第19話 川と海をつなぐ魚

ウナギ。

その生態は前世の世界でも未解明な部分が多い。

川で育ち、やがて海へ下り、数千キロ先の海のどこかで産卵をするという。だが、その正確な場所はいまだ謎に包まれている。

捕らえても、育てても、その最初と最後を完全に見届けた者はいない。

神秘の魚――それがウナギだ。



イモリスちゃんのお父さん、ガルボは素朴で、いかにも田舎の良い人という雰囲気だ。

見た目はドワーフみたいにゴツいが、背はそこまで低くない。


母親のアンナは器量良しで、いわゆる美人さん。

……あの小悪魔もイモリスちゃんも、いずれはこうなるのだろうか。


「んだんだ、さぁバルクどん、包丁握ってみでけろ。こうやって背開ぎすんのがコツだべ」

と、ガルボがにこやかに声をかける。


「おう、任せとけ!おれっちの料理スキル見せてやるぜ!」

バルクは胸を張る。


くそう……僕のイクメンアピールが。 てまあ、育児してないけど……。


ウナギの捌き方から始めるようだ。

バルクは見た目に似合わず器用で、包丁さばきも正確。

すぐにコツを掴み、どんどん捌いていく。


よくある異世界ものでは、ウナギ料理といえばぶつ切りで煮込むパターンもある。

僕は一瞬不安になったが、ガルボが串にウナギを刺しているのを見て、胸を撫でおろす。


「えへへぇ、畑さいっぱい野菜あるがら、もいでけれぇ」

イモリスが元気に声を上げる。


「ほれ見でけろ、キャベツど、スナップエンドウ、それに玉ねぎも掘り起こすべ!」

イモリスに先導され、ミナとフローラは畑で野菜を収穫している。

商人からタネを買って育てているらしい。たぶんハーゲン商会のコペンさんだろう。


一方、アンナは釜戸で米を炊いている。

「んふふ、おらの炊ぐご飯、きっと気に入ってもらえるべさ」

その仕草は、確かに“良妻賢母”のイメージそのものだった。


ガイルは家を外からぐるぐると見て回り、まるで城普請役が縄張りしているようだ。


「……もうすぐ……完成に近い」

ヒューはシュンヘイ君に、図鑑の執筆作業が終わりそうだと話している。


「ほんとが!? ヒュー兄ちゃん、ありがとぉな!」

シュンヘイ君は飛び跳ねて喜んだ。


――さて、そろそろ良い匂いがしてきた。

ガルボ家三代前からの継ぎ足し、門外不出の秘伝のタレ。

匂いを食わされ、まんまと誘われる。


その先に待っていたのは、周囲を黒、中を朱色に染められた重箱。

否応にもテンションは爆上がりだ。


さらには、ご飯はおひつで別盛り。

例えおひつのご飯をすべて食べても、女将――アンナが笑顔でおかわりを持って来てくれる。

つまり、ご飯をウナギで二杯、タレで二杯食べても、お勘定は同じというやつである。


そして……いよいよ、天然ウナギの炭火焼き蒲焼きが完成。

もちろん、あらかじめ焼いたものをレンジでチン、などという代物ではない。


食べる。――美味い。

もう、それしか言えない。


天然ものは養殖よりも歯ごたえがある。

好みは人それぞれだ。硬いという人もいれば、養殖のほうが良いという人もいる。

だけど、そんなことは今どうでも良い。


ひたすら……かっ込むだけだ!!


「なに、バルクと張り合ってるのよ?」ミナが呆れる。

「く、苦しい……」僕は呻いた。


「フィリオの兄ちゃんは、こったら美味しいウナギを食べても“美味い”しか言わねんだ。まったく、これだから頼りねぇんだよ。嫁いねのも道理だべ。足が短けぇのも、きっとそのせいだな」


イモリスは小さく咳ばらいして、胸を張った。

「……やっぱりここは、このスーパー美少女イモリスさまが人肌脱ぐしかねぇべな! ま、まあ“スーパー美少女”はちょっと言いすぎかも知んねけど……。わだすだって、いつかはお母さんみてぇに……。とにかく! 

題して――イモリスちゃんの食レポ!をお届けします!」


彼女は両手を合わせ、目を細める。

「さて、本日はガルボ亭にお邪魔してます。奥からただよってくるこの匂い……ああ、胸ん中まで染み込んでくるようで、もう辛抱たまんねなぁ」


炊き立てのご飯が木の器に盛られている。

「ほれ見でけれ、このお米。白くてつやつや、まるで月の光を一粒ずつすくいとったみてぇだ。匂いはやさしく甘くて、田んぼの風がまだここに息づいでるようだべ」


そして、目の前に置かれた蒲焼きに視線が移る。

「おお……ウナギさま……。炭火でじっくり焼かれた皮は、夜空を照らす炎の衣をまとったみてぇに照り輝いてる。香ばしい匂いは、まるで山の精霊が焚き火で宴を始めたみてぇに広がって、鼻の奥をくすぐるんだ」


まずご飯を一口。

「ん……ふわっと口にひろがる、この甘さ。ひと粒ひと粒がほどけるたびに、まるで野の精霊たちが踊りかけてくるみてぇだべ。あぁ、体じゅうがほっこりして、心まで温まってくるなぁ」


次にウナギを一口。

「……んっ! 表の皮はぱりっとしてるのに、中はふわっととろけて……舌の上で川と海が出会ったみてぇな不思議な旨さになって広がるんだ。脂はぜんぜんくどぐねぇで、むしろ花の蜜みてぇにやさしくて、喉をすべるたびに体に力が満ちていくようだ」


そして、ご飯とウナギを一緒に口へ運ぶ。

「……ああっ! こりゃもう反則だべ! 白い米と香ばしいウナギが重なり合って、昼と夜が抱き合ったみてぇな味になる。甘さと旨さが混ざり合って、口ん中がまるで祭りさながらだな!」


もう止まらない。ご飯、ウナギ、ご飯、ウナギ ウナギご飯……。器の中はどんどん空っぽになっていく。

「……ああ、残念。なくなってしもうた……」


しょんぼりと器を見つめていると、女将が笑いながら新しい皿を持ってきた。

「イモリス、たんと食べなさいねぇ」

「うん……ありがとう、お母さん!」


午前中はシュンヘイ君の釣りを見てるだけだったので、今度はみんなで釣りに行くことにした。

提案者はもちろんイモリスちゃんだ。イワナ釣りの時から、自分も釣りたがっていたからね。


それにしても……なんだか鼻息荒いな、ムフームフー言ってるし。ウナギを食べて元気になりすぎじゃないか?

フローラも「いまなら死んだ人でも生き返らせそうですぅー!」とか言い出すし、

ミナに至っては「いまならこの辺り一帯を焼け野原にできそうね!」と物騒なことを口走っていた。

女性陣は特に絶好調のようだ。異世界のウナギには、もしかしたら特別な効能があるのかもしれない。


そんな中、イモリスちゃんが胸を張って言った。

「おらが案内すっから!まかせれ!」

……嫌な予感しかしない。僕はミナとフローラに目配せし、ちびデビルの暴走を封じるよう合図を送った。


「そ、そうだイモリスちゃん」ミナが慌てて話題を振る。「ちょっと仕掛けのこと、教えて欲しいんだけど……」

「んだがぁ、しょうがねぇなあ。ミナねえちゃんはほんと世話がやけるな」

「釣竿貸してくれるかなぁ~?」フローラも乗っかる。

「んんー……お父っつぁんに聞いでくるがら、ちょっと待ってろ」


……うむうむ、事故を未然に防ぐアシスト機能は今日も無事稼働中だ。

このまま自動化まで進化してくれるとありがたい。


さて、釣り場の案内はシュンヘイ君に頼むことにした。

「この近くで、歩いて三十分以内くらいで、どこか良い釣り場あるかな?」

不幸な行き違いを防ぐため、あえて時間制限をつけて尋ねるのがポイントだ。


「んだば、ちょうどえぇとごあっから。十五分も歩げば着ぐべ」

そう言ってシュンヘイ君が案内してくれたのは、ヤマメ釣りのポイントだった。


ガルボさんも誘ったが、今日は鍛冶の仕事があるそうだ。やはりドワーフ成分が入ってるらしい。

アンナさんはウナギ弁当をヘルガおばあさんに届けに行ったと聞いた。ばっちゃはいつも工房にこもりきりらしい。


──そうして僕たちは無事に釣り場へ到着した。


ミナとヒューは自前の釣竿を持参。シュンヘイ君とイモリスちゃんも当然ながら自分の竿だ。

他のメンバー──バルク、ガイル、フローラはガルボさんから借りてきたものを使う。


準備をしていると、珍しくヒューが動揺していた。

「……そ、その釣具は?!……どこで!?」

「ああこれ?トマの町で買ったのよ」ミナが竿を掲げる。


ああ、例の金貨三十枚のやつか。僕もようやく思い出した。


「……ど、どこの店で……ま、まだ……在庫は?」

「さあ?たぶんこれ一つだけだったと思うわ」

「……そ、そうか」


その後、ヒューはがっくり肩を落とし、これは数量限定の最新作で、どれほど入手困難か、予約が取れなかったこと、性能の素晴らしさなどを延々と語り出した。


「見つけたら必ず買っておく」

ガイルがヒューの肩を叩き、落ち込む彼を慰める。


「兄ちゃんたち、そろそろはじめっぺよ!」

「うん、わかった!」


シュンヘイ君の号令で、いよいよ釣りが始まった。


「ヤマメはなぁ、流れのはえぇとごさ潜んでるけんど、

エサは流れに乗せで自然に見せねば釣れねぇんだ」

「ほぉ~」とバルクが感心する。

「ミミズが一番だど思うげんちょ、川虫でも食いつぐ。石ぁひっくり返して探してみろ」

「なるほど……」とガイルも頷く。


みんな真剣に耳を傾け、各自が仕掛けを流す。水面に小さな波紋が広がり、森に鳥の声が響く。

やがて一人、また一人と竿を曲げ、釣り上げる声が重なっていく。


笑い声と歓声。川のせせらぎに混じって、釣りの楽しさが広がっていった。

途中でちょっとしたハプニングがあった。


「あーれー、シュンちゃん助けてけろー!」

イモリスちゃんが叫ぶ。小さなトレントに捕まって、振り回されている。


「何やってんだべ、イモっぺ」

シュンヘイ君が声をかけると、そのまま見事な竿捌きでイモリスちゃんを釣り上げた。


トレントはどうやらただ遊んでいただけらしく、その後はおとなしくなった。


「シュンちゃん、おら怖かっただよー!」

イモリスちゃんはシュンヘイ君に抱きつこうとするが、あっさりかわされる。


そんなこんなで、ヤマメ釣りは無事終了。


──そして日が暮れる前、僕たちは帰路についた。

釣れた魚はすべて、シュンヘイ君のビクにまとめて入れる。


その後、イモリスちゃんの家に行き、釣ったヤマメを調理することになった。

台所を仕切るのはアンナさん、ミナ、フローラ、そしてイモリスちゃん。

ガルボさんはまだ鍛冶仕事にかかりきりらしく、バルクは「台所が狭いから邪魔だ」と追い出された。

僕もこのチャンスに滑り込もうとしたが――。

「わりぃねぇフィリオ君。ここは女の子の戦場だっちゃ。あんたは囲炉裏で待っとれ」

アンナさんのやんわりとした笑顔に、僕は完全に封じられてしまった。


結局、囲炉裏で魚を焼く係に抜擢されることに。

ヒューはシュンヘイ君の家で図鑑の編集作業を続けるそうで、囲炉裏を囲むのは僕、ヒュー、バルクの三人だ。


---


ガイルが口を開く。

「フィリオ、釣りギルドの任務状況はどうだ?」

「ええ、大体大丈夫かと思います」僕は答える。

バルクが頷いた。

「そうなったら、そろそろ帰りのことも考えねえとな」

「……ああ。帰りも引き締めていかないとな」ガイルも応じる。


そうして話していると、ガルボさんがやってきた。

「おう!仕事終わったか?」とバルク。

「おう、終わったぞ。……なんだ、手ぶらで話か? ちょっと待ってろ、酒持ってきてやるべ」

「おお、気が利くじゃねえか!」バルクが嬉しそうに声を上げる。


しばらくして、ガルボさんが酒瓶とお銚子を持ってきて、僕たちに注いでくれる。

「美味い!」ガイルが唸る。

「イケるな!」バルクも笑う。

僕も一杯いただくと、ガルボさんが上機嫌で言った。

「へっへ、そうだろそうだろ! さぁ、どんどんいくべ!」


そこへ料理を持ったイモリスちゃんが顔を出す。

「まだ食べちゃだめだぞー! みんな揃ってからだぁ!」

続いてミナとフローラが料理を運び、僕も手伝う。

「シュンちゃんたち呼んでくるっぺ!」とイモリスちゃんが駆け出していった。


やがて、シュンヘイ君、ヘルガおばあさん、そしてヒューも加わり、全員で晩飯を囲む。


囲炉裏の魚は香ばしく焼け、皮はパリパリ、中はしっとり。

煮物の山菜はほろ苦さが心地よく、味噌汁には根菜の甘みが溶け込んでいた。

質素だが、どこか胸に沁みるような食卓だった。


---


食後、僕はガルボさんに疑問をぶつけてみた。

「ウナギを獲るところって、ここから近いんですか?」


僕の知識では、ウナギは山と海がつながる川にいないとダメだと思っていたのだが……。


「そうだな……オラの脚で三十分くらいかな」

「三十分……今日、午後に釣りに行ったときの移動時間より少し遠いくらいか」

「今日ヤマメ釣った川ですか?」と僕。

「いや、別の川だべ」シュンヘイ君が首を振る。

「なんだ、一緒にウナギ取りに行ぎてえのか?」ガルボさんが笑う。


「ええ、それもお願いしたいんですけど……。ただ、トマへの帰りの道をどうにかしたいなと思って」


その意図を察したのか、ヒューが静かに頷く。


「どの道がら来たんだべ?」とシュンヘイ君。

「トマの町からチャド山脈の尾根ルートを通ってきた」ガイルが答えると、

「そいづぁ、えらいこったなぁ……」とガルボさん。


ミナとフローラが険しい表情になる。思い出したのだろう。


「コペンさんら、いつも別ん道だべ?」シュンヘイ君が口を挟む。

「そうなのか!」とバルクが驚く。


「んだ……実は、もうひとつ道あんだ。ただなぁ……」ガルボさんの声が少し低ぐなる。

「ただ?」とガイル。

「分岐ごちゃごちゃで間違えやすい谷っこルートだ。雨降れば道はドロドロだし、川もすぐあふれっちまう。獣もけっこう出っぺ。迷ったら最後だ……森ば抜けでこれねぇ……戻ってこれねぇ奴もいるんだ」



それから山越えの苦労話や、ウナギの仕掛けの話が続いた。

ガルボさんはいつも夕方前に仕掛けを置き、翌朝に見に行くという。

釣るなら夕方からだが、帰りが遅くなるので今回は諦めることにした。


---


その夜、僕たちはシュンヘイ君の家に戻った。


イモリスちゃんは「お姉さんたちと一緒に入りたい!」とお風呂を楽しみにしている。

わざわざこちらの家までやって来て、アンナさんたちと入るそうだ。


ヒューは「……あと少しで……終わる」と言って、仕事が片付いてから最後に入るつもりらしい。


結局、バルクは昨日の「猿かにコンボ」のことが気になったらしく、シュンヘイ君と一緒にお風呂へ。

僕はその次、つまり二番手。男性陣の中ではガイルと一緒だ。


ガイルは入る前に、やたらと木の踏み板を入念にチェックしていた。

僕がお風呂の縁と背中のあたる部分にタオルをかけたら、

「天才か!」と目を丸くして驚いていた。

そして、さっさと先に上がっていった。


ヘルガおばあさん、そしてシュンヘイ君は、囲炉裏端で静かにヒューにお礼を言っている。

とても穏やかで、喜びに満ちた空気がそこにはあった。


僕は布団に潜り込み、深い眠りに落ちる。

そして夢の中で、上がった原稿が輪転機の止まった工場へと運ばれていき

担当者がヘコヘコ頭を下げる光景を僕はぼんやりと眺めていた。



ここまで読んでくれて感謝する。

次回も作戦通りにいこう──そのために、ブックマークや感想が力になる。

……と、堅苦しく言ったが、本音はただ嬉しいだけだ。

by ガイル


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