第7部-第109章 防災訓練の日

秋の気配が漂い始めた日曜日。

 地域の広場には、住民たちが集まり始めていた。

 防災訓練。

 かつては見て見ぬふりをしていた行事に、今の浩一は“参加者”として足を踏み入れていた。


 「浩一さん、こちらお願いします!」

 防災リーダーに呼ばれ、浩一はテントの設営を手伝った。

 ロープを結ぶ手はぎこちなかったが、体を動かすうちに徐々に要領を掴んでいく。


 開始の合図とともに、避難誘導のシミュレーションが始まった。

 住民たちが列を作り、子どもたちの声が響く。

 浩一は腕章を巻き、列の最後尾を見守った。


 ――すると、泣き出した小さな男の子がいた。

 「ママがいない……」

 足を止め、周囲がざわつく。


 咄嗟に浩一はしゃがみ込み、目線を合わせた。

 「大丈夫だよ。お母さん、ちゃんとここにいる。ほら、一緒に探そう」

 手を差し出すと、少年は少しずつ泣き止み、その手を握ってくれた。


 母親が駆け寄り、子どもを抱きしめた瞬間、周囲から安堵の拍手が起こった。

 リーダーが近づき、肩を叩いた。

 「浩一さん、ナイスフォローでした!」


 その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。

 ――昔の俺なら、きっと立ち尽くして何もできなかっただろう。

 だが今は違う。動けた。誰かを安心させられた。


 訓練の後、住民たちが声をかけてきた。

 「浩一さんがいてくれると心強いね」

 「今度は町内会のイベントでもぜひ」


 照れくささと同時に、確かな喜びが湧き上がった。

 五十歳の俺が、ようやく人の輪の中で役割を持てている――そう実感できた日だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る