03.改めましての自己紹介:ただし、名前は明かさない

 掃除を終えた部屋。

 床に赤ワインを注がれた紙コップが二つ並んでいる。


「さあ、一杯やろうじゃないか。私は乾杯出来ないが」


 幽霊は床に置かれた紙コップに指を差し込んだ。


「ワインが染みる……!」


『うまいか……? 渋ッ!』


「おや? キミ、ワインは苦手か? ほぅ、初めて……こっちによこせ。飲みやすくしてやる」


 主人公がカップを差し出すと、彼女はそこに指を重ねる。


//虫の鳴き声のように

「しぶしぶしぶしぶ~~」


『なにそれ?』


「渋味を重点的に吸い上げた。飲んでみろ」


『あっ、意外とうまい』


「だろ? さて、改めましての自己紹介だ。とはいえ、名乗るつもりはない。私のことを呼びたいときはとでも、呼んでくれ」


『名無し?』


「名前は魂の入り口みたいなものだからな。幽霊、むき出しの魂みたいな私がそれを明かすのは、呪術的にリスキーだと判断した。念のため、キミのことも名前呼びはしない。そうだな、新入りとでも呼ばせてもらおうか。よろしく、新入り」


『名無しと新入りねぇ』


「来歴くらいは語ろう。私はいわゆる地縛霊だ。活動範囲はこの賃貸の一室」


 名無しは宙に浮かび、そこで一回転して見せた。


『なんか……』


「……おい、いま昔っぽい服と言ったか?」


『やべっ』


「悪かったな! なんせ2000年頃に死んでしまったのでな。次はそっちだ」


『名前は、いいのか……高卒フリーター、いま二十歳。契約更新のタイミングでこの部屋を見つけた。こんなところか?』


「OKだ。我々の利害は一致していると言ったが、先にキミのメリットを伝えよう。なんといっても、この部屋の破格の安さだ。原因はもちろん幽霊わたしだ。この後の提案を受け入れるなら、私は悪さをしない。結果、キミはこの部屋に住めるというわけだ」


『お前を成仏させるってのは?』


「やれるものなら、それもまたよしだが……まずは話を続けよう。新入り、いままでに幽霊を見たことはあるかい?」


『ない』


「じつは私も自分以外の幽霊にお目にかかったことがない。そして、いまもにわかに信じがたい気持ちでいる」


『どういうこと?』


「幽霊としか言いようのない私が言うのもアレだが、が私の実感だ」


『ふ~ん?』


「これは私の経験だが、幽霊になるとな、とにかく初めは頭がぼおっとするんだ。それこそ数年単位で私はこの部屋に揺蕩たゆたっていたと思う。新しく入居者がやって来て、それを眺めているうちに私はようやく自我を取り戻した」


『気長な話だな』


 合間にワインに指を浸す名無し。


「初めは驚いたさ。自室が勝手に模様替えされているし、知らない人が暮らしていたんだ。それがどういうことか確かめているうちに自分が幽霊としか言いようのない存在で、限られたものにしか干渉できないことを理解した。生きている人間とコンタクトを取ろうとしても、見えない聞こえない。相手に強く触れれば、痙攣……金縛りにしてしまう」


『不動産の田中さん。めっちゃビビってたぞ?』


「それはお気の毒に……」


『それだけかよ……』


「いいんだ。田中さんにはこの部屋をお勧めしたという罪がある」


「そんなことを繰り返しているうちに、少数だが私のことを観測できる人間がいることに気が付いた。ファジーな表現だが人間というものがいるらしい」


 名無しは新入りをビシッと指さした。


「私の観測史上、キミとは最も波長が合う」


『え~? なんか、ノリ違くね?』


「同感だよ。! 私もそう思う」


『なんで、上から?』


「話をまとめよう! 私は自分でもよく分からないを知りたい。そのためには私を観測でき、検証に協力してくれる人間が必要だ。格安、敷金礼金ゼロ。入居条件は幽霊わたしへの協力。さあ、どうする?」


『除霊の方向は?』


「やり方が分からん」


『う~ん……』


「それと、重要なセールスポイントを一つ忘れていた」


『これ以上あんの?』


「幽霊とはいえ、私という美少女と同棲できるぞ?」


『…………』


「私という、美少女とぉ……!」


『ああ、はいはい! やっぱりお前、邪悪な存在だろっ⁉』


 SE:もういいよと新入りが拍手する

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