試行錯誤

@wlm6223

試行錯誤

「スミス博士、まだKEF-110の培養を進めますか」

「いや、もういいだろう」

 その一言で私は人口子宮への酸素注入を止めた。

 また失敗だ。

 ここロスリン研究所は、簡単に言ってしまえば「クローン生物」の実験をしている。当初はこれほど長くクローン生物の研究に時間がかかるとは、現場の科学者も、予算を投入してくれた政治家も予想していなかった。

 クローン生物の未来は明るかった。

 病気を持たない家畜のクローンを量産して将来の世界的飢饉に備える。絶滅危惧動物のクローンを制作する、そんな目標が掲げられていたのだ。

 ちょっと言いにくい用途として、難病の人間のクローンを作り、その患部だけを摘出して移植する、大物政治家の影武者を擁立する、大富豪の「永遠の命」を達成する。まあ、クローン技術の使い道はいくらでもあった。

 しかしまた試験に失敗した。もう何度目かも忘れてしまった。

 今、私の目の前にある験体「KEF-110」もその名の通り、110番目の験体だ。「KEF]とついているのは、Aから数えてKまで、11番目だ。各アルファベットにつき何体の験作が作られたのかは知らない。恐らく悠に千体は超えていると予想される。

 科学者は諦めることを知らない。それは科学者の美徳でもあり矜持でもあり、自分たちが世界の科学をリードし、全人類の希望の星となる日が来るのを確信しているからだ。これはキリスト教で言う創造神への挑戦でもある。いや、神がお造りになられた世界の設計図をトレースする作業といってもいい。

 あらゆる生物は交配しその子孫を作る。その子孫は父方・母方のDNAを宿し次世代へとその生を受け継いでいる。これが自然界での法則だ。

 が、ここロスリン研究所ではその交配を人工的に行っている。無論、DNAも操作している。より良き子孫を残すのは、私個人としては賛同している。ただそれが自然の法則に則っているのか、科学の力に頼っているか、その違いでしかないと思っている。

 そもそも世間ではこのクローン技術を悪魔の科学という人もいる。だが待て。クローン技術は医療の分野、食料危機の面において革新的な技術にもなり得ると私は確信している。

 かつて自動車が発明された時、道交法はなかった。そう。発明当時の自動車は無法に走り回っていたのだ。それが現代ではきちんと自動車の運用について法整備がなされ、今では社会生活にはなくてはならぬ存在になっている。

 クローン技術も、いつか自動車のようになるだろう。それは決して遠い未来の話ではなく、あと五年、いや十年内の話になるかもしれない。だから科学は野放図に拡張を推し進め、政治家と連携してその法整備をし、科学の社会的有用性の恩寵を世界に齎すのだ。

 しかし、今、私の目の前にいるKEF-110は、その「科学の恩寵」とはかけ離れていた。

 透明のビニール袋で作られた人工子宮の中でKEF-110は息絶えようとしていた。

 その姿は生を目前にして生まれることなく世を去るという、科学が与えた運命に抗う力は持っていなかった。

 KEF-110――頭がなく、パンケーキ状の胴体に二つの目がめり込んでおり、足は五本あった。呼吸のための器官はそのパンケーキの頂点にあり、臍帯はパンケーキの真ん中にあった。

 この茶色い不気味な生物は、今、私の手によってその命を断たれようとしていた。

 本来なら羊として生を享ける筈だったが、奇怪なモンスターになってしまった。。

 KEF-110は失敗作だ。こんな生物を世に放てない。

 このKEF-110の姿を見たら、動物愛護団体は血相を変えて猛抗議するだろう。

 やれ科学者たちが生命を弄んでいる、生命への冒涜だ云々……それもそうかもしれないが、この実験があるからこそ将来の人類の発展へと繋がるのを、彼らは予見できていないのだ。自動車の発明以来、何百万人が事故死したのか、彼らは知らないのか? 科学の発展の恩恵を受けながら、新規の科学には眉根をひそめる。私はそういう近視眼的な視野を軽蔑している。

 私はKEF-110に繋がれた臍帯ポンプや各種測定器の配線を取り外した。KEF-110も何かを感じたらしく、びくびくと動き出した。本能的に死の予感を察知して恐れ戦いているのだろう。

 すまんな。お前はこの世にいてはならん存在なんだよ。もし、ほんのちょっとの違いで立派なクローン生物になれたとしたら、その余生はロスリン研究所の手によって寿命まで生かされていた筈だ。ほんのちょっとの違いなんだ。

 私はKEF-110を台車に乗せて焼却室へ向かった。その間もKEF-110は全身で暴れ回った。五本の足をばたつかせる様子は気味悪かった。が、こういった失敗動物(と言っていいのか?)の今際の際に立ち会うのにも慣れていた。

 KEF-110は焼却室で2200℃で焼かれてこの世を去った。そう。失敗動物であるKEF-110の細胞一つ残らず焼却しないと、自然の生態系にどんな悪さをするか分かったものではないから、一瞬で燃やし尽くさねばならないのだ。

 私はクリスチャンだが同時に科学者でもある。自分の仕事と宗教観に矛盾を感じる時もあるが、そこは仕事とプライベートを屹然と切り分けるようにしている。

 KEF-110よ、願わくば天に召されよ。

 それだけが私の最後の願いだった。

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