記憶の運び屋
紡月 巳希
第十一章
追撃、そして出口
カイトは私の手を強く握り、迷うことなく地下施設の中を駆け抜けた。彼の「現実認識を歪める術」は効力を失い、追手の男たちはすでに冷静さを取り戻し、私たちの後を猛烈な勢いで追ってくる。施設内には警告音が鳴り響き、複数のモニターには「侵入者」を示す赤い表示が点滅していた。
「こちらだ!」カイトは、迷路のように入り組んだ通路の角を曲がるたびに、正確な方向を指示する。彼の脳裏には、この巨大な地下施設の構造が完全に焼き付いているかのようだった。私も必死に彼についていく。木箱は私の腕の中で、温かく、そして力強く脈動している。そこには、私の失われた記憶だけでなく、今や無数の「盗まれた記憶」のエネルギーが宿っているのだ。
背後から、男たちの足音と、電子的な銃器の発砲音が聞こえる。壁際に火花が散り、熱が頬をかすめる。しかし、カイトは一度も振り返ることなく、先へと進む。彼の集中力は恐ろしいほどに高く、まるで周囲の全てが、彼の意図した通りに動いているかのように見えた。
「あと少しだ!」
カイトがそう叫んだ時、私たちは再び巨大な金属製のハッチの前にたどり着いた。これは、私たちがこの施設に侵入した時と同じハッチだ。しかし、ハッチの向こうからは、すでに新たな追手の足音が聞こえてくる。出口は、目前であり、同時に新たな危険が迫っていた。
カイトはハッチに手をかざすと、再びその指先から微かな波動を放った。ハッチはゆっくりと開こうとするが、先ほどの侵入時よりも明らかに動きが鈍い。組織が、この出口を完全に封鎖しようとしているのが分かった。
「…間に合わない…!」私は焦りの声を上げた。
その時、カイトは私に抱えさせた木箱に目を向けた。
「アオイさん、この箱の『波動』を感じてください。それは、あなたの記憶と、今手に入れた数多の記憶が共鳴し合う音だ。」
彼の言葉に、私は木箱の鼓動に意識を集中した。すると、木箱から放たれる温かい琥珀色の波動が、私の体の中に流れ込んでくるような感覚に襲われた。それは、絵を描く時に感じるような、集中と没入の感覚に似ていた。そして、私の意識の中で、無数の記憶の断片が、まるで星のように輝き始めた。
「その波動を…ハッチに…!」カイトが叫んだ。
私は迷わず、木箱をハッチに押し付けた。すると、木箱から放たれる琥珀色の波動が、ハッチ全体を包み込んだ。波動はハッチの表面に刻まれた紋様と共鳴し、紋様が強く発光し始める。金属製のハッチは、これまで見たことのない速さで、音もなく内側へと開いていった。
「な…何だと!?」追手の男たちの驚愕の声が聞こえた。
開かれたハッチの向こうには、喫茶店へと続くあの薄暗い地下道が広がっていた。私とカイトは、一歩も立ち止まることなく、ハッチをくぐり抜けた。ハッチは、私たちの背後で、まるで生きていたかのように音を立てて閉まり始める。追手の男たちがハッチに手を伸ばそうとするが、間に合わない。ハッチは完全に閉まり、再び静寂が訪れた。
「やった…!」私は息を切らしながら呟いた。
「まだだ。」カイトの声は、かすかに息が上がっているが、すぐに落ち着きを取り戻した。「彼らは、この『裏口』を把握していない。だが、我々の脱出は、彼らにとって大きな失態だ。必ず、追ってくる。」
私たちは、喫茶店へと続く螺旋階段を駆け上がった。地下道の空気は、もはや私たちを苦しめるものではなく、自由への道標のように感じられた。しかし、私が手にした木箱の中で脈動する無数の「盗まれた記憶」と、それがこの世界にもたらす影響を考えると、本当の戦いはこれから始まるのだと、私は直感した。
喫茶店の裏口の扉を開くと、そこには「メメント・モリ」の薄暗く、どこか懐かしい空間が広がっていた。カウンターのエスプレッソマシーンからは、微かな湯気が上がっている。私たちが不在の間も、この喫茶店は、何事もなかったかのように、静かに時を刻み続けていた。
しかし、私たちは知っていた。この喫茶店が、そして私たちの周りの世界が、今、大きく変わり始めていることを。
記憶の運び屋 紡月 巳希 @miki_novel
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