第3話 追放の烙印

 ――殺人鬼。

 その言葉が響いた瞬間から、俺の世界は変わった。


 昨日まで隣にいたはずのクラスメイトが、まるで知らない人間のように俺を睨み、避け、囁き合う。

 畏怖、嫌悪、不安。

 その全てが混ざり合った視線が俺を突き刺していた。


「殺人鬼なんて……聞いたことねえぞ」

「勇者とか聖女が出るのに、なんでそんなのが……」

「やばいだろ、こんなの……」


 ざわめきは恐怖と侮蔑へ変わり、やがて拒絶の言葉が次々と飛び出した。


「そんなやつと一緒にいられるかよ!」

「近寄るな! こっち見るな!」


 吐き捨てられる声が、心臓に突き刺さる。

 息が苦しい。

 呼吸が荒くなる。

 頭が真っ白になって、体の震えを抑えられない。



「――静まれ」


 神官の一声が場を鎮めた。

 だが俺を救うものではなかった。


「鑑定の結果は絶対。彼は“殺人鬼”であり、諸君らと共に勇者の旅路を歩むことは叶いません」


 淡々とした宣告。

 それは死刑判決と同じ響きを持っていた。


「では、どうするってんですか?」

 佐久間隼人が一歩前に出た。

 勇者と呼ばれたその顔には、怒りと警戒が入り混じっている。

「放っておいたら危険だろ。俺たちが襲われたらどうする?」


「そうだ! 処分するべきだ!」

「最初から怪しいと思ってたんだよ!」


 次々に声が重なる。

 処分。

 その言葉に、背筋が凍りついた。


 俺は――まだ何もしていない。

 ただ呼ばれただけだ。

 それなのに、まるで罪人のように断罪されていく。



「待ってください!」


 再び水瀬美優の声が響いた。

 必死に俺の前へ立ちはだかる。


「蓮はクラスメイトです! 一緒に頑張ってきた仲間なんです! いきなり“殺人鬼”って決めつけて追い出すなんて……!」


 その言葉に、一瞬だけ心が揺れた。

 彼女だけは違う――そう思わせてくれる。


 だが、周囲の反応は冷酷だった。


「甘いこと言うなよ! こっちは命がかかってるんだぞ!」

「勇者パーティに殺人鬼なんて必要ない!」

「味方のフリして、背中から刺されるかもしれねえんだ!」


「……っ!」


 美優の顔が苦しげに歪む。

 それでも彼女は必死に声を上げ続けた。


「蓮はそんなことしない! 私、知ってます!」


 だが、その必死さが逆に孤立を際立たせた。

 彼女を睨む視線。

 「庇ってる」「怪しい」「同類じゃないのか」という疑念が広がっていく。


「水瀬、お前……もしかしてアイツの味方か?」

「危ないだろ……」


「違う! 私はただ……!」


 声がかき消される。

 拒絶の渦が広がり、孤独が深まる。



「――よい」


 神官が杖を鳴らした。

 厳粛な声が、議論を断ち切る。


「彼は勇者の一行には加えません。城を出た後、独自に行動してもらいます」


「ちょっと待ってください! それって……一人で、ですか!?」


「そうです。勇者の道に彼の居場所はありません」


 無慈悲な判決。

 つまり、追放だった。


「……そんな……」

 美優が唇を噛んだ。


 俺は声を出せなかった。

 何を言っても無駄だとわかっていた。

 ここには俺の居場所はない。

 それだけが、痛いほど伝わってきた。



 大広間を出るとき、誰一人として俺に声をかけなかった。

 背中を向けられ、目を逸らされ、石ころのように扱われる。


 廊下の先で振り返ると、美優だけが振り返りかけた。

 だが、勇者の仲間に腕をつかまれ、引き戻される。


 その瞬間、彼女の口が小さく動いた。

 ――ごめん。


 唇の動きだけで、その言葉が読めた。


 俺は何も返せなかった。

 ただ静かに、城の闇へと歩み去るしかなかった。



 その夜。

 貸し与えられた小さな部屋で、一人きり。


 窓の外に見えるのは、見知らぬ異世界の星空。

 広いのに、息苦しい。

 布団に潜っても、心臓の音がやかましく響く。


「……殺人鬼、か」


 つぶやいた瞬間、胸が締め付けられる。

 なぜ俺が。

 どうして。


 怒りと悲しみがないまぜになって、涙が滲んだ。

 悔しい。

 ただの烙印一つで、人間じゃなくなったみたいに扱われる。


 爪が掌に食い込むほど、拳を握る。

 その時――。


 ふと、頭の奥にざらりとした声が響いた。


《……殺せ》


「……え?」


《殺せ。お前は殺人鬼。血を流すことでしか、生きられない》


 背筋がぞわりと震えた。

 声は幻聴か、本能か、それとも本当にこのジョブの力なのか。


 耳を塞いでも、声は消えない。

 暗闇に潜む囁きのように、心の奥に滲み込んでくる。


《お前を拒絶する者たちを……皆、殺せ》


 心臓が跳ね上がる。

 呼吸が荒くなる。

 頭を振って否定した。


「ち、違う……俺は、そんな……!」


 だが、確かに体の奥底で何かが目覚め始めていた。

 血を求める衝動。

 それが「殺人鬼」という烙印の正体なのか。


 震える手を見つめながら、俺は初めて悟った。


 ――もう、元の世界には戻れない。

 ――もう、クラスメイトの輪には入れない。


 俺は一人だ。

 この世界で。

 これから先、ずっと。



 涙を拭い、ベッドの上に座り込む。


「……いいさ」


 かすれた声が夜に溶ける。

 もう誰も信じない。

 もう誰にも縋らない。


 もし俺が“殺人鬼”なら――。

 その力で、この世界を生き延びてやる。


 心の奥で、何かが静かに笑った気がした。

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