もうたん
秋風
第1話 味方になった日
私の暮らすアパートには、お母さんとおねえちゃんと『もうたん』がいる。そして偶にお母さんの友達ではない男の人が家にいる。
リビングにはお母さんと男の人(Aさん)がいる。
5歳の夜は早い。21時を過ぎてしまえば私の体はうつろうつろとしていく。肩を薄い壁にぶつけ、スリスリと足を床にこすりながら寝室に向かう。
眠いと言っているのに、そんな体とは背反して、リビングから漏れるテレビの声に反応する。ギラギラと眩しいが引き戸の隙間から差し込む。瞼はびくっとする。
テレビの声。クスクスと笑う声に引きつるよう笑い声。微少なアルコールの匂いがツンと鼻に刺さる。ビール缶をテーブルに置く音。二人が動くたびにぎしぎしと不規則に軋むソファ。すべて私ではないものから放たれる刺激物達。こめかみにピクピクと小さな痙攣が入り、左の口角が上がる。
お友達ではないAさんはお腹がだらしなく出ていて、腕は太いが筋肉がついている様子ではなく、スーパーに売っているような魚肉ソーセージのようにパンパンとしている。ソファの上に横たわりポテトチップスを食べながら雑誌を読んでいる。口から溢れたであろう食べカスを気にもしないところが嫌いだった。
自分の家ではないソファでくつろぐAさんに不満を言うと母はとやかく嫌がった。Aさんの方が母に愛されてるのか?と疑う。私は母の愛情が他人に向けられることに対して、自分自身の居場所を取られてしまったと思った。
けれど、私にはもう一つ居場所があった。それが【もうたん】だった。祖母から聞いた話では、わたしともうたんは生まれた時から一緒に居て寝るときは当然のこと。どこへ行くのにも一緒だった。毛布の形をしていて、5歳の私の体を覆ってくれる位の大きさをしていた。姉にじゃんけんで負けて、母が隣にいない時も。訳も分からず一人で泣きじゃくっているときも。テレビを見るときも私ともうたんはいつも一緒に居た。
「もうたんの為なら何でもできる。」そんなことも思っていた。
夏休みは祖母の家に3週間ほど遊びに行く恒例行事があった。その日はうさちゃんを手洗いでお風呂に入れてあげようという話をして、固形の石鹸で一つ一つ耳や手を洗い、蛇口をひねり水を貯めすすぎ流す。目に石鹸が染みないか、水をどんどん吸収していく姿に苦しくはないかと心配しながら洗濯機に入れた。脱水というものをしないと乾かないことを知らない私はもうたんを洗濯機に入れることを頑なに嫌がり続けた。洗濯機の無差別に揺れ動き、ゴウンゴウンと唸る音、無慈悲に回される、そんな水責めのような所業をさせられるものかと。
乾かないものは仕方がないと、脱水にかけられたもうたん。洗濯機の回る中冷たい筐体に体を張り付けて少しでも同じ空間でいたいと、頑張っているもうたんの傍に居たいとピーピーッ‼と音が鳴るまで分厚く揺れ動く仕切り越しに傍にいた。
姉と喧嘩をしたとき、もうたんを私から引っ張り、ちぎれてしまうのではないかと思う力が加わった時私はもうたんから手を放してしまった。洗面所へ連れていかれた、やられた。洗濯機の中に投げ込まれていた。不運なことに浴槽には水が溜まっていた。ぐっしょりと濡れた部分をすくい出して抱え込む。服がびちょびちょに濡れることを気にしている余裕はなかった。悲しい気持ちがワッと沸き、その直後には怒りと悲しみが頭の中で渦巻いていた。今私はどうするべきか。人を殴ることへの躊躇、倫理など今考えることではない。もうたんが酷いことされたのにそれをまんまと許していいものなのか、やり返さないというのは私の忠誠心に反することだった。
ゴンッと固いもの同士がぶつかった。姉の頭を殴った。棒状のものを持って、感情がぐちゃぐちゃになった。そのあとはお互いもみくちゃに掴み合いをした。服を引っ張りあっていても私の心の中は、私は裏切ってないよ。あなたのために戦ったよ。その満足感だけでいっぱいに満たされていた。
もうたん 秋風 @902mou-syuka
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