第56話  鋼鉄の獣

闇を裂くのは、鋼鉄の足音か、追いすがる怪物か。どちらにせよ、この夜、獣の名を持つのは人間ではなかった。



電灯の消えた梅センター内


暗闇に沈んだ廊下。

余震で天井から落ちる小石の音だけが、やけに大きく響く。それ以外の全ての音が吸い取られたように、沈黙が支配していた。


「……静かすぎる」

祐也が小さくつぶやく。


空気が重く、湿っている。呼吸をすると肺の奥が詰まるような、化学物質のような瘴気が流れ込み、喉が塞がる感覚に襲われた。鉄と油の焦げた匂いが漂い、赤い非常灯の明滅に合わせて影が揺れる。


その時だった。

――カチ、カチ。

金属が擦れるような、微かな音。

規則的な足音ではない。滑るように、何かが“這って”いる。


アオイが震え声で呟く。

「……誰か、いる……」


闇の奥に、ふっと赤い点が灯った。

一つ、二つ、三つ……。

まるで獣の眼が、こちらをじっと見据えているかのように。


タケルが前に出る。

「……来るぞ」


祐也の心臓が大きく跳ねた。

次の瞬間、耳をつんざくような金属音が廊下に響き渡る──。


「逃げろ!」


不気味な影が映る。


タケルが瓦礫から鉄パイプを構え、戦闘体制になる。

「ダメだ、殺されるぞ!」

掴んでいるパイプを叩き落とされた瞬間、目の前に現れ、蹴りを喰らう。


「速い、人間じゃない!」

祐也が、足を蹴りで攫うが倒れない。

胸ぐらを掴まれ、身体が宙に浮く。


アオイとタケルでキャビネットを倒し、下敷きにする。


「今だ!走れ! こっちだ」

「窓が開いている!外に出れそうだ」


「ローンッ!!聞こえるか! ヤバい奴らに追い詰められてる!」

祐也が叫んだ。

「倉庫に競技用、CORLEAーF3があるわ! それで逃げなさい!」

紫音が起動させた。


「何だ?動物型ロボットか⁈ どうすればいい?」

「またがって走らせるの! 70kmがマックスよ。

振り落とされないように!」


「アオイ俺と乗れ!タケル!行くぞ!正面突破だ」


CORLEA-F3の関節が火花を散らし、瓦礫を蹴るたびに地面が震えた。四足の鋼鉄の獣が唸り声を上げて疾走する。祐也は怪我したアオイを胸に抱きかかえ、必死に体を支える。


「しっかり捕まってろ!」

「……祐也、初めて素敵だなって感じた」

「うるせぇ! 今は黙って運ばれとけ!」


背後ではサイバー兵士の金属音が迫る。ガシャン! と壁を突き破り、赤い非常灯に反射する黒い影が追いすがる。タケルが振り返り、叫んだ。

「やべぇ、囲まれるぞ! さすが、KAWASAKIだ!速いぜ!」


CORLEAの人工筋肉が張り詰め、鋭い駆動音とともに速度が跳ね上がる。

「70……80! まだ上がる!」紫音の声が通信に弾んだ。


瓦礫だらけの廊下を、CORLEAはまるで水面を駆けるかのように突き抜けていく。鉄骨が倒れ、ガラス片が舞い、赤い明滅の中で三人の影が揺れる。


前方――非常口の先、闇を切り裂くように車のヘッドライトが照らされた。

希望の光。


祐也はアオイを強く抱きしめ、胸の奥で小さく呟いた。

「……逃げ切ってやる」


タケルが吠える。

「行けぇぇぇ!」


CORLEAは最後の跳躍で光の中へ飛び込んだ。赤い非常灯の明滅も背後の金属音も、一瞬だけ置き去りになる。


だが、その出口の前に――

四体のサイバー兵士が立ちはだかった。


タケルがパイプを振り上げる。

「どけぇぇ!」

しかし鋼の体に歯は立たない。


「近づけ!今からパルスを流す!」紫音の声が弾む。

「飛びかかってすぐ逃げて!……今よ!」


兵士たちが一瞬フリーズする。だが再起動は早かった。金属音が再び響き、迫り来る。


「もうダメか――」祐也が歯を食いしばった、その時。


ドガァッ!

サイバー兵士の一体が、横から吹き飛ばされた。


「……なに、仲間割れ?」タケルが呆然と呟く。

だが祐也の目には、ただの誤作動ではなかった。


非常灯に照らされる黒い影。拳を繰り出す角度。

足の運び。間合いの詰め方。


――体が覚えている。何度も対戦したあの動き。


「……レン」

祐也の喉から熱を帯びた声が漏れた。


顔は見えない。声もない。

それでも、確信だけは揺るがない。


その瞬間、ジンの声が鋭く割り込む。

『祐也!今のうちに走れ!早く!』


祐也はアオイを抱え直し叫んだ。

「タケル、行くぞ!」


CORLEAが咆哮を上げ、三人を乗せて光の先へ突き抜けた。


アンドロイドが一体走ってくる。

「アキラだ!彼も車に乗せてやって」


――


長老たちは再びモニターを睨みつけていた。


「……逃げられたじゃないか」

「やはり前回の誘拐未遂も、彼ら自身の計画だったということか」


「追跡はどうなっている?」


「目標は横浜方面へ向かったのち、不明。……サイバー兵士の動きが一分ほど完全に停止しました」


会議の空気が凍りついた。


「やはり……完璧と思われた思考制御も、通信が途絶すれば脆い。改良が必要だ」


「現場から報告。異様な脳波を検知――その後、一体が味方に攻撃しました」


「味方に……? そんな馬鹿な」


オペレーターが声を震わせる。

「ΩNova……です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る