20 ご依頼(いや圧力) 十億円の損失 嘘を言う娘

 午前十時、霞が関のとあるカフェで桜井健司(四十七歳、桜井イノベーション株式会社社長)は、総務省の役人二人と同席していた。役人の一人は安東高徳(五十三歳、情報流通行政局 総務課長)、もう一人は廣瀬照隆(四十八歳、総合通信基盤局 総務課長補佐)である。


「えっ?随契ずいけいじゃなくなった?」桜井健司は驚いて二人を見つめた。


 随契(随意契約)は、国や地方公共団体などの役所が、入札を行わずに特定の一社を役所が選定し、直接契約する方法である。昨今の官公庁は複数の業者で値段や内容を競わせる「競争入札」が原則である。

 しかし総務省はこれまで桜井イノベーションへの連続発注を何年も繰り返していたのである。それは決して癒着ではなかった。随契が適用できる厳格な条件をしっかりとクリアしていたのである。

 すなわち、システム拡張や運用改善で桜井社の技術が不可欠とされた。また過去の仕様やデータ形式、また運用履歴に特有ノウハウが絡むため、一般競争入札を実施した場合も事実上対応可能な業者が他に存在しないとされた。そしてその旨を仕様説明や見積依頼などでしっかりと書面にするように指示していた。  

 実際桜井社は関連業務に確かな実績があった。細かい説明をしなくてもあうんの呼吸で細かい仕様まで理解してくれた。技術力は確かで納品されたシステムは問題がなく使いやすかった。

 競争入札をしてハズレを掴むよりよほど安全だとの判断により随契が繰り返されてきたのである。

 

 こうした経緯により桜井はこの数年、総務省のとある危機管理クラウドプロジェクトとその関連業務を一手に引き受けていた。

 桜井社はそのプロジェクトで年間十億円の売り上げをあげていたのである。何年も、何年も。そしてそれが桜井社の受注額の9割、あるいはそれ以上を占めていた。

 その仕事を受けられないと、桜井社は売り上げ見込みが全く立たなくなってしまう。倒産の危機に直結する事態に陥るのである。

 幸い桜井社は年初に補正予算の仕事を受けたばかりであった。秋ごろまでの受注は確保されていた。

 しかしそれ以降の仕事のあては全くなかった。桜井社は必死で営業を行わなければならなくなったのである。


「ええ。国民の税金ですからね。競争入札をやれという圧力が最近強くなっておりまして……」安藤が真面目な顔で言った。

「で、ですが……われわれにはノウハウが。お安くできますし」健司が食い下がった。

「おや?では今まで水増し請求されていた。そういうことですか?」

「い、いいえ。そ、そんなことは。何とか資材をやりくりして……」

「おやおや?今まではそのようなあたり前の努力もされずに国民の税金を食い物にされていたと?」


 健司は言葉に詰まった。ど正論であった。そして正解であった。延々と続いた随意契約。ルーティンになった仕事。実はかなりの儲けが出ていたのである。


 安藤はコーヒーカップを置いて健司を見つめた。


「ところで……」

「はい?」

、何やら、イジメをされているそうで」

「は?」

「いえね。ちょっと知り合いがいましてね。その人のご子息がオタクのお嬢さんと同じ学校でしてね……」

「は、はぁ……」

「それで、お嬢さんのイジメを見て心を痛めている……そうご両親に言ったそうなんです。かなり……ひどいいじめだと……」

「え、い、いや……子供同士のことですから……そ、その……場合によっては行き過ぎたこともあるかもですが……」


 バンッ


 安藤がテーブルを叩いた。健司はビクッと肩を震わせた。


「あ、失礼。虫がね……テーブルにおりまして……つい……」

「そ、そうですか」


 安藤は手をお絞りで拭いた。その手には……何もついていなかった……


「まあそれはともかく……契約のやり方の見直しにつきましては時代の流れですので……ご了承いただきますようお願いいたします。そして……今回は……癒着との批判を避けるため、入札はご遠慮いただけますか?」

「えっ!そ、そんな」


 ガタッ


 安藤と広瀬が立ち上がった。


「それでは今までありがとうございました。娘さん?家族円満は大切です。コミュニケーションが何よりです。


 安藤は頭を深く下げた。そして一万円札をテーブルに置いて立ち去っていった。


 健司は茫然自失になって座り込んでいた。総務省からの随契は桜井イノベーションの売り上げのすべてだった。あまりに利益率が高くて美味しすぎるビジネスだった。

 時流……誰かのタレコミか?同業者か?健司はそう考えた。しかし何か違和感があった。



 安藤の去り際のセリフが頭に浮かんだ。妙だった。明らかに安藤はこちらのことを伺っていた。見据えられていた……


 健司は確信した。それが理由だと。


(安藤の縁戚か?娘は何に手を出した?)


 健司はスマホを取り出して家に電話した。


 ピッ プルルルルルル


 健司の妻・郁子(四十一歳、NPO「くらしコープ」理事・専業主婦)が電話に出た。


「あなた?どうなさいました?」

「今から帰る。結衣を呼んでおけ」

「え?」

「あいつ。イジメをしてるらしいな」

「ま、まあ。でも、子供同士のことですから……」


 バンッ


 健司はテーブルを叩いた。


「その子供同士のことでうちは十億円の売り上げを失ったんだぞ!」

「え?」


 十億円。その言葉に視線が集まった。


「いや。帰ったら話す」


 ピッ


「須藤、いるか?」

「はっ。ここに」

「何か知ってることはあるか?」

「といいますと?」

「うちの娘がイジメをしているのか?」

「はあ。まあ」

「相手は誰だ?」

「……!?」


 その瞬間である。須藤は強い視線をチラリと感じた。


 ――――


 今日は妙だった。いつものように護衛をしようと健司の近くのテーブルに腰掛けようとした。ところが今日に限って健司の周りの席は満席だった。周りの席を占領しているのは普通の会社員たちに見えた。


「すいません。ちょっと席を譲ってもらうことはできますか?」


 須藤は穏やかに尋ねた。少しドスを効かせながら。


「…………!?」


 その瞬間である。須藤は強い視線を感じた。須藤は視線の方を振り返った。スーツの男たちがいた。明らかに鍛えられていた。


(極道か?いや、しかし)


 須藤は稼業人(裏社会の筋者)だと一瞬思った。しかし稼業人にしては明らかにおかしかった。稼業人であれば、舐められないように威圧をまき散らすことが多い。

 しかしあの連中は逆だった。明らかに目立たないように存在を消していた。しかし鍛え上げられた身体、潰れた拳、ひしゃげた耳。

 闘い慣れた身体だった。そして、服が一部盛り上がっていた。チャカを所持していた。


(コイツらデカか?この雰囲気、マル暴、あるいは公安か。こんなに多く?)


 チリン


 ドアが開いた。健司と二人の役人が連れ立って入ってきた。奥の「Researved」の札のあるテーブルに案内された。コーヒーが三つ注文された。そして話し合いが始まったのである。


 ――――


「今回の話し合い、明らかにデカか公安に見張られていました。周りも関係者に固められていたような気がします」

「なんだと?」


 健司は辺りを見回した。皆それぞれに話に夢中でこちらをうかがっている様子はなかった。


「思い過ごしじゃないのか?」

「だといいんですが……」


 須藤は護衛らしい集団がいた方向を見た。そこにはもう誰もいなかった。


 ――――


 自宅に帰った健司は娘の結衣に問いただした。

 

「結衣!お前イジメをしてるのか?」

「え?してないし。むしろいじめられてるんだよね」


 結衣は涙目になって健司を見上げた。


「相手は?」

「剣奈って娘なんだけどさ。事あるごとにうちに突っかかってきて困ってるんだよね」

「……その娘と仲直りしなさい」

「うちだってしたいよ。でもこの前なんて仲直りしようと近づいて行ったら突き飛ばされたんだよね。見てよこれ」


 結衣は痣になった脚を見せた。それは先日自分でうっかり机にぶつけたものだったのだが。


「なんでもいい。その剣奈って子に逆らうな。やられてもやり返すな」

「あ、あなた、そんな無茶な。結衣はイジメられてるんですよ?むしろその剣奈という子の親に苦情を言わないと……」

「絶対やめろ!いいか!絶対にだ!」

「えええ?パパ……、私……辛いよ……」


 結衣が涙ぐんだ目で健司を上目遣いに見上げた。


 パシン!


「あなた!」


 健司は娘の頬を叩いた。結衣がイジメられているわけはなかった。健司は須藤に子供の様子を時々こっそり見に行かせていた。子供がイジメられていた場合、すぐに対応するためである。

 しかし須藤からは娘がイジメられているとの報告は一切なかった。それどころか先ほどの須藤の言い方は、結衣が剣奈をイジメていると言外に含んでいた。


 須藤は健司が暴走族に絡まれたときに助けに入ったことがあった。須藤の気まぐれだった。しかし健司はそれを恩に着て須藤を会社に入社させた。

 須藤は大いに喜んだ。暴走族リーダーの経験がある須藤は、母のために足を洗ってまともな職に就こうとした。しかしどの会社でも須藤の前歴を聞くと二の足を踏んだ。須藤はむしゃくしゃしていた。そんな時におっさんが暴走族に絡まれていた。

 

 ただそれだけである。健司にとっては幸運としか言いようがなかった。健司は命の恩人の須藤を厚遇した。おかげで須藤の母の病状は改善した。

 それ以来須藤は心酔したように健司に従った。汚れ役もいとわなかった。元暴走族リーダーの須藤である。堅気の会社員は須藤ににらまれるだけですごすごと身を引いた。須藤は反社会的な行為をする必要がなかったのである。


 須藤が健司を裏切ったことは一度としてなかった。須藤は忠実な腹心であり、いざという時に頼れる存在だった。

 須藤が嘘を言うとは思えなかった。ということは……娘がイジメをしているのである。


 会社の売り上げすべてを、年商十億円を奪った娘である。反省するどころか開き直って嘘を言い連ねた。

 「失敗を許さない」との教育観をもつ健司である。娘にも成果主義の価値観を無自覚に押し付けている。

 健司は娘の喜応幼稚舎受験失敗を鷹揚に流していた。しかし本心は「この無能め」と不満を持っていた。


 そして今、娘はとんでもない損失をもたらしたのである。健司は娘の頬を張った。そして再び言った。


「忘れるな。剣奈って子に逆らうな。やられても絶対やり返すな!」

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