守るべきもの
出発は早かった。闇の眷属を待たせるわけにはいかないらしい。友人たちと別れを惜しむ暇も与えられなかった。
メリッサは、焦げ茶色の小さな馬車に乗せられて、祖国サンライト王国を西側に出発する事になった。馬車は屋根があるため風雨を避けられる。
メリッサは緑色のローブの上に、白い上着を羽織っている。上着の真ん中には、太陽を模した金色のブローチが付いている。頭には慎ましやかな白い帽子が乗せられている。
憧れの聖女の服装をしているが、メリッサの表情は重い。
不安と寂しさが胸に広がっていた。
これからたった一人で人質とされるのだ。しかも、偽りの聖女として差し出されるという。不安にならない方がどうかしている。
時折休憩を挟むが、気分は晴れなかった。気持ちの切り替えができないまま、馬車に乗り込む事になる。
少しでも気をまぎらわすために窓のカーテンを避けて、外を覗く。祖国は見えなくなっていた。
メリッサが思っているよりも、出発してから時間が経っているようだ。
大地は舗装されていなくて、デコボコしている。幸い賊はいないが、馬車が楽に通れる道ではない。
遥か遠くには、雪に覆われた高山が見える。山は鋭く、塔が突き出しているようにも見える。白い城だと勘違いする幼子もいる。メリッサもかつてはその一人だった。
両親と無邪気に会話をしたのが懐かしい。元気に暮らすと約束をして、修道院に入ったのを思い出した。
メリッサは両手を合わせた。
「不安に負けないように、頑張ります」
メリッサは顔を上げた。サンライト王国の国民のためにも、自分のためにも。
ふと、馬車が止まった。
「どうしたのですか……!?」
メリッサは御者に尋ねようとしたが、答えを待つ必要は無かった。
無数の雄たけびに、つんざくような悲鳴が混じる。血の臭いが漂う。
戦闘が始まっていたのだ。
御者の隣に座る司祭が青ざめる。
「道を変えよう」
「遠回りをすれば、それだけ時間が掛かりますが……」
「メリッサを闇の眷属に送り届けられないよりマシだろう」
司祭と御者が短い会話をすると、馬車は回れ右をする。
メリッサは自分自身をきつく抱きしめて、震えていた。
そんな時に叫び声が聞こえる。
「馬を貸してくれ! 住民を逃がしたい!」
メリッサは窓のカーテンを開ける。
筋肉質の男性が声を張り上げていた。おそらく戦っていたのだろう。頭から血を流し、刃こぼれの激しい剣を握っている。
「魔王が来ている。勝てるはずがない! 一人でも逃がしたい!」
「ダーク・スカイがこんな所に!?」
司祭が仰天した。
男性は必死の形相で訴える。
「グレゴリーが呼んだ。時間がない! 馬を……!」
「住民に手出しするつもりはねぇよ。逆らわなければな」
ガラの悪い低い声が聞こえたかと思うと、男性が昏倒した。手刀を入れられて、地面に倒れたのだ。
細身で長身の、黒髪の男性が立っていた。黒い神官服を身にまとい、整った顔に残忍な笑みを浮かべている。
「てめぇが最後の戦闘員だな。てこずらせやがって」
「ダーク・スカイ、また殺戮を……!」
司祭は両目を見開いた。震える指でダークをさし、厳かに言い放つ。
「神は見ている。そなたを許しはしないだろう」
「偉そうに言える口か? サンライト王国が壊滅した時に、何もできなかったくせに」
ダークから指摘されて、司祭は口ごもった。
言いたい事は山ほどあるだろう。しかし、逆らう意思があると見なされれば、殺される危険がある。偽りの聖女として連れてきたメリッサまで、どうなるか分からない。
サンライト王国の国民を殺戮する口実を与えてしまう。
「守るべきものたちのために、何もおっしゃらないのですね。神よ、どうかお守りください」
メリッサは両手を合わせて、祈りを捧げる。
そんなメリッサの耳に、ダークとは別の、不気味しい男性の嘲笑が聞こえだした。
「あんたらほんと、ちょろいんだから。ダークさんの前じゃ何もできないでしょん」
窓から外を見ると、大柄な男性が悠々と歩いてきていた。無精髭を生やし、濃ゆい紫色の口紅を塗っている。全身にこれ見よがしに宝石を装飾した、濃紺の礼服を身に着けている。
「約束の聖女ちゃんは連れてきたのかしらん?」
「おい、グレゴリー。何の約束だ?」
ダークが眉をひそめる。
グレゴリーはダークの隣に来て、高笑いをする。
「闇の眷属に屈服した証に、聖女ちゃんを用意するように言ったのよん」
「勝手な事はやめろよ。聖女なんて出されたら、ムカつく連中を気軽に殺せなくなるぜ」
「へーきへーき、こっそり殺せばいいのよん。隠し事が嫌なら、聖女ちゃんを汚してただの娼婦にしても良いでしょん……悪かったわよん、はんせーい」
軽口を叩いていたグレゴリーだったが、ダークの切れ長の瞳に睨まれて視線をそらした。
聖女とは、彼らにとって戦闘の取りやめを考えるほど重要な存在らしい。
メリッサは意を決して、馬車から降りた。
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