第3話 旅の始まり
アルノワ王国――
この国は、四季折々の美しい自然に囲まれた、
釣り人にとってはまさに天国のような場所だ。
大小さまざまな湖が各地に点在し、川の流れは穏やかで、清らかな水が森を潤す。
南の沿岸部には豊かな漁場があり、北へ進めば、山間にひっそりと隠れた
秘境のような釣りスポットもある。釣りギルドが管理しているだけでも、
その数は百を超える。
釣りギルドの本部がある港町・ダッカールは、
この自然に囲まれた国の玄関口だ。ここから旅を始める者も多い。
目的地は少年の住む村――そこまで行くには、まず北東に7日かけてトマの町を目指し、
さらに徒歩で3日、険しい山道を越えて村へ入ることになる。
森は多く、釣りスポットも豊富――つまり、水源が多くて魔物も出やすい。
「比較的安全」なんていう説明は、だいたい信じてはいけないのがこの世界の常識だ。
僕――フィリオ・コーデンは、ミドル・ガードと名乗るCランク冒険者パーティの
護衛のもと、今まさにその旅路を馬車で進んでいた。
ガイルは馬車の屋根の上で構えたまま、まったく動かない。
風の抵抗でマントがバサバサと揺れ、どこか緊張感を漂わせている。
その姿はまるで映画のワンシーンのようだ。
「リーダー、そろそろ降りないと日焼けするわよ」
「いや、警戒中だ」
「さっきから鳥とにらめっこしてるだけじゃん……」
ミナのツッコミも軽やかに、相変わらず硬派なリーダーである。
そして事件(?)は、いつも通り唐突にやってきた。
ガクンッ!と馬車が急停止した。
「ゴブリン5体出現だ!」ガイルの声が鋭く響く。
「まじか、どこだ!?」バルクが斧を構える。
「……後ろで……ダンス……してる」
ヒューの言葉に、全員がポカンとした。
「えぇ〜、なんで踊ってるんですかぁ〜?」とフローラが声を上げた。
見れば、5体のゴブリンがなぜか輪になってぐるぐる回っている。
まるで盆踊りのような奇妙な動きだ。
「召喚魔法の儀式でもやってるのか?」バルクが困惑する。
「……ミナ、まとめてやってくれ」ガイルの指示が飛ぶ。
「分かったわ、ファイアーボール!」
ボフンッ!
爆炎とともに、ゴブリンたちは一瞬で燃え尽きた。
「はい、ゴブ輪消えましたぁ〜」
「“ゴブリン”じゃなくて“ゴブ輪”て!」
「……おそらく儀式に……失敗した……召喚士系個体」
ヒューがボソボソと分析を続けている。彼は今日もマイペースだ。
***
その日の昼休憩。
フローラとミナがコトコトと鍋を煮込んでいた。
「はーい、みなさん〜、お腹壊さないように〜。
今日は消化に優しいパンと、バルクさんの昨日の煮物ですぅ〜」
「フローラさん……それ、昨日のっていうか、
一昨日の残りだよね? いや、色が……変色して……」
「今日の具材はね、ミートっぽい謎物体」
「ラベルには“にく(仮)”って書いてあったわよ」
「ちょっと待って、それ肉って断言できないやつでは……」
バルクが目を逸らしたのを、僕は見逃さなかった。
「俺じゃねぇぞ!? お、俺は昨日、焼き魚食ってたからな!」
「焼き魚!? どこで手に入れたんですか?」
「……黙秘する……」
「……ちょっと川、……見てくる」
と、ヒューがふらっと馬車を降りた。弓を置いて、釣り竿だけを持って。
「まあ、あの人のマイペースは今に始まったことじゃないわ」
「いやあのそれ僕の竿……」
しばらくして、木々の向こうから物音が聞こえてきた。
「ガオオォオー!」
「……って、あれクマ!? てか戦ってる!?」
「いや、釣りしてるだけじゃ……?」
──と思いきや、ヒューとクマが魚を挟んで綱引き状態だった。
「……その魚、オレの……」
「ガァオ!!(いや俺のだ)」
「……あいつ弓使い…‥だよな」
道中、オークや凶暴な肉食獣などが現れても、
ミドル・ガードの面々は冷静に対処する。
流石は護衛任務を主とする冒険者パーティといったところか。
ガイルの剣は一閃ごとに的確で、バルクの斧は重量を感じさせない見事な一撃。
ミナの魔法は爆発的で、フローラの支援魔法は迅速。
ヒューはというと、魚との戦闘に全精力を注いでいた。
戦闘は真面目、でもそれ以外は基本的にコント。
僕の冒険記者としての仕事は、ツッコミ役と記録係、そして時々逃げ役である。
「慣れない旅で少々疲れたな」
木陰に腰を下ろしていた僕の隣に、ガイルが近づいてきた。
「フィリオ、まだ釣りしてないだろ? 一緒にやらないか?」
その一言に、少しだけ心が軽くなった気がした。
「……まあ、ちょっとだけなら」
普段は常に冷静で、仲間の中でも一番気を張っているような男が、
今日はどこか肩の力が抜けている。
ガイルは無言で釣り竿を一本、僕の方へ差し出してきた。
どこかぎこちない笑みを浮かべている。
「旅の途中に、少しくらい息抜きも必要だろ」
「……ありがとう。じゃあ、少しだけ」
少し歩いた先に、静かな川が流れていた。陽の光が水面に反射してきらめいている。
鳥のさえずり、木々のざわめき、そして――
「……お、釣れた」
ガイルがあっさりと魚を引き上げた。銀色に輝く、丸々とした川魚だ。
「え!もうですか?」
「剣より軽いな」
僕も慌てて竿を振る。なんだかんだでふたり並んで釣りを始めた。
気づけば、どこか気持ちがほぐれていく。
「わぁ〜何してるんですかぁ〜?」
声をかけてきたのはフローラだった。小さなバスケットを手にしている。
「ガイルさんが誘ってくれて、ちょっと釣りをしてるんです。気分転換ですよ」
「ふふ、いいですねぇ〜。お昼のスープ、ちょっと薄かったかなって
思ってたところですし。魚が入ればちょうどよくなりそうですぅ〜」
さりげなくプレッシャーかけないで
フローラが隣に座り、釣り糸を垂らす。持参の小型竿は意外にも
慣れた手つきで扱っている。
「フローラさんって釣りもできるんですね」
「まぁ〜ちょっとだけ……あ、釣れたぁ〜!」
ポチャン、と飛び跳ねる小魚。思わず拍手が起きた。
「釣れたかあ!? こりゃ晩飯が楽しみだなぁ!」
と、豪快な声とともにやってきたのはバルク。手にはお手製の竿。
というか、それもう棒と紐じゃないか?
「お前、それで釣れるのか……?」
「釣れる釣れる。オレ、田舎育ちだからな。こう見えて漁もやってたんだぜ?」
バルクが川に足を突っ込んでジャバジャバと入り込み、
乱暴な手つきで仕掛けを放った。
「……いや、それは釣りっていうか漁……」
「見てろよ〜! ウオリャァ!!」
ガバァン!!
大きな音とともに水柱が立つ。
「うわっ、ちょちょっと!」
「ああ〜〜! せっかく静かだったのにぃ〜〜!」
フローラの叫び声とともに、残りのメンバーも次々と集まってきた。
「……結局、全員釣りしてんじゃん」
「ふむ……魚影、悪くない……この辺、釣りギルドのマークも……あったはず」
と、ブツブツ呟きながら釣り竿をセットするヒュー。
彼の竿は他と違ってやけに高性能で、どう見ても釣りガチ勢の道具だ。
「ヒューって……実は釣り好き?」
「……嫌いでは、……ない」
ミナも渋々竿を持ったが、開始10秒で釣り糸が木に引っかかる
という離れ業を見せ、フローラに助けられていた。
そして気がつけば、全員が並んで川沿いで釣りをしていた。
最初は静かな時間だったのに、今ではわいわいとしたにぎやかな声が響いている。
「……まさか、旅の途中でこんな時間が来るとは思わなかった」
ふと、そんなことを口にしてみた。
「旅ってのは、戦うだけじゃない。こういう時間も、忘れちゃいけない」
ガイルの言葉に、何かが胸に残った。
「釣れたぁ〜〜〜! これで夕飯三匹目ぇ〜!」
「それ、さっきわたしが逃したやつじゃ……!」
「細かいことはいいのよぉ〜」
フローラとミナがじゃれ合い、バルクが素手で小魚をキャッチして
「漁の才能あるかもな」と自画自賛し、ヒューは無言で黙々と釣果を重ねている。
水音、笑い声、爽やかな風。
何気ないひとときが、心の中に深く刻まれる瞬間だった。
ふと思う。
この旅が、ずっとこんな風に笑って過ごせるものであったなら――
「旅も悪くない。いや、むしろ……」
そう呟いた時僕の背中に、魚がビチビチと跳ねて当たった。
「誰ですか今ぶつけたの!?」
「悪い、狙ってなかった!」
「わざとでしょ!?」
「違うって、たまたま……うわっ、また引いた!」
「チクショウ、釣る!!」
気づけば皆、本気モード。釣果勝負が自然発生していた。
釣り竿を握りしめ、僕は思わず笑った。
「……これが、冒険ってやつなのかな」
暖かな風が吹き抜けた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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