第5話

小学校の三年生の後半から中学を卒業するまでサッカーをやっていた。そのおおよそ六年ほどの間で俺が覚えた1番の事は、停滞感という一言に尽きる。自分以外の仲間どんどんと上手くなっていく中の孤独。勝利という共通の目的があるのにも関わらず感じる疎外感。俺だってチームの役に立てるのに――皆と勝利を分かち合いたいのに!

背筋に怖気がさす程鮮明にあの砂埃のグラウンドを思い出せるのに、良い感情が産まれてこない。


そんなものを感じない程に、俺は接客というものにのめり込んでいる。売上の達成、お客様からのありがとうの言葉。林さんの言葉はいつも俺を成長させるし、高嶋さんはちょっとウザいけど、大体すごい。

でもいつもどこでも、あの経験が俺の脳裏には常にあって――俺は役に立ちたいし喜んで欲しいし、自分に価値が欲しい。


だからこれは、俺が最高の販売員になるまでの話しだ。

革靴がすり減るまで、お客様と向き合った、俺の話しだ。



――――



ある日の夕方、一人の男性が店に入ってきた。

歳は俺よりちょっと上かな、二十代半ばくらい。少し緊張した顔で、服を一枚ずつ見ては戻してを繰り返してる。

首を傾げたり、商品を見ながら視線が上にいったり。……たぶん、なにかをイメージしながら品を吟味されているのだろう。身体にあてて鏡を見ては商品を棚に戻す。繰り返し行う行動はそれ自体が意味がある儀式のようだ。


「いらっしゃいませ」

俺は声をかけたけど、男性は「どうも…」って小さく返した。「なにかお探しですか?」

言うか言うまいか、数巡した後のこと。俺も林さんの言葉を思い出す。

お客様がなりたい姿。


「あの…デートなんですけど、服を選んでもらえますか」


デート。

その言葉に、正直にびっくりした。デートって、あのデートだよな。


「で、デートですか?」

「はい。正直に疎くて。いろいろ調べたんですけど結局わからなくって」


俺は必死に考えた。

お客様はどう見られたいんだろう。

どんな風になりたいんだろう。

デートで過ごす時間、行く場所と、相手の表情。


思い切って聞いてみた。

「その…どんな感じに見られたいですか?」

また数巡。男性は少し照れて、でも正直に言った。

「えっと…モテたいです」

目線を逸らしながら、でも確かに。慟哭にも似た心の吐露。


俺は思わず笑いそうになったけど、必死にこらえた。

「あ、すみません。でも、すごく大事なことですよね」


モテる。モテ……か。「もちろんお相手に対してってことですかね?」

「そうです」

モテもくそも、相手の価値観次第で変わる。瞬間最高風速を記録しながら高速回転する俺の脳。モテるとは。俺がモテた瞬間。あ?なんだそれ?

「どんな方との、どんなデートなんですか?」

「この前マッチングアプリで出会った女性と、初めてデートの約束して。最初だから軽くご飯だけってなってるんですけど」


「少々お待ちください」

どうしたらモテるか、俺にはわからない。モテた経験が思い出せないから。体験が通じない。でもなんか、勇気を出して相談してもらったのに、答えれないのは違う。

だから穂高にも小声で相談した。

「なぁ、女の子ウケいい服って、どんなのだと思う?」

「なにそれ?似合わない」

「ちげぇよ。いいから、女の子はどこみてんの?」

「清潔感。変に気取らないこと。それだけで十分だよ」


なるほど。

清潔感か。それなら色々試したからなんとなくわかる。俺は一緒にラックを回りながら、少しずつ提案した。

ハリのあるシャツ、気温が下がって来たから体温調節にも役立つし、何より清潔感がある。肩が入っていないジャケットと合わせて、こなれてる感じとリラックス感も出る。

色は――そうだな、これはお客様の意見を聞こう。


俺の言葉は、接客用語じゃない。

ただ自分の体験を伝えるだけ。

でも、お客さまは何度も頷いて、笑顔になっていった。

「こういう感じなら清潔感もあるしモテにもなるし、初めてのデートを楽しめる余裕とかもでると思うんですけど……どうですかね?」

「いいですね。なんか、上手く言えないですけど。水嶋さん?でしたか。貴方と話してると自分がモテたいというより、その女性に好印象を持って欲しいって、それで単純にデートを楽しみたいって、そんな感じがしてきました」


ややあって試着。たぶん似合うって思う。清潔感も大丈夫。あとはお客様のなりたい姿に寄り添えているのか。

「これ、いいですね。思いつきませんでした」

フィッティングルームのカーテンを開きながら、そんな言葉。ガッツポーズ、はしなかったけど、俺も自然と笑っていた。

「実は…俺も最近試着してて、意外と合わせやすいなって」

「この気取りすぎてない感じが気に入りました」

「や、絶対その方がいいと思ったんです!」

そんなやりとり。試着室から出てきたとき、まるで別人のように自信をまとっていた。


「これで、デート行ってきます」

少し照れながらも、誇らしげな笑顔だった。



その横で、店長が静かに見守っていた。

「……靴は、いつも誰かを知らないとこに運ぶ。不思議なもんだ。」


俺はハッとした。

自分の接客が、お客さまの未来に繋がった瞬間。素直に、彼のデートが上手くいくと願ってる自分が可笑しかった。

これが、販売員の仕事なんだ。



――――


唐突にサッカーをやっていた自分が、ひどく矮小で滑稽なものに思えた。

誰かの為に役に立つ事。

文章に起こすと酷くチープなもんだ。けどこれがあの頃の俺には足りなかった。

もっと俺を見ろ!ってそう思っていた幼少時代の俺に「俺、販売員になるよ」って告げながら。俺は売り場に戻っていった。

靴がすり減るまで。



――――



販売員穂高は伸び悩んでいた。理由は同じセクションで働く化け物みたいな先輩と、本気でそれに立ち向かう同僚のせいだ。

水嶋の狂気にも似た、接客へののめり込みかた。外貨を稼ぐための自分の働き方とは本質から違う、叶えたい夢の形。

だからあるお客様が「水嶋さんって方、本日出勤されてますか」って来店された時、驚いたと同時になんか納得してる自分がいた。

名前で呼び合うことは、販売員にとって理想的な関係。


「水嶋ですね。本日は休みを頂いております」


朝礼でその日のタイムスケジュールを共有するから、今日水嶋が休みなのは把握していた。


「そうですか、残念です。では言伝をお願い出来ますか。

この前のデート、上手く行きました。ありがとう。あの服を着てるとありのままの自分なのに自信が出たんです。

――本当にありがとう。と、お伝えください」


水嶋がいつもブツブツ言いながら試着して商品メリットをメモしていたのを、穂高は知っていた。お客様との距離感や、なりたい姿のヒアリングや、そんな自分の接客に真摯に向かい合っていたのを知っている。

だからそのお客様のその一言は、特段特別な言葉ではなかったのかも知れない、と穂高は考えた。同僚が褒められている事に対して嬉しいやら、悔しいやらで混乱した頭で。


「水嶋さんに次のデート服もよろしくと言っていたとお伝え下さい。また来ます」


そのお客様を見送りしている僅かばかりの時間だけでも、穂高が惨めさを噛み締めるには充分な時間だった。

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靴底がすり減るまで――接客にかける青春 たろー @taro_akatsuki

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