、彼の顔。

 いつも私を見守ってくれる、優しくて、少し困ったような顔じゃない。

 知らない、男の人の顔。


 低くて、少し掠れた声。

 熱を帯びた、真剣な眼差し。


 私の唇をなぞった、彼の指の感触。

 その一つ一つが、私の体に焼き付いて、離れない。


 怖かった。

 でも、それ以上に……ドキドキして、心臓が止まらなかった。


 もっと、触れてほしい、なんて。

 そんなこと、思ってしまった。


「うわあああああ、私、何考えてるの! ばかばかばか!」


 枕をバンバン叩いて、羞恥を追い払おうとするけど、無駄だった。

 むしろ、思い出せば思い出すほど、体の奥が、じんと熱くなる。


 それに、追い打ちをかけるように、お母さんまで帰ってきて……!


 『手を出すならちゃんと、最後まで責任、取ってあげなさいよ?』


「きゃあああああああああっ!」


 思い出しただけで、耳まで真っ赤になる。

 責任って、何!? もう、お母さんまで、何を言うのよ!


 でも、あの時の守くんの、狼狽しきった顔。

 しどろもどろで、必死に言い訳してる姿。


 思い出すと、おかしくて、可愛くて、愛おしくて……胸がきゅーっと締め付けられる。


 守くんは、私のことを、ちゃんと女の子として見てくれてる。

 ただの世話の焼ける幼馴染じゃなくて。


 その事実が、恥ずかしいけど、それ以上に、どうしようもなく嬉しかった。


「えへ……えへへへ……うきゃあああああ!!」



 ベッドの上でごろごろと転がりながら、私は天井を見上げる。

 今日の出来事だけじゃない。

 最近の守くんは、なんだか、いつもと違う。


 ううん、違うのは、私の方かもしれない。

 私が、守くんを意識しすぎてるんだ。


 きっかけは、いつからだっただろう?

 ずっと好意は持っていた。


 でも、それが何よりも確実になったのは、きっと、あの撮影の日。


 鬼灯さんの厳しい言葉に、心が折れそうになった時……私は、無意識に守くんを探していた。


 スタジオの隅で、心配そうに私を見つめる、彼の姿を見つけた瞬間。

 張り詰めていた緊張の糸が、ふっと緩んだんだ。


 ――守くんがいる。


 そう思っただけで、不思議と力が湧いてきた。

 鬼灯さんが求めていた「寂しさと温もりが同居した表情」なんて、難しいこと、私には分からない。


 でも、守くんを見ていたら、自然と、そんな気持ちになれた。

 冷たくて厳しいプロの世界で、たった一人、私の絶対的な味方がそこにいる。


 その安心感が、私の心を温めてくれたから。

 それこそが、きっと寂しさと温もりが同居した気持ちなんだって、思えたから。


 あの時の、シャッター音の嵐。

 カメラのレンズじゃなくて、守くんだけを、ずっと見てた。


 私の視線の先にいる彼が、少しだけ、誇らしそうに笑ってくれた気がした。

 それが、たまらなく嬉しかった。



 綺羅先生の言葉は、氷みたいに冷たくて、私の心を凍らせた。

 私を遠ざけようとしていたみたいだから、耳をそばだてていたんだ。


 『あなたの存在が、彼女の可能性を縛る枷にならないと、言い切れる?』


 あの言葉に、守くんがどれだけ傷ついたか、私には分かった。

 でも、彼は、私の前ではそんな素振り、少しも見せなかった。


 それどころか、守くんは、綺羅先生に言い返してくれた。


 『僕は彼女の枷にはなりません。むしろ、彼女をさらに高く羽ばたかせる翼になります』


 翼、だって。

 私の、翼に。


 帰り道、彼が自分の弱さを曝け出してくれた時、私は、嬉しくて、泣きそうになった。

 守くんも、私と同じように、悩んで、迷って、苦しんでたんだって。


 そして、それでも、私の隣にいたいって、言ってくれた。


「……守くんの、ばか」


 ぽつりと、呟く。

 枕に顔をうずめたまま、私はくすくすと笑った。


 ばか。本当に、ばかだよ。

 私が、守くんの隣以外に、居場所なんてあるわけないじゃない。


 私がモデルとして輝けるのも。

 私が学校で優等生でいられるのも。


 全部、守くんが、私のダメな部分を、全部受け止めて、支えてくれてるからなのに。




 抱き枕にされた夜のことを、思い出す。

 一晩中、眠れずに、私のわがままに付き合ってくれた、守くんの優しさ。


 あの腕の中は、きっと世界で一番、安心できる場所だった。

 守くんの匂いに包まれて、彼の心音を聞いていると、どんな不安も、プレッシャーも、全部消えてなくなっちゃう。


 まったく眠れてない隈のできた守くんには申し訳なかったな。


 そして、今朝の、あのハプニング。


「あああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」


 思い出しただけで、また顔から火が出そうになる。

 私の、あそこに、守くんの顔が……!


 もう、お嫁にいけない……!

 いや、守くんのお嫁さんになるなら、別にいいけど……!


 って、私、本当に、何考えてるんだろう!


 でも、あの時の、守くんの真っ赤な顔。

 完全にフリーズして、固まっちゃってた、あの顔。


 思い出すと、可愛くて、可愛くて、仕方がなかった。


 いつも私を甘やかして、お世話してくれる、お兄ちゃんみたいな守くん。

 でも、本当は、私と同じ、普通の男の子なんだ。


 私にドキドキして、顔を赤くして、理性を必死に保とうとしてる。

 その事実が、私の心を、甘い優越感で満たしていく。


 もっと、困らせたい。

 もっと、彼の知らない顔を、引き出してみたい。


 私だけが知ってる、彼の特別な一面を、もっと、もっと、見てみたい。


 勉強を教えてあげてた時の、私の吐息がかかる距離で、固まってしまった顔。

 頬についたクッキーの食べカスを、私が取って、食べた時の、彼の驚いた顔。


 そして、私をベッドに押し倒した時の、あの、熱を帯びた瞳。

 全部、全部、私の宝物だ。


「……好きだなぁ」


 ぽろり、と本音がこぼれ落ちた。

 言った瞬間、自分でびっくりして、また枕に顔をうずめる。


 好き。

 うん、好きだ。


 ずっと前から、当たり前のように隣にいて、私の全部を受け止めてくれる、守くんが。

 料理を作ってくれる、優しい守くんが。


 私のために、プロの世界にだって立ち向かってくれる、格好いい守くん。

 私のせいで、ドキドキして、顔を真っ赤にしてる、可愛い守くん。


 全部、全部、大好き。


 この気持ち、いつか、ちゃんと伝えられる日が来るのかな。

 ううん、まだ、ダメ。


 今はまだ、この甘くて、少しだけもどかしい、幼馴染の距離感を、もう少しだけ、楽しんでいたい。


 守くんを、もっと、私に夢中にさせて。

 私なしじゃ、もう生きていけないくらい、夢中にしてあげるんだから。


「ふふ、ふふふ……」


 明日、どんな顔して会おうかな。

 また、ちょっとだけ、意地悪して、困らせてみようかな。


 そして、いっぱい、いっぱい、甘やかしてもらおう。

 そんなことを考えていたら、胸がいっぱいで、幸せで、もう眠れそうになかった。


 眠れない夜は、いつだって、君のせいだよ。

 守くん。

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