誤診
かさあら
誤診
「あれから、いかがですか。」
いかが、に込められた意味を、普通の人なら分かるだろうか。何を聞かれていて、何を答えるべきなのか。診察室の椅子に座ると、思考が厚い雲に覆われてしまう。壁に掛かっているスズメの仲間、ウソの絵画を見つめながら、この三週間を振り返る。
なんか、辛かった。それだけは明瞭に覚えていた。朝起きて、学校へ行き、友人と遊んで、夜眠る。繰り返しの中で、「これを先生に話そう」と何度も気が煮立った。でも日が経つにつれ蒸発して、ここに座るころにはこんな感想しか残らないのだ。
「何も、無かったですね。」
「じゃ、また三週間分、同じお薬出しておきますね。」
何か掘り下げて聞いてくれないかな、なんて期待するけれど。いつもこうして、三分間の診察が終わる。礼をして診察室を出る。その瞬間、頭に突風が吹き、雲がちぎれる。朝起きれなかった、学校へ行けなかった、友人にいつも嫌われているような気がして苦しかった、夜眠れずに泣いた。小さい頃、父親の酒が切れるとしきりに殴られて、「誰にも言うな」と約束させられた。
今日も無駄な金を払った。外来棟から外へと出る。まだセミがうるさく鳴いていた。こんなにいい天気だ。話を聞いてくれる先生もいる。それでも幸せでないならば、全部自分のせいなんだろう。
「おとーさん! こっちこっち、パース!」
領収書と処方箋をしまうためカバンに目をやっていると、公園からの声がやけにはっきり聞こえた。病院の向かいでキャッチボールをしていた親子が、ちらりと私の方を見て、すぐに自分たちの世界へ戻っていく。汗がにじんだ。見てはいけないものに対する好奇の目だろうか。何か、嫌だ。男の子は、あの些細な日常の一ページの中で、感情体験を通して豊かな人間性と、安心で安全な基地を形作っている。
家に着くまでの間、あの男の子の声が何度もループして離れなかった。そしてたまに、父親の声。鍵を閉め、かばんを放り投げる。自分の頭を五回、殴りつけた。頭が空っぽになる、ちょうどよい痛みの蓄積とリズム。何が嫌なのか、分からない。こんな姿を誰かに見つけてほしくて、あそこに通っていた。今度こそあの診察室で泣いてやる。決意するといつも、死んだ父親が耳元でささやく。
「何もなかった。私が悪い。誰にも言うな」
抑えこむとき、涙が出る。拭ってくれたのは、逆らわなかったときの父親だけだ。本当は私を愛してくれていた、酒に殺された父親との約束。いつまでも、それを破れずにいる。外はすっかりうす暗くなって、今にも雨が降り出しそうだった。
誤診 かさあら @kasaara
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