乙女ゲームに転生した悪役令嬢は、前世の恋愛トラウマが強すぎて恋ができない

遠都衣(とお とい)

第1話 わたくし、乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました



「侯爵令嬢チェリエ・マーキュリー。お前のような女とは、婚約を破棄させてもらう!」


 幼いころからの婚約者であり、この国、ドルトムント王国の王子であるレイスにそう言われた瞬間、チェリエの脳裏にぶわりと衝撃が走った。


(あれ、この景色、どこかで…)


 チェリエの視界に、目の前の景色と、どこかで見たような平面の絵スチルが、ブレながら少しずつ重なっていく。

 そうして完全一致した瞬間、ここが前世でプレイしていた乙女ゲーム【はなぎの乙女】の世界であることに気付いた。


(えっ……、これってもしかして、レイスルートの断罪シーン?)


 見覚えのある背景。そして自分を取り囲む、見覚えのあるキャラクターたち。

 ずきっ、と耐えがたいほどの頭痛がチェリエを襲う。


(わたくし……)


 痛む頭を押さえながら、チェリエはゆっくりと周囲を見回した。

 誰も彼もが迷惑そうな顔でこちらを見つめる、中心にいる自分。


(先ほどのレイス様の言動。それから、周囲から注目されているわたくし。悪役令嬢チェリエ・マーキュリー……。もしかして……、いえ、もしかしなくてもわたくしが……、悪役令嬢なの?)


 【花継ぎの乙女】のメインヒロインであるリリーと、その隣に寄り添うように立つ攻略対象のレイス。

 その光景に、チェリエは今まさに、自分が彼らから断罪されている場面なのだということを理解した。


「どうした? 不服か? リリーを虐げたお前に、これくらいの処罰でも生ぬるいくらいなのだぞ?」

「チェリエ様、謝ってくださいっ! 謝ってくだされば、私はそれで許しますからっ……!」


 ……許す?

 何を許すと言うのだろう?

 リリーの不作法をそれとなく窘めただけの自分が、どうして謝らなければいけない状況になっているのか。

 耐えがたいほどの頭痛に苛まれる自分と、嘲笑しながら見下してくる婚約者のレイス。


「それに、もうすぐ外交でやってくる大国トリギアの王子を歓待するためのパートナーには、お前のような冷たい女では務まらんのだ。リリーのような明るく優しい女性でないとな。これが潮時だったのだ」

「やだ、レイス様……」


 そう言って、チェリエに見せつけるようにリリーを抱き寄せるレイス。


 ――冷たい女。


 確かに、侯爵令嬢として英才教育を受けてきたチェリエは、多少のことで表情を崩さないよう訓練を受けてきた。

 市井で育ったリリーのようにころころと明るく笑う女性と比べたら、それは冷たいと言われても仕方がないのかもしれないが、それでもチェリエ自身は彼女なりの品位品格を持って貴族令嬢として生きてきたつもりだ。


(結局……、レイス様はただ、にこにこと微笑みながら自分を立ててくれる女性が欲しかったのよね……)


 ガンガンと鳴り響く頭痛の中、チェリエはそんなことを思う。

 しかし、それを思ってもうどうにもならないのだということもわかっていた。


(ああ、待って。もう限界)


 そう思うと同時に、チェリエはぐらりと自分の体が傾いたのを感じた。

 瞬間、ふわりと誰かに抱き留められたような気がしたが、それが誰だったのかはもはやわからなかった。

 


 ◇◆◇



 ――前世でのチェリエ、槙田まきたちえりは、素敵な恋に憧れる普通の女の子だった。


 いや、女の子、というには少しとうが立っていた気もしなくもないが。


 恋愛漫画や乙女ゲームに触れながら、『私もこんな運命みたいな恋がしたい』と憧れた。

 でも現実には、そんな漫画やゲームみたいな恋愛なんてなくて、誰かを好きになって付き合ったりはするものの、結局は最後お互いにすれ違いが生じて別れを迎える、というごくありふれた恋愛をしていた。

 前世での死の直前の別れも、ちょうどそんな感じだった。


 ――あのさ、別れてほしいんだ。他に、好きな子ができたから。


 たったその一言で別れた最後の彼氏。

 付き合い始めたばかりの時は、あんなに嬉しくて好きだと思っていたのに。

 

 どうして私は、誰かと長くいることができないのだろう――?


 それから、傷心でふらふらと道を歩いているところに、子供が車の前に飛び出したのを助けて、どかん!

 次に気が付いたのが、先ほどの婚約破棄宣言の場面である。


(多分、さっきのショックで、眠っていた記憶が呼び覚まされた、ってことなのだと思うのだけど…)


 ふわふわと夢と現実の境をさまよいながら、そんなことを考える。

 自分がチェリエ・マーキュリーだという確固たる自覚があった。

 17年間チェリエとして生きてきた記憶も。

 そこに、前世の記憶が蘇り、ぶつかることなく自然に融合した。



 ◇◆◇



 ふっ、と瞳を開く。

 開いた先に映るのは、見慣れたベッドの天蓋――チェリエの部屋である。


(…………あら…………?)


 天蓋を見上げながら、チェリエはゆっくりと状況を整理する。


 自分、槙田ちえりは、乙女ゲーム【花継ぎの乙女】の世界の悪役令嬢、チェリエ・マーキュリーに転生した。

 そして今は、学園断罪イベントが終わったところである。

 いわゆる正ヒロインであるリリーの無作法を窘めたチェリエが、その場に出くわした婚約者のレイスから『お前はなぜリリーを目の敵にするんだ!』と責め立てられるシーン。

 本編では、そこからチェリエの日々の悪行が露呈し、婚約破棄され、処罰を受ける――という流れになるのだが。


(婚約破棄されるのはいい。だってわたくしはもう、恋愛をしたいとは思わないもの)


 前世でも今世でも、恋愛がうまくいった試しがないチェリエは、恋をする気力をすっかり無くしていた。

 

「好きになって、期待して、嫌われて、傷ついて……そんなの、もうたくさん。だったらそれより、別の目的を見つけて、この世界で背筋を伸ばして生きていけるようになりたいわ」

 

 今度は――、この世界で自分の力で立てるようになりたい。

 一人の女性として、自立して生きていける道を進む。

 だからもう、レイス様とのことは大丈夫、と自らに言い聞かせる。


(処罰に関しても多分大丈夫よね。だって思い起こしても、わたくし真っ当なことしかしていないし)


 原作ゲームではリリーを厳しく叱責したり嫌がらせをしたりしていた印象の強かった悪役令嬢チェリエであるが、今世のチェリエの行動を思い起こすと、嫌がらせという形でリリーに接したことはなかった。


 貴族令嬢の振る舞いを知らずに常識外れな行動を取るリリーに対し、この国の筆頭令嬢として誠意を持って窘めただけだ。


 例えば、『貴族のしきたりでは、身分が高い相手に身分の低いものから先に口を開いてはいけませんよ』とか。

『お辞儀の姿勢が甘いので、もう少し深く膝を折ったほうがより綺麗に見えますよ』とか。


 彼女が貴族令嬢として肩身の狭い思いをしないよう気遣って声をかけるのだが、その度にリリーは『ひどいっ! チェリエ様、あんまりですっ……!』と騒ぎ立てるのだ。


 あんまりです、ってなんだ。

 あんまりなのは、リリーの態度や姿勢の方なのに。


 そんなことを思い起こしていたチェリエのもとに、コンコンとドアをノックする者があった。


「はい」

「お嬢様。お目覚めになられましたか?」


 そう言ってそっとドアから入ってきたのは、チェリエの家の使用人だ。


「ええ……、ごめんなさい。わたくし、どれくらい眠っていたのかしら」

「今朝方、学園でお倒れになって、2時間ほどお休みになっておられました」


 なるほど。

 先ほどまで見ていた夢は、チェリエが先ほどレイスから婚約破棄されて倒れた少しの間に見ていたものらしい。


(……あまり、長く眠り込んで、みんなに心配をかけなくてよかったわ)


 目覚めた直後に、そうやって他人を思いやる余裕があるくらいには、心に余裕を持てた自分にもふっと笑みを浮かべる。

 そんなチェリエに、尋ねてきた使用人がおずおずと声をかけた。


「お嬢様、あの、お嬢様のお見舞いをしたいというお客様がいらしているのですが……」

「……誰?」


 まさか、婚約破棄を申し渡してきたレイスが来るわけもあるまい。

 そんなことを思いながら、チェリエは使用人に誰何する。


「リュート・スタンレイ様と名乗っておられます」

「……スタンレイ様?」


 ――リュート・スタンレイ。

 チェリエは、その名前に聞き覚えがあった。


「――通して」


 チェリエがそう告げると、使用人が「かしこまりました」と言って部屋から出ていく。

 そうして、しばらくすると、再びかちゃりとドアを開け客人を招き入れた。


「失礼します。体調はどうですか? マーキュリー嬢」


 そう言って入ってきたのは、くすんだくせっ毛の金髪に長い前髪で目元が隠した、どこか垢抜けない印象の男性。


「スタンレイ様」


 チェリエがスタンレイと呼んだのは、チェリエのクラスメイトで隣国のトリギアからドルトムントに留学生として来ている侯爵子息である。


 ――


「突然倒れられたので驚きました。咄嗟に女性の体に触れてしまった無礼をお許しください」


 その言葉を聞いて、チェリエは思い出した。


(そうだ、この方だわ。わたくしがあの婚約破棄を言い渡された場で倒れる直前、抱き止めてくださったのは)


 覚えのある香りだと思ったが、それはトリギア産特有の香水の香りだったからだ。

 ――なるほど。

 それゆえに、彼が心配して今こうやってお見舞いに来てくれたのだと納得する。


 しかし、チェリエにはまだ、納得はできても安心できない事情があった。


(前世の記憶を取り戻して思い出したけど。この方、侯爵子息なんて真っ赤な嘘じゃない……!)


 そう。

 この目の前のどこか垢抜けない男、リュート・スタンレイも、この乙女ゲーム【花継ぎの乙女】の攻略対象だった。


 ――ただし、全シナリオをクリアしたのちに、特定ルートを選んだ時のみに現れる、として。


「実は今日、こうやって病み上がりのところに伺ったのは、マーキュリー嬢に大事な話があったからです」

「大事なお話……ですか?」

「はい」


 なぜだろう。

 なぜだかわからないけど、チェリエの胸に嫌な予感が走り抜ける。


 リュート・スタンレイは、チェリエの前世、蒔田ちえりの最推しだった。

 今でこそ変装をしているため垢抜けない姿をしているが、本来の姿はビジュアル、雰囲気、口調、何をとっても最上級美男子ドストライクの隠しキャラ。


 そんな彼は、すっとチェリエの前に進み出て跪くと、懐から花びらが幾重にも重なった白い美しい一輪の花を取り出し、真摯な瞳で真っ直ぐにチェリエに差し出す。


 彼がなぜ――、乙女ゲームの攻略キャラであるにも関わらず、こうして変装して垢抜けない姿に身をやつしているのか。


「マーキュリー嬢。婚約破棄をされたのなら、私とぜひ、結婚してくださいませんか?」


 リュート・スタンレイというのは、身分を隠すための偽名。

 彼の本当の名前は、サリュート・という。


「えっ……、結婚……?」


 ――そう。

 彼こそが大国の王子であり、【花継ぎの乙女】の最難易度攻略対象。

 トリギア王国王子、サリュート・トリギアその人なのであった。








――――――――――――――――――――――――

新しく連載を始めました。

初めての悪役令嬢です。

楽しんでいただけるよう頑張ります。


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