5 剣奈を導く一言 大地は水が如く流れ成長する

 剣奈のダンジョンが決まった。「世紀の断層ダンジョン」、「日原ダンジョン」。世を忍ぶ仮の言い方では日原鍾乳洞である。


――日原鍾乳洞にっぱらしょうにゅうどうは関東最大規模の鍾乳洞である。東京都奥多摩町日原に位置する。標高六三〇m付近、日原川支流沿いにある。総延長は八百〜千三百メートル、高低差百三十五メートル。東京都指定天然記念物である。洞内の気温は年間を通じておよそ十℃。夏はひんやり、冬は暖かい。


 山木は日原鍾乳洞の形成について説明を始めた。


「日原ダンジョンは気の遠くなるような時間をかけて地脈が作り上げたんだ。いや、今も成長している」

「成長するダンジョンなんだ!」

「そうだよ。そしてその歴史はとてつもなく古い。ダンジョンの壁は石灰岩でできている。これは三億~二億年前、古生代ペルム紀から中生代三畳紀にかけて海底にサンゴや貝の死骸が積み重なったものがもとになった」

「動物起源なんだね!だから成長するんだ!」

「はは。そういう考え方もあるかな。剣奈ちゃんの発想力はさすがだね」

「えへへ」


 剣奈はドヤ顔になった。


 ――いや。全然違うから……。ん?待てよ?私が常識に囚われているのか?いかん。剣人ワールドに毒されてわからんくなってきた。剣人ワールド恐るべし。


「そういえば野島ダンジョンもそうだったね。あそこも石灰岩が壁だった」

「そうだね。あそこはサンゴ礁起源ではなく牡蠣やフジツボなどが積もったんだが……、石灰岩ということでは同じだね」

「うんうん」

「それでね。そうして作られた石灰岩が海洋プレートの沈み込みで大陸に押し付けられたんだよ。日本の卵にね。地脈の胎動だね。日本列島の材料の一つ、秩父帯の一部としてね」

『「地脈の胎動でできた」じゃと』

「そうだね。それが一億七千万年〜一億年前、つまり中生代ジュラ紀中期から白亜紀前期にあたるよ」

「気の遠くなるほど昔なんだ」

「そうだよ。ところで剣奈ちゃんには地面が液体だという認識はあるかい?」


 山木が不思議なことを言った。剣奈はきょとんとして山木を見つめた。


「つまりね。我々が生きる時間で見ると地面は固い。けれどね。人の歴史が短く感じるほどの長い目で見れば……地面は液体のように柔らかくぐにゃぐにゃしているんだよ。動くんだ。さらに弾性をもって自在に形を変える」

「そうなんだ!」

「大地は水が如く流れ、そして成長するんだよ。地脈をたくさん見てきただろう?岩がグニャグニャ曲がっていたり、なんならΩのように丸まってたり」

「うん!みたみた!」

「そして地脈ははるか太平洋を越えて動く。そして日本にたどり着く。イザナギプレート覚えてるよね?」

「はい!ほんとだ!地脈が液体みたく動いてる!」

「そうだよ。だからね、剣奈ちゃん。時に物を見る視点の向き、尺度などを大きく変えてみると良い。そうすると物事が全然違った見え方をするかもしれないよ?自然も、歴史も、社会も、そして人も人間関係も」


 この時、山木の心には剣奈が直面している「いじめ問題」を念頭に置いて発言していた。しかし山木が剣奈の心に撒いたこの「種」はやがて大きく芽吹く。いじめ問題だけでなく、剣奈の人間性を大きく成長させることになるのである。

 山木のこの言葉は剣奈の心に深く刻まれた。ものの見方、角度、尺度を変えると物事がまるで変わるのである。

 これが後に剣奈の思考に大きな柔軟性をもたらすことになる。今の剣奈はそれに気づかない。山木ももちろん想像だにしない。しかしその種は、静かに、しかししっかりと、剣奈の心に撒かれた。山木によって。


「話をつづけるよ?ダンジョン内部には高さ三十mを超える場所もあるんだ」

「うわあ!学校のプールが二十五メートルだから……それより高いんだ!」

「ははは。そうだね。ものすごく高い。そこでは天井から垂れ下がる鍾乳石、つらら石、さらに地面から成長した石筍、上下から成長した石柱、壮大でさまざまな自然の造形美を楽しめるよ」

「うわあ!たのしみ!」

「天井から伸びるつらら石は数メートルにもなる。地面から伸びる石筍は一m、あるいはそれ以上になる」

「それも石が液体になるから伸びるの?」

「そうだね。そうとも言えるし、そうでもないともいえる。つらら石も石筍もでき方は似てるんだ。向きは正反対だけどね」

「へえ?」


 剣奈は思った。石が成長する。ダンジョンの壁が成長する。『ダンまち』でも確かに読んだと。こういうメカニズムだったのか。さすが山木先生。剣奈はそう思い感服したのだった。


 ――いや、違うけど。


 山木は説明を続けた。

 

「ダンジョンの壁の材料は我々人間の目にも液体に見えるよ。雨水が大地にしみこむ。そしてダンジョン内で再び顔を出した水は、空気に触れて二酸化炭素を出すんだ」

「水が意思を持ってるの?そして、に、二酸化炭素?」

「そうだね。水が意思を持つかどうかは先生にも分からない。剣奈ちゃんが確認して先生に教えてほしいな?」

「はい!」


 剣奈が元気よく言った。先生からの宿題だ。剣奈は心のメモにしっかりと書き留めたのだった。


「二酸化炭素について説明するよ?二酸化炭素は炭素と酸素がしっかり手をつないでできた気体なんだ。剣奈ちゃんは息を吸って吐き出してるだろう?吸うときは身体が酸素を取り込んでる。そして酸素が身体の中で燃えてエネルギーを生むんだ。二酸化炭素はその燃えカスなんだよ。燃えカスはいらないから身体が外に出す。呼吸としてね」


 山木が生命活動のエネルギー生成と結び付けて酸素と二酸化炭素の関係を説明した。剣奈ははっと気がついた。


「あ!ボク知ってる。温暖化ガスだよ!二酸化炭素は地球の毛布みたいなものでしょ?少ないと寒くなるけど、多すぎると暑くなりすぎるんだ」

「よく知ってるね。その通りだよ」

「えへへ」


 山木に褒められて剣奈はどや顔になった。チョロ剣奈の面目躍如である。その知識は母千剣破の教育の賜物なのだが。


「話を戻すよ?この二酸化炭素は石を溶かすんだよ」

「えっ?溶かすの?」

「石は溶けるんだよ。特にサンゴ起源、貝起源のものはね。そういえば剣奈ちゃんはクレオパトラは知ってるかい?」

「うん!大昔のエジプトの女王様でしょ?」

「そうだね。紀元前六十九年生まれの人だから大体二千数十年前の人になるね」


 二千数十年前、大昔……。白蛇と金狐が目をそらした。それよりも年かさの二人である。自分たちがババアと言われたようでナニカが二人の胸にぐさりと刺さったのである。


 ――ん?二匹なのか?まあそれは良いか。


「クレオパトラが美を保つために真珠を溶かして飲んでいた話は知ってるかい?」

「うん!お母さんから聞いたことがある!」


 さすが千剣破である。自分の趣味のことになると細かい知識まで剣奈に吹き込んでいる。

 山木は剣奈の教養の深さに驚きつつ話を続けた。


「クレオパトラが溶かしたのが真珠。そして鍾乳洞を、いや、ダンジョンの壁や装飾物を形成するのが鍾乳石だよ。これらはどちらも炭酸カルシウム、CaCO₃が主成分なんだよ。構造は違うけどね」

「なるほど!鍾乳石も真珠みたいに溶けるんだね!」

「その通りだよ!剣奈ちゃんはすごいね」

「えへへへへ」

「詳しく言うとね。CaCO₃(石灰岩=鍾乳石)+ H₂O(雨水)+ CO₂(二酸化炭素) → Ca(HCO₃)₂(炭酸水素カルシウム:水溶性)が溶けるときの化学反応だよ」

「ふ、ふーん?」

「つまりね。二酸化炭素を取り込んだ水が岩にしみこむ。岩の中で二酸化炭素を取り込むこともある。その酸性になった水が岩……つまり鍾乳石を溶かすんだ。岩から染み出した水は鍾乳石のもと……炭酸水素カルシウムをたくさん含んでるんだ。それが天井から垂れてつらら石を作る。天井からしたたり落ちたものは石筍をつくるんだ」

「なるほど!自然ってすごいね」


 剣奈は自然の力、地脈の作用に感銘したようだった。山木はその様子に満足そうに頷いた。そして自然破壊を避けることについても注意を喚起した。

 

「鍾乳石のもとの液体がつらら石や石筍を作り上げるのには膨大な時間を費やしているんだ。つらら石の場合一cm伸びるのに七十〜二百年。石筍だと一cm伸びるのに四百年もかかるんだよ。ましてや数メートル伸びるのには何万年、何十万年かかるんだ」

「ダンジョンの壁は生き物だもんね。ボク知ってる!どんどん成長するんだよね!」

「そうだよ?でもね。現実世界のダンジョンは壊すと元には戻らないんだ。そこが『ダンまち』とは違う点なんだ。だからね。剣奈ちゃんがダンジョンで黒震獣と遭遇した時、できれば鍾乳石は傷をつけないように戦ってほしい。でも、命の方が大切だよ?矛盾しているようだけど、危険なときには壊していい」

「わかりました。心に刻みます」


 剣奈は神妙に頷いた。山木の特別講義。剣奈にとってたくさんの学びがあった。そして剣奈を育てる言葉の種が幾つも剣奈の心にしっかりと撒かれたのだった。


 

 ――――――

 

*「野島断層の地質、形成する岩質」:『赤い女の幽霊』「2 剣奈、夜の鍾乳洞で怯える」


*「イザナギプレート」:『剣に見込まれヒーロー(♀)に』「122 イザナギプレートとヤマタノオロチ 素戔嗚命のご加護を求めて」

 

*「白蛇、玉藻(金狐)の年齢」:いや……、女性の年齢については言えません……。でも、知りたいですか?実は……『赤い女の幽霊』「2-9 バカップル 五十路童貞、虎猫娘 淡路南端の愛の巣に 熱を帯びたるトリニティ・ネット爆誕」に……

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