第20話 脚も心も鍛える日

さて、今僕はどういう状況かというと――

両脇を抱えられ、すごい速度で連行されている途中である。

時おり地面に足をつかされ、まるでアシトレ……アシステッドトレーニングの

ように脚を回転させられるのだ。


「は、早すぎるって!」僕は必死に声を張り上げる。

「ガハハハー!」バルクは豪快に笑う。

「おーし、その調子だフィリオ! あんよもっと上げれ! ほれ回せ! ほら、置いでがれるな!」


横でガルボが完全にコーチのテンションで叫んでいる。


……いや、なんで僕はトレーニングを受けているんだ?


朝食を終えしばらくして


集合場所に着いたとき、

なぜか、全員がスポーティな格好をしていた。


シュンヘイ君とイモリスちゃんは短パン姿で、二人仲良くストレッチ中。

ガイルはブートキャンプを始めそうな軍曹みたいな格好で、すでにバーピージャンプを繰り返している。

バルクは体育教師のようにジャージを着込み、両腕をカパーンカパーンと大きく振っていた。竹刀は持っていないが、雰囲気は完全にそれだ。

ヒューは短距離スプリンターのような格好で、腿上げやスキップ、バウンディングを終え、今はカリオカの真っ最中。

ミナとフローラはセパレートのユニフォーム姿で、さっきまでスタブロらしきものを置き、クラウチングスタートを練習していたが、今は腰に手を当てて片脚ずつプルプルさせたり、パンパンと身体を叩いたりしている。

そしてガルボさんは――麦わら帽子にタンクトップの大将スタイルだった。もちろんINである。


「え……みんな、なにその格好?」

僕の声は空しく響く。


「あれ? 僕の護衛は?」と口にした疑問は、すぐに解消された。


「よーし、ほいじゃついで来てけれ」


ガルボさんがそう言うと、軽快に走り始めたのだ。


「え、走るの!?」

僕は思わず叫ぶが、気づけばみんな走り出している。

慌てて僕も後を追う。だが速い。

まるでケニアランナーの早朝練習が、いきなり始まったかのようだった。



最初の400mまでは、僕も必死についていった。

だが200mをすぎたあたりで脚が重くなり、300mで腕が振れなくなり、最後にはまるで油の中でもがいているようなモタモタぶりになった。

そして冒頭の状態――両脇を抱えられて強制的に脚を回転させられる――に戻ったのだった。



やっと現地に到着したころ、僕は肩で息をしていた。


「はぁ……はぁ……歩いて……30分じゃないの?」

とぎれとぎれに文句を言う。


「昨日ガルボさんが言ってたじゃない、俺の脚で30分って」ミナが冷静に返す。

「つまり走っていくってことですぅ~」フローラは回復魔法を僕にかけながら微笑んだ。

「まあ、冒険者なら当然だな!」バルクは胸を張る。

「ガルボおじちゃんはいつも走っていぐがらな!」シュンヘイ君が元気よく付け加える。

「……よし、フィリオのために毎朝の日課にするか」ガイルは淡々と提案する。

「兄ちゃん走んの遅ぇなぁカメに負けるんでね?」イモリスちゃんが悪態をつく。

「……LSD……ペースだ」ヒューはいつの間にかクールダウンに入っている。



結果、10……いや15km以上は走ったと思う。

つまり、キロ2分ペース。

冒険者ってすごい……。いや、冒険者じゃない人も混じってるけど……。



近くには木造の小屋があり、中には竿や網、仕掛けの材料らしきものが並んでいた。

その中からガルボさんが一つの道具を取り出し、僕らに見せる。


「ほれ見でみろ、これが“ウナギの固定仕掛けっちゅうやづだ。川っぺりさ杭を打ぢつけで、竹竿を縛りつける。んでな、糸さ針付けで、餌はミミズだのカエルの切り身だの使うんだわ」


そう言いながらガルボさんは、竹竿の先をトントンと地面に突き立て、指先で糸をピンと張って見せる。


「人が竿握ってっど、ウナギは気ぃ付いで寄ってこねぇ。だが、こうして置いでおけば夜んうぢにスルリと食いつぐ。待つんがコツだべな」


なるほど……置き竿で待つから「固定仕掛け」か。

理屈はわかったけれど、仕掛けを実際に使うのはもう少し後らしい。

とりあえず僕たちは説明を聞き終えてから、お弁当を広げることにした。


お昼を食べながら、僕はガルボさんに昨日の件を聞いた。

「んだなぁ……ここがら、まだ半日ぐれぇ行ぐど谷っこの入口だべ」


ガルボさんは、魚をほおばりながら何でもないように言う。


「そうですか。……半日か」

僕は箸を止め、ため息をついた。

うん、今日は絶対無理だな。行って帰ってくる頃には日が暮れてるどころか、夜の森を徘徊する羽目になる


結局、午後は谷ルートには行かず、ガルボさんからウナギ釣りの極意を叩き込まれることになった。


「ウナギさな、川ん底の石っこの陰だの、流れがゆるぐとごさじぃ~っと隠れてらんだ。だがら仕掛けは、こやってガッチり止めで――」


「はい、針をここに……って、あれ、絡まった!」

「おいおい、フィリオ! なんで仕掛け、自分さガッチリくっ付けでらんだ!」


ワイワイガヤガヤ。

みんなで川べりにしゃがみこんで、まるで文化祭の準備のように仕掛けを作る。

杭を打ち、糸を垂らし、エサを付け……気がつけば川沿いは罠だらけになっていた。


「……まるでウナギが入居する高級マンションみたいだな」

誰かがそう言い、みんなで笑う。


そして夕方、僕たちはようやく家に戻った。もちろん走って。

部活帰りの高校生よろしく、クタクタで足を引きずりながら。


晩御飯は、今日もガルボ亭。

囲炉裏を囲んでの食卓は、なんだかもう合宿気分だ。もちろんヘルガおばあさんも一緒。


「明日帰るつもりだ」と言ったら、ヘルガおばあさんが目を細めて言った。

「んだんだ、もう一泊していげ。よそから人なんぞ滅多に来ねえ、たまの客人だもの」


その言葉に、僕たちはあっさり頷いた。

「じゃあ、お言葉に甘えて……」


横を見ると、シュンヘイ君とイモリスちゃんが顔を見合わせ、声をそろえて――


「やったなや!」

「へば、明日も一緒だな!」


……なんだか、僕も嬉しくなった。


囲炉裏の火がパチパチと爆ぜる音の中、僕は箸を置き、正面に座るガイルへと切り出した。

さて、帰りのルートだが、どうしたものか。

迷いながらガイルに尋ねる。


「行きと同じルートだ」

ガイルは淡々と答える。


やはりそうだろうな。大変ではあるが、一度通った道だ。しかも帰りは荷物も減っている。

だが、心理的にも精神的にも、あのズルズルと滑る感覚は油断できない。


一度滑落した経験があるし、もしまた落ちたとしてもバルクが助けてくれるだろう。いや、そうだとしても――あんな恐怖はもう味わいたくない。

何より、バルクは仲間だ。もし変な落ち方をすれば、今度こそ命を落としかねない。

そんな事態だけは、絶対に避けたい。


「僕はできれば――谷ルートで帰りたいです」

その一言に、場の空気が少し張り詰める。

ガイルがゆっくりと目を細めた。


「理由は?」


「簡単ですよ。あの尾根道は怖すぎました。崖っぷちを三日も歩くなんて、正気の沙汰じゃない。谷なら少なくとも、落ちる心配はないです」


「……谷は、平坦に見えるだけだ」

ガイルは声を低く落とす。

「分岐が多い。道を外せば何日も森を抜けられない。雨が降れば川は氾濫し、土石流が襲う。泥に足を取られ、進めなくなることもある」


「でも実際に崖から落ちかけたのは僕ですよ! あんなのを守れる道だなんて、どの口が言うんですか」


「――尾根なら、落ちても引き上げられる」

ガイルは食い気味に返す。

「だが谷で増水した川に呑まれれば、誰も助けられない。護衛が命を張っても、流れには勝てん」


「つまり、谷はあなたが助けにくいから嫌だってことですね。僕を守る立場の人が、自分の都合で道を選んでるようにしか見えません」


ガイルの瞳が鋭くなる。

「……違う。俺は生還率の高い道を選んでいる。それが護衛の責務だ」


「でも依頼主は僕ですよ。護衛は僕を目的地に送り届けるのが仕事でしょう? なら僕の意見を優先するのが筋じゃないですか」


「依頼主の希望が命を削るなら、従うわけにはいかない」


「随分強情ですね。護衛が勝手に主導権を握るなんて、仕事放棄じゃないですか?」


ガイルは深く息を吐いた。

怒鳴りはしない。だが一つひとつの言葉が重く、押し返してくる。


「……お前の望む道は、仲間全員を危険にさらす。俺はそれを護衛とは呼ばない」

囲炉裏の炎が、ガイルの横顔を赤く染める。言葉の一つひとつが、積み上げた経験と失敗から絞り出されるように重かった。


僕は言葉を返そうとしたが、視線がぶつかるだけで、口が動かなかった。

火の爆ぜる音だけが部屋の中に響く。


結論は出ない。

ただ重苦しい沈黙だけが、夜の空気を濁らせていった。



 はぁ……

思わずため息をつく。自分の小賢しさと嫌な性格が、今夜の議論で丸見えに

なった気がして、ガイルと顔を合わせるのも気まずい。

外に出て、星を眺めることにした。雲ひとつない夜空には、無数の星が瞬き、まるでどこかから落ちてくるかのようだ。


静寂の中、足音が近づく。振り返ると、ヒューだった。




 ……外に出ていたのか。

 うん、ちょっと……頭を冷やしてたんだ。

 ……議論の後は、少し距離を置くのも悪くない。だが、冷静になれば、次の判断も見えてくる。

星空を見上げながら、落ち着いた声でヒューが話す。

 そうだね。俺、少し考えすぎたかも……。

 ……感情と理論を分けることができれば、選択肢の幅は広がる。

今はそのための時間だ。

僕は沈黙の中で静かにうなずく

 ……うん、わかった。ありがとう。

ヒューは無言で星を見つめるまま立ち尽くす。僕も少しずつ、

心の乱れを落ち着かせていった。

ヒューが静かに口を開く。

「……フィリオ、先ほどの議論を少し整理するために、視点を変えたロールプレイをしてみようと思う。君は谷ルート反対、俺は賛成、だ」


「え、僕が反対……?」思わず眉をひそめる。

「そう。護衛される立場として、危険なルートは避けたいという視点を演じてくれ。理屈じゃなく、感情でも構わない」

ヒューの声は冷静だが、目には確かな知性が光る。


「……わかりました。じゃあ、僕は谷ルートなんて危険すぎるって立場でいきます」

「……了解。では、始めよう」


僕は両腕を組み、険しい表情を作る。

「護衛される立場の僕としては、谷ルートなんて絶対に行きたくない。道は分岐だらけで、間違えれば森を抜けられないし、雨が降れば川は氾濫、ぬかるみや土石流のリスクもある」


ヒューは頷き、ゆっくりと指を動かす。

「……確かに、危険はある。しかし視点を変えよう。谷ルートは距離が長く分岐が多いから、状況に応じた判断力を求められる。結果的に、無駄な移動を減らせる可能性がある」


「……距離が長いってことは、危険にさらされる時間も増えるんじゃないですか!」思わず声を荒げる。

「……理論上そうだ。しかし尾根ルートは時間は短いが、一定の危険に常に晒される。谷ルートは状況に応じて迂回や休憩が選べる。全体として安全性と効率を両立できる可能性が高い」ヒューの声は穏やかだが説得力がある。


「でも……僕の命が危険にさらされるんですよ?」

ヒューは一瞬視線を僕に合わせ、淡々と言う。

「……危険はある。しかし、戦略的に進めれば、尾根ルートよりも結果的に負担やリスクを分散できる。護衛される立場であっても、その判断の余地は大きい」


僕は黙り込み、視線を落とす。ヒューの理論は正しい。だが、理屈だけでは納得できない自分の感情がもやもやと胸に残る。


「……わかりました。じゃあ、谷ルートには戦略上の利点もある、と……」

ヒューはうなずき、微かに微笑む。

「……感情と理論を分けて考えれば、見えるものも変わる。だが、選択するのはまだ先の話だ。今日は議論の整理だけにしておこう」


僕は小さく息を吐く。胸の奥ではまだ、嫌だという気持ちがくすぶっている――だが、ヒューの落ち着いた視線が、理性を少しずつ押し戻してくれるような気がした。

お風呂はどうやら最後になってしまった。

バルクが先に入ったせいで、お湯はすでに少なめだ。少し冷めかけた湯に手を入れ、あわてて体を洗い流す。やっぱり最後って損だな、と小さくため息をつく。


体を拭き、脱衣所から出ると、ちょうどミナが廊下に立っていた。


 「あら、今日は遅かったのね」

 「うん……」

声が小さく、どこか気まずさを含んでしまった


「さっきのこと、気にしてるの?」

 「まあね…… 」

自分でも情けなくなる。あの議論の間、みんなの前で嫌な奴ぶりを晒してしまった

気がする。


「気にしなくていいわよ。わたしも楽な道の方がありがたいわ」

あっさりと、でもどこか優しい口調で告げる。肩の力が抜けるような安心感があった。


「う、うん…… 」

どうしてこんなに、ミナの一言で少しだけ気が楽になるんだろう。自分の性格の悪さにまたちょっと自己嫌悪が混じる。


お布団、温めといたから。早く寝なさいよ!

そう言うと、少し笑みを残して、軽やかな足取りで去っていった。


僕は、部屋に残された静かな空気に包まれながら、みんながもう寝静まった布団に潜り込む。

夜の闇に、遠くからかすかに聞こえる虫の声。小さな安堵と、微かに残る緊張感を抱えつつ、瞼を閉じた。



ここまで読んでくれてありがとう!

冷静に考えると……ブックマークやいいねってすごく大事よね?

……って、冷静じゃなくても押してくれたら嬉しいけど!

by ミナ


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