和風な異世界に迷い込んだ俺を拾った酔っ払いは、どうやら『白兵戦 部門・最強ちゃん』だったらしい。後継者に選ばれたが、正直成りたくない。

へろあろるふ

第1話 酔いどれ

「うっぷ…。」

「飲み過ぎだろ……。」


 雨雲が泳ぐ夕暮れ時、2人の旅人が畦道を歩いていた。


 1人は、覚束ない足取りで歩く、笠を被った小柄な少女。もう1人は、達磨のような仮面を被った静かな大男だ。


「は、はは…。いやぁ〜…、ぅん。ヒッ…。」

「もうすぐ雨が降るってのに…。俺につもりじゃないだろうな?」

「まさかぁ〜、ちゃんと私もやるよっ!」


 浴衣のような装いで、銀髪を後頭部に纏めた少女は、酷く泥酔していた。頬を赤らめ、首を鈴のように左右に揺らす姿から、彼女の機嫌の良さが伺える。


 対して大男の機嫌と言えば、当然良くない。これから【雨】が降るというのに、酔っ払いの世話までしていては手が足りない。


「……降りてきたな。」

「………。北と東はオジサンが片付けてくれる? あとは私がやるかっ……ら。」


 シャックリ止まんねー、と呟く少女。腰に差した刀に手を遣り、ゆっくりと空を見上げた。


「分かった…。道端で倒れたりするなよ?」


 達磨の仮面を被った大男は、何も無い空中から大きな木槌を取り出した。






*○*○*




 琴村という少年は、異世界に迷い込んでいた。


 だが、琴村の認識としては ここは異世界ではない。周囲の雰囲気としては、日本の田舎だと言われれば 全く違和感が無いからだ。


 高校の帰り道に、携帯電話が圏外になる程のド田舎に、いつの間にか迷い込んでしまった。


 琴村の認識はその程度だった。


「こんな場所あったか……?」


 今にも雨が降ってきそうな曇天から、大量のがゆっくりと降りて来ている。


 黒い物や、赤い物、色がよく見えない影もある。それらは海を泳ぐように、ゆっくりと、ゆっくりと、地上へ向かってくる。


「……何だアレ。」


 しばらくして、その輪郭がはっきりと見え始める。

 だが、琴村は自分の目に映る光景を信じる事が出来なかった。


 雨雲を突き破り、幾つもの群れを成し、巨大な魚が、大空を泳ぎながら降りて来るのだ。


「夢、だよな…。」


 どれだけ時間が経ったか、大人を丸呑みできそうな大きさの錦鯉にしきごいが、琴村の目の前まで降りて来た。


 巨大な錦鯉は、身近な広葉樹に近寄ると、木に向かって頭から突っ込んだ。


 木の枝も葉も、錦鯉に触れた瞬間、炭酸水の栓を開けるような音と共に消えていく。


 垂らされた一滴のインクが水に溶けるように、あっという間に、広葉樹は跡形もなく吸い込まれてしまった。


「………何だよ、コレ。何なんだよ、ここ。」


 錦鯉は首を傾げるように身体を捻り、琴村に目線を向ける。


 鯉を取り囲むように、小魚のような形の透明な水の塊が浮遊する。

 何十匹も集まり、群れを成して泳ぐ。その流れるように動く群れは、琴村に向かって進み出した。


「まさか……俺を喰う気か…!?」


 琴村は小魚の群れに背を向けると、全速力で駆け出した。


 追い付かれたら即死、という推測が彼の脳裏に過ぎったが、まさしくその通りだ。

 死に物狂いで逃げ出したのは正しい判断といえる。



 ただ、残念ながら––––––––高校陸上部で期待の新エースである彼の健脚を以てしても、空を泳ぐ魚を振り切る事は叶わなかった。


 追いつこうとする小魚の群れを尻目に睨んだ時、琴村は石につまずき、道端で盛大に転んだ。


「く、来るな……!!」


 琴村は死を覚悟し、力強く目を瞑った。


「–––––––。」




 何かが空を切り、水面を乱暴に叩き付けるような音。乾いた地面に、水が飛び散るような音。


 二つの音が、何度も何度も連続して聞こえた。そして数秒後、音はピタリと止んだ。


「んふふ〜、無事みたいだね。」


 その場に縮こまった俺の背に、機嫌が良さそうな少女の声が 降りかかった。


「……?。」


 目を開けてみると、俺は生きていた。残念ながら、この悪夢からは覚めていないようだ。


 小魚の形をした水の塊も、巨大な錦鯉も見当たらない。目の前にいるのは、銀髪の少女だ。


「ぇ、無視しちゃう…? 女の子が話してるのに、無視しちゃうの〜!? キミ、絶対にモテないよ!」

「あ、どうも。」


 俺は立ち上がって少女を見た。背丈は俺と同じくらい。浴衣のような服装だが、シルエットは何となくロングコートに似ている。


 頭には輪の大きい笠を被り、腰には2本の刀を差している。


 流石は夢だ。殺意剥き出しの魚の次に、アニメみたいな銀髪の美少女まで出てくるとは。


「ヒッ……うぷ。」


 その少女は、紫色の瞳をぐるぐると回しながら、足元をふらつかせている。


「動き回り過ぎた…。少年、助けてくれー!」


 何だか頬も赤い。フニャフニャとした表情で、ヨロヨロと近寄ってくる。


「アンタ、酔ってないか? どう見ても未成年だよな!?」


「ぇえへへー!? 酔ってないよ、酔ォってないナイ!! あと、ミセイネンって何? 妖怪のこと?」


「アンタやばいって!!」

「少年の方がヤバイよ〜、何その服装! 妖怪の真似っこ?」


 目を直線にして笑う少女は、やたらと『妖怪』という単語を口走る。


「これ……夢じゃ、ないのか?」

「え、夢なの? 私、もしかして酔っ払ってる!?」


「もしかしなくても酔っ払ってるよっ!」



 酔っ払った少女はひとしきり騒いだ後、静かに俺の顔を見つめた。


 改めて見ると、やはり綺麗な顔立ちだ。少し眠そうで、丸く大きい紫色の瞳。

 小さな顎、高めの鼻。軽やかに揺れる銀色の髪、シミひとつ無い白い肌。



 不安定な雰囲気の少女は、いきなり転びかけた。危なっかしく立ち直る。


「…少年、肩貸してくれない?」

「あぁ、いいけど…。」


 少女と肩を組んだ直後、彼女の全身の力が抜けたのが分かった。ずるりと倒れそうになったからだ。


「ちょっ。」

「zzzz……。」


「……は?」


 倒れそうな少女を支えようとして、抱き締める事になる。


「酒 くさい…。おい、起きてくれ。」

「ぐぅぅ〜……。」


「ったく、どうしろってんだ。」



 –––––やっぱり、夢じゃないみたいだ。感覚が鮮明過ぎる。


「おい……。マジで起きないじゃん。」


 この子は可愛いが、本当に可愛いだけだ。全く迷惑極まる。そんな事を考えていた俺の視界に、黒い魚影が映った。


「……勘弁してくれよ。」


 酔っ払いを抱き上げると、俺は走り出した。後ろから、巨大ななまずが追いかけてくる。


「そもそも、なんで魚が空を泳いでるんだ!」


 鯰のスピードは、見かけに寄らず速い。小魚よりは遅いが、追い付かれるのも時間の問題だ。何処かに隠れるしかない。


「……っ。」


 辺りを見回すが、隠れられそうな物陰は見当たらない。そもそも田舎過ぎて、オブジェクトが少ないのだ。


「おいっ、頼むから起きてくれ! このままじゃ俺もアンタも死んじまう!」


「ムニャ……耳たぶ、しゃぶらせろ〜……。」

「起きろってば!!」


 少女は起きる気配がない。せめて彼女が自分の足で逃げてくれれば、俺が囮になって時間稼ぎくらいはできたかも知れないのに。


「こうなったら…!」


 これ以上、この子を抱いて逃げるのは無理だ。このままじゃ、2人とも確実に死ぬ。


「…借りるぞ。」


 少女を身近な木の根元に下ろすと、俺は彼女の腰に差された刀を取った。

 慣れない手つきで抜刀し、鯰と向かい合う。


「握り方、これで大丈夫か……?」


 鯰は、日本刀の刀身を見ると前進を止めた。もしかしたら、これを警戒しているのかもしれない。


 鯰の方へと歩を進める。両手で刀を持ち上げ、右肩に刃を乗せた。


 鯰は僅かに天を仰いだ。すると、それに呼応するように、何処からか小魚の群れが集まってくる。



 俺は徐々に加速して、鯰の正面まで駆け込んだ。右肩に乗せた刀身を振り上げ、下ろす。


 大雑把な一閃は、水面を強く叩くような音と共に、鯰の顔を真正面から両断した。


「……。」


 鯰の全身から色が消えて、透明な水の塊になる。それが揺れたかと思うと、大量の雨粒となって飛び散った。


 きらきらと光る雨が降り、辺りをどんどん濡らしていく。




 俺が心の底から喜ぼうとした瞬間、視界に大量の小魚が映った。全方向から俺を囲み、虫がたかるように襲いかかってくる。


 刀を一瞬で何振りした所で、この数を捌くのは不可能だろう。ましてや、素人の俺は一瞬のうちに一振りすら出来ない。


 そうだ、きっとこれは夢だ。ただの悪夢だ。今から小魚の群れに喰われて、目が覚めるんだろう。もうすぐ終わるんだ。




「……死にたく、ない…。」








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