九月十九日(金)秋ネイルとカフェオレ。
「晴れたなー……」
クルミが来なくなって四日目。見事な秋晴れだった。
憎らしいほど澄み切った青空だ。
「クルミ、練習大変だったかな」
口では面倒くさいと言いながらも、たぶんクルミはこういう祭ごとを力いっぱい楽しめるタイプだろう。いつも元気でパワーに溢れている。
きっと活躍したに違いない。
「今週末は、さすがにゆっくりするんだろうな」
私は縁側に腰を下ろした。
「この季節の縁側は、気持ちいい……」
この数日、私は爪を彩っていた。秋のネイルは、真っ赤な紅葉と黄色いイチョウ。
それにしても、自分でネイルを塗る人は、利き手の反対はどうしているのだろう。色はなんとか濡れたとしても、細い筆を使ったアートは難しいどころの騒ぎではない。不可能だ。ネイルシールは百均にもあったが、気に入った柄がなかった。悩んだあげく、普通の薄いシールを眉毛カット用の細いハサミで切って、紅葉とイチョウのオリジナルネイルシールを作った。
「いいね」
小さな小さな紅葉をピンセットで挟み、空に掲げた。細いところは1㎜ほど。我ながらいい出来だ。そういえば、私はずっと『重版出来』を『じゅうはんでき』と読んでいたが、正しくは『じゅうはんしゅったい』と読む、ということを昨日知った。
こうやって、頭の中であまり意味のないことを考えながら、一心に小さな爪を彩る。こういう時間が、嫌いじゃない。
小さな紅葉を、震える左手で、なんとか右手の薬指の爪に乗せる。
「可愛い」
ところで、ネイルは臭い。シンナーみたいな匂いがして、すごく臭い。だからこうやって開け放した縁側で色を塗れるのは、すごくありがたい。
最近の家で、縁側があるのはとても珍しいらしい。昔おじいちゃんとおばあちゃんが住んでいたこの家は、古さはあるが汚さはない。きっと家を大切に丁寧に暮らしていたからだろう。
「よし、できた」
透明のトップコートを塗って、完成。ネイルの難点は、しばらく手が使えなくなることだ。少しでも風が当たるよう、体の前で交差するよう大きく両手を動かした。
ピンポーン――
突如、インターフォンが鳴った。
「えっ?」
慌てて、縁側から庭に飛び出た。
「えっ?」
玄関を覗くと、自転車にまたがったクルミがいた。
「あれっ? 今日はそこから?」
クルミはいつもより少し、くたびれた笑顔を見せた。
「あ、今日はネイル? ネイルの匂いがするー」
クルミは部屋に入るなりそう言った。
「だから、返事なかったのかー」
言われてスマホに目をやった。画面にいくつか通知があった。
「ごめん。普通に気づかなかった。ていうか、今日は来ないと思ってた」
「ごめん、確かに、今日汗すごいかも」
「いや、それは別にいいんだけど……。あ、シャワー浴びたい? お風呂使う?」
「えっ、いいの!? 本当に? うわーめっちゃ浴びたいー」
「お茶飲むなら自分でどうぞ」
私は手術前の医師のように両手を掲げてみせた。
「あー、可愛い! 見せてー! あ、でもちょっと待って、ゆっくり見たい」
クルミは手を洗うと、冷蔵庫から麦茶を出しグラスに注ぎごくごくと飲み干して、すぐに二杯目を注いだ。
「ゆかりは? 飲む?」
私は「ああ、じゃあ飲もうかな」と答えた。
クルミは「誰の家だよ、って感じやね」と言いながら、グラスをもう一つ出してお茶を注いでくれた。私は、クルミのたまーに出る、ちょっとした関西弁が割りと好きだったりする。
「じゃ、お言葉に甘えて、シャワーお借りしまーす」
クルミはあっという間にお風呂場へ消えた。
「着替えまで、ありがとうー。カップ付きタンクトップは発明だね」
ものの十分後、私の部屋着に身を包んだクルミがほっとした表情で戻ってきた。
「さすがに、汗臭い肌着をまた着るのは嫌でしょ」
「いやー、もうここまで来たら第二の我が家だな」
「新しい下着のストックあってよかった。コンビニのだけど」
「今度、返す!」
「いらん!」
クルミはあっはっはと笑った。
「違う、新しいの買って返すって意味!」
「いいよ、別に。むしろ自分の一つ置いといたら?」
「いいの? じゃあ、今度持ってくる」
「制服は風通しとけば、汗くらいすぐ乾くから。はい、ハンガー」
「何から何まで」
クルミは大袈裟に手を合わせてハンガーを受け取った。
「あ、ネイル見せて! もう乾いてる?」
「うん、だいたい乾いたと思う。さっき上からオイル塗った」
「ネイルオイルちゃんと持ってるんだ。えらい」
クルミはそう言いながら、私の手を取った。
「あ、可愛い! めっちゃ秋! すごくいい、これ」
「いいでしょ」
「えー、可愛いー。いいなあー」
「やってあげようか? 明日休みだし」
「いいの!? やったあー!」
私たちは縁側に向かい合って座った。
「ネイル、同じでいいの?」
「同じがいいー」
「人にするの初めてだから、下手だったらごめん」
「全然いいー」
私はしばらく黙ったまま、クルミの爪を彩った。
「どのシールがいい?」
「この紅葉とー、こっちのイチョウとー、あと星」
「黄色い星?」
「うん」
真剣に爪と向き合う私とは対照的に、クルミはのんびりした声で言った。
「やっぱ縁側、いいねー」
「いいでしょ」
「風が気持ちいいー」
本当に、気持ちのいい風が二人の間に吹いていた。
「できた……!」
私は「はあーー」っと息を吐いた。一気に肩の力が抜けた。
「すごい! 可愛い!」
クルミは両手を空にかざした。
「しばらく何も触らないように。アイスコーヒー持ってくる。牛乳入れるよね?」
「うん! ありがとー」
台所でカチャカチャと用意をしながら、私はクルミに話しかけた。
「……そういえばさ、練習って今日で終わり? 多分またあるよね?」
クルミからの返答はなかった。私の心は少し、ざわついた。
「シロップ一つ入れたけど、足りなかったら――」
縁側のクルミは、身じろぎ一つせず、スースーと寝息を立てていた。
あまりに無防備で、あまりに気持ちよさそうなその姿に、思わず笑った。
「疲れてたんだな……」
クルミの隣にそっと座り、二つカフェオレが乗ったお盆を静かに置いた。
カフェオレは、いつもより少しだけ甘く感じた。
今日も今日とて 滝川永茉 @takigawa_ema
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