くちパク男
詣り猫(まいりねこ)
第1話・月宵での怪談話
◆
遊具も紅く染まる逢魔が時の公園。ヒト、モノ、の黒い影が伸びるそんな時分──。
9歳の
漕ぎもせず、彼はじっと……誰も居ない滑り台を見つめていた。滑り台の途中に視線を送り続ける。
「気になるかい?」
急に後ろから声をかけられたので、大吾は「ワッ」と驚いた。
気づくと、空いていたはずの隣りのブランコに見知らぬ中年男性が座っていた。ところどころ薄汚れたつなぎを着ていて、正直汚らしい。
「おじさん、誰?……」
「ああ…怖がらせてしまったようだね。おじさんは高田という者だよ」
と、公園の外に見える整備工場を指さした。
「自動車の整備士だ。そこで働いてる」
「……ぼくに何の用ですか?」
「君がずっと滑り台を見ていたから気になってね。あそこに何か見えるかい?」
「何も」と首を横に振った。
「じゃあ、不思議なものは信じるかい?」
「…………うん…」
「そっか。じゃあ特別に君にこれをあげるよ。手を出しなさい」
そう言われたが大吾はためらった。
「あ、怖がってるね?……大丈夫、大丈夫。おじさんは変態でも殺人鬼でもないからさ」
薄く口角を上げてこちらの反応を面白がる高田にゾッとしたが、なぜかそれに反して手が勝手に動き、言われるがまま御椀を作ってしまう。
高田はニヤニヤしながら、右手でそこに何かを置く仕草を見せた。
「はい。おじさんからのプレゼントだ」
「……!?」
なぜか感触がある。なにも見えないのに、直径3センチほどの不気味なナニカの重みを感じて、それが数秒で消えた……。
────────────────────
◆
「お兄さん、お兄さん…」
と、遠くから
「……んっ?…」
公園の景色がじわじわと小さくなり、フェイドアウトしていく──……
「お兄さん、ちょっと起きてくださいよ!」
男の声がかなり近くでハッキリ聴こえて、大吾は目をゆっくり開けてみる。
「………」
彼のボヤけていた視界の焦点が合っていく。調子が良さそうな男が目に映る。「え、ああ…」──木村が大吾の肩を揺すっていた。
木村は2時間ほど前に知り合ったばかりの20代半ばの若いサラリーマンである。
大吾は辺りを見渡した。
ホルダーに逆さで収納されたグラスの数々、カウンターの壁沿いに立ち並ぶ洋酒のボトル。格調高いシックな大人空間。
ここは東京世田谷区にあるBAR・『
目の前のカウンターにはマスターの戸村が立っていて、ワイングラスを布で丁寧に拭き取っていた。BGMは消されているので、「キュッキュッ」という拭き取る音がはっきり聴こえる。
後ろのテーブル席で携帯電話を操作している30代前半くらいの綺麗な女性客は、大吾たちに興味は無さそうだった。
彼女は色鮮やかな黄色いブランド物のバッグを椅子に置いていたので、大吾はそれが気になった。
「あの、おれ……寝てた?」
木村は「はい」と口を尖らせ言葉を続ける。
「なに寝てんすか! まだまだ夜はこれからっすよ!」
それを聞いてうんざりした。どうやらBARのカウンター席に座ったまま寝ていたようだ。こんな話をしていたからだろうか、彼は幼少期の夢を見た──
「いや〜、さっきの建築現場の話が怖かったっすね。仮説トイレに居たのが老婆の霊っていうのもヤバい…………もっと、他のもくださいよ!」
(そうか、おれは彼が外に出て電話をしている間に、寝ちゃったのか……)
タクシーの行き先、彼女が見た者、建築現場の仮説トイレ……
(一体おれはあと何本話さないといけないのだろうか……)
大吾は、つくづく自分が美容師という職業で良かったと思った。平日休みだからだ。今日しんどくても明日(火曜日)は眠れる。
この木村という男は『
どうやら彼は仕事が上手く行ったので盛大に祝いたかったようだ。寿司屋に行った帰りに、泊まっているビジネスホテルの隣りにあるこの店にやってきた。
気分が良かったのか、来て早々、隣りに居た大吾とマスターの戸村にお酒を奢り出す。
最初のうちは3人で楽しく飲んでいたが、話の流れで大吾に霊感があると知ってから木村の目の色が変わる。
彼は子どものように目を輝せて、自分が都市伝説や怪談話が好きということをアピールしてきた。
ちなみに大吾に霊感があるとバラしたのは戸村だ。彼は蝶ネクタイとスーツがよく似合う白髪の老紳士である。
カクテル作りの大会で何度も優勝するほどの実力を持ち、美味しいお酒を提供してくれるバーテンダーなのだが……異様なほどの怪談好きという変わった一面も持ち合わせていた。
大吾がいるときには閉店時間の少し前だとしても、お客さんが居ないタイミングを見計らって意気揚々とCLOTHの札に変更しに行く。
それから小走りで戻ってきて、いつも流しているお洒落なJAZZの曲を急いで止め、大吾の話を待ち構える。
(狂った人だな……)
彼は内心、戸村に対してそういう風に感じていた。
ビジネスホテルの隣という立地であれば、店を開けていれば客は遅くでも入って来るだろう。なのに怪談話をじっくり聞きたいから閉めるなんて正気の沙汰ではない。
────────────────────
◆
「じゃあ、次の話だけど……あの話をしようかな──」
大吾が話を切り出すと、テーブル席の女性客が一瞬視線をカウンター席の2人に送った。しかしすぐに眉間にシワを寄せ、携帯電話に視線を戻す。
(そうだよな……怪談話に興味ない人も居るもんな)
女性客の気持ちがすごく分かった。
一方、木村と戸村は興味津々のようだ。
「あれは、おれが9歳の頃──」
────────────────────
続く
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