感謝されたい - ショートショート

神野 浩正

感謝されたい

 あるところに、一人の男がいた。


 誰からも必要とされていないと感じていた。

 誰からも感謝されないまま、生きている気がしなかった。

 せいぜい、便利使いされて軽い調子で「ありがとさん」とだけ言われるのが関の山だった。


 せめて一度でいい、多くの人に心から必要とされ、心から感謝されてみたい。

 男はそう願った。


 ある日、男は車にはねられた。

 意識は戻らず、医師たちは脳死と判断した。


 身元は不明だったが、臓器提供の意思表示カードだけが見つかった。


 角膜を失っていた少女に、光が戻った。

 肝臓の移植を待っていた青年が、退院した。

 膵臓を得た男は、もうインスリンに怯えずにすむようになった。

 両肺を移植された母親は、ふたたび子どもを抱きしめた。

 そして、男の心臓は、重い病を患っていた少年の胸で、今も静かに鼓動を打っている。


 誰も彼の名を知らない。

 けれど、彼に感謝する人はたしかに存在している。


 本当に、たくさんの人が、心から彼に感謝している。


 ただ、それらの感謝の言葉が、当の男の耳に、彼の心に届くことがなかった。

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感謝されたい - ショートショート 神野 浩正 @kannokousei

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