だから私は今日も笑う

文月結

だから私は今日も笑う

笑顔を見ると、明るくなれる。



朝、私は道行く人に笑顔であいさつをする。

「おはようございます!」

そう言うと、たいてい少し身構えられて、その後みんなおはようと返してくれる。

笑顔と明るい挨拶が返ってきたときは気持ちいい。

それだけで、朝から頑張ろうと思える。



朝、だいたい私が一番に教室に着く。

そして、登校してきたクラスメイトに、笑顔で手を振りながら、

「おはよう」と言うのだ。

毎朝、皆には穏やかに挨拶をしているように見せているが、

内心では心臓バックバクである。

今日は笑顔がちゃんと作れただろうか。

声のトーンは聞きやすかっただろうか。

毎日会うクラスメイトだから、道行く人とは違いあまり変なことはできない。


けれど、いつもそれは杞憂に終わって、すぐに楽しいおしゃべりがはじまる。

そうして私は安堵するのだ。



新しいコミュニティーに入る時、私は笑顔を絶やさない。

誰かと目が合った時、にこりと笑って会釈する。これだけでも、その後の集団の居心地は変わる。

ずっとそのままだとさすがに疲れてしまうが、人は第一印象が9割である。最初さえニコニコして、「私はあなたの敵じゃないですよ」とアピールすれば、そのあとは何かとうまくいく。


私なりの笑顔の処世術だ。



電車の中にいる時、私は微笑みながらそこに立つ。

電車の中や、駅のホーム。周りの人たちは大体スマホを見ながら、不愛想な顔をして、あたかも「私は何事にも無関心です」みたいな顔をしてそこにいる。けれど、私が何かをしたとき。動いたときや、荷物を前に抱えなおすとき、周りの人は怪訝そうに私を見る。

私はそれが少し苦手だ。だから、そういう時は、ニコっと笑って相手の顔を見る。

すると、相手は目を背けてくれる。


私はこれを、笑顔の護衛術とよんでいる。



私は臆病だ。だから笑う。

自分はあなたに友好的です。自分はあなたに好意的な感情を持っています。

それを精一杯伝えるために、笑顔という道具を使う。

だれも傷つく人はいない。何も悪いことをしているわけじゃない。

皆もどうせ同じことをしているんでしょう?


でも、時々思う。こんな笑顔でいいんだろうか。



昔、人が笑う意味って何だろうって考えたことがある。

自分が楽しいから、自分が幸せだから、自然と生まれてくる笑みは尊い。

けれど、成長するにつれ、大人になるにつれて、私は時々、自然な笑顔を忘れてしまう。


周りの人全員が笑っているとき。

どうしてみんなは笑っているんだろう。

どうして今私は笑っているんだろう。


友達が、誰かの悪口を言っていたとき。

なぜあなたはこれを嬉々としていえるんだろう。

なぜ私はこれを笑えるんだろう。


そんな風にして、ぎこちなくしか笑えなくなっていた時。

一人の女の子が、ばいばい!と帰り際に、はじけるような笑顔で挨拶してくれた。


太陽みたいだ。


その笑顔をみて、僕の陰鬱な気持ちは霧散した。


笑顔は本来このようにあるべきである。

笑顔を見せて、見た人も笑顔になる。

それがどんどん広がっていって、

世界が平和になるような。そんな力が笑顔にはあるはずだ。


あぁ、こんな笑顔を見せられる人になりたいな。



「おはよう!」


今日も私は笑顔で挨拶をする。けれど、それは打算的な笑顔じゃなくて、

私が世界を明るくするんだ!という、無謀で。でも、希望に満ちた笑顔。


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だから私は今日も笑う 文月結 @yui_fuzuki

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