赤い封筒
高橋志歩
赤い封筒
その村の小さな郵便局は、丘の上に建っていた。
小さな村なので、郵便局の建物も大きくは無かったけど、どことなく垢抜けた雰囲気があった。入り口の横の軒先には、ずっと昔から竹風鈴が吊るされていて、周囲にのどかな音を響かせていた。
カランコロン……。
小さな村の小さな郵便局なので、局員は2人しかいなかった。
初老の男性の局長と、局員の奈美子だけだ。
局長は小太りの穏やかな人で、この村で生まれ育った人だ。
奈美子は都会に住んでいたけど、色々あってこの村に引っ越してきた。田舎だけど、誰も知っている人がいない村での暮らしは、少々不便はあっても落ち着いて快適だった。
小さな村の郵便局だけれど、別に暇という訳ではない。
9時から5時まで窓口に入れ替わり村人が訪れる。現金自動預け払い機が無いので、年金支給日は混雑したりする。小さな村だから、奈美子も大抵の人たちと顔見知りだった。
仕事が一段落した時に風が吹くと、いつも竹風鈴の音が聞こえる。奈美子はその音が好きだった。
カランコロン……。
暖かなそよ風の吹く春の午後。窓口に座って書類を点検していた奈美子はいきなり話しかけられた。
「あんたさあ、赤い封筒のうわさを聞いたことがあるか?」
驚いて顔を上げると、いつの間にか灰色のつなぎを着たぼさぼさ頭の老人がベンチに座っていた。
背が高く、長い手足を持て余しているような、少しだらしの無い姿勢で奈美子を見ている。
「はい? 赤い封筒ですか?」
答えながら、この老人は誰だろうと不思議に思った。
「ある日、どこからか赤い封筒が届くんだよ。それを開封して中の手紙を読むと色々あるらしい」
「はあ……」
奈美子が曖昧な返事をすると、老人はふらりと立ち上がった。
「俺は隣の町で聞いた噂だがね。そろそろこの村にも、赤い封筒が届くんじゃないかと思ったのさ」
そう言うと、老人は背中を向け、郵便局を出ていった。ぽかんとしている奈美子の耳に竹風鈴の音が聞こえた。
カランコロン……。
そんな事も忘れた数日後、席に座っていた局長が珍しく大きな声をあげた。
「なんだこりゃあ」
振り向いた奈美子は、局長の手に赤い封筒があるのに気づいた。
「局長、その手紙は」
「さっき私宛に届いた郵便物だよ。赤い封筒とはね、決闘状じゃあるまいし」
届いたって、いつの間に。局長は、奈美子が何か言う前に開封して、手紙らしい物を取り出して読んだ。
「ふうん。なるほどなあ」
奈美子はあの老人が話していた内容を思い出して、ひどく気になった。
「何かのお知らせですか?」
「え? うん、まあ、そんなところかな」
局長は手紙を赤い封筒にしまうと、立ち上がった。
「すまない、ちょっと家に帰ってくるよ。1時間ぐらいで戻るから」
奈美子が返事をする前に、局長は赤い封筒を手に席を立つと、建物の奥の職員用の出入り口から出て行った。
そして、それきり局長は戻ってこなかった。
2日後、奈美子は一人で郵便局の窓口に座っていた。
局長は家にも戻らず、あのまま行方がわからない。家族が警察に届けたが、最後に会った事になる奈美子も色々と尋ねられて、少し嫌な思いをした。
事件かもしれないという事で昨日は郵便局を閉めたけれど、管理している部門からの指示で、今日からとりあえず郵便局は開けている。
もうすぐ局長の代理が来る事になっていて、奈美子は早く到着して欲しいと願っていた。重い気持ちで受付に座り、机の上を見た奈美子はぎくりとした。
赤い封筒が置かれている。
思わず手に取って、破り捨てようかそれとも警察に届けようかと考えた奈美子は、赤い封筒の表に書かれた宛名の文字に気が付いた。
奈美子の氏名が書かれた筆跡には見覚えがある。
都会で一緒に暮らしていた男、けれど自分を捨てて他の女の為に出て行った男。間違いない、この角ばった文字は彼の字だ。忘れようとして忘れられない彼からの手紙だ。
奈美子は、赤い封筒を開封して手紙を取り出した。
しばらくして、荷物を持った一人の老婆が威勢よく入って来た。都会に暮らす孫に差し入れを送るための小包を抱えている。
郵便局の中は無人だった。
しばらく待ってから、窓口から背を伸ばして奥に大きな声で呼びかけたが、何の返事も無い。郵便局長が行方知不明になっているのは知っていたが、今日は受付の子がいるはず。入り口の鍵も開いて、天井の電気もついているし……老婆は気味が悪くなった。小包を抱え直すと、建物を出て交番に向かって急いだ。
誰もいない郵便局の中を、開いた窓から吹き込む春の風に乗って竹風鈴の音が響いて消えた。
カランコロン……。
カランコロン……。
<了>
赤い封筒 高橋志歩 @sasacat11
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