薬報堂の薬剤師

天継 理恵

薬報堂の薬剤師

ようこそ、薬報堂へ。


おや、随分とお若いお客様ですね?

いえ、店の利用に年齢制限があるわけではないのですが……なにせここを利用される方の多くは、大人の方やお年を召された方ばかりで、口伝えでしか知られていないような店ですから。


ここへはどうやって?

——ふむ。ネットでいろいろ調べた、と。

しかし、地図にも載っていないこの店を見つけるのは大変だったでしょう。

……それだけお困りだということでしょうか。


ところで存じませんでしたが、私の店はネット上でウワサになっているんですか?

それってどんなウワサなんでしょう。


——なるほど。都市伝説サイト。

そんなところに書いてあるんですね。


「何にでも効く薬を処方する店」、「心の病まで完治させる店」……ですか。


ふふっ。いかにも都市伝説らしいウワサですね。しかしまぁ、当たらずとも遠からずでしょうか。


では、お客様に、きちんとご説明いたしましょう。


ここは、ただの薬屋です。

私はただ、薬剤師として、「よく効く薬を処方する」というだけ。


処方箋は必要ありません。

医師の判断ではなく、貴方が感じている「病」を直接治す薬を、私は調合いたします。


心も、身体も。

人に関わる「病」の全てに効く薬を、私は処方しているんです。


……なので、いうなれば私は、闇医者ならぬ闇薬剤師なんですよ。

それでも——私の薬を服用したいと?


……そうですか。

そこまでお困りなのであれば、お引き受けいたしましょう。

ここに辿り着いたというのも、貴方が今、本当に病んでいるからでしょうし。


では、まずはお名前から伺います。

……ムラナカ様、ですね。

ありがとうございます。では、こちらの重要事項確認書をご覧ください。


さて、店には年齢制限はありませんが、薬には年齢制限がありますので重ねてお伺いします。

ムラナカ様はおいくつですか?


——十五歳。

それはまた、判断に困る微妙なお歳ですね。


というのも、薬というのは、内臓の機能が大切でして。

服用した薬というのは、小腸で吸収され、肝臓を通るときに大半が代謝によって効き目を失い、ちょうどよい量の薬が血液にのって全身をめぐります。

そして役目を終えた薬はまた肝臓で代謝され、排出されやすいカタチに変わります。

腎臓に運ばれて、尿と一緒に排出される、というわけです。


この内臓の機能というのが、年齢によっては成熟していないんですよ。

だから、市販薬などにも書いてあるでしょう。

成人(十五歳以上)、みたいに。


貴方の場合、十五歳という、まさに端境です。

小児か成人かというと、一応成人に分類されますが——ああ、すみません。子ども扱いされるのはお嫌いなんですね。

わかりました。では、成人向けの処方にいたします。


ただし、前もって言っておきます。

私の薬は、よく効きます。

貴方が思っているよりも、ずっと効果がある。


薬というものは、効用もあれば副作用もあります。特に貴方の場合、年齢が年齢だけに、薬が効き過ぎてしまう可能性がある。つまり、作用も副作用も大きい可能性があるんです。


だから、約束してください。

用法・用量は必ず守ると。

——それを厳守いただけるなら、処方して差し上げましょう。


……ご了承ありがとうございます。

では、貴方の「病」を伺いましょう。

あなたの感じる痛みを、教えてくださいますか?



——ふむ。それはまた、変わったご相談ですね。



好きだったソーシャルゲームが炎上して、みんながアンチになったから、自分も嫌いになりたい……と。



ああ、すみません。別にバカにしたわけでも軽んじたわけでもありません。

ただ、私としてはいささか、理解に苦しむというか。

好きなものを嫌いになりたいという理由が、よくわからなかったものですから。


——みんなが嫌っているものを、好きでいるのが苦しい、ですか。


……そうですか。ムラナカ様は……深刻なのですね。


『みんなが嫌いなものを、好きでいるのが嫌で仕方ない』。


貴方はそう仰いますが、貴方が感じているその痛みは、どこから来ているかお分かりですか?


……わからないけど気持ち悪い。苦しくてたまらないと。

そうですね。理由の判別している痛みより、わからない痛みの方がずっと恐ろしいでしょう。


でしたら、恐れながらではありますが、私が薬剤師としての知見の元、私見を述べさせていただきます。


私が診たところ——貴方の痛みの元は、劣等感と孤独感です。


ムラナカ様。貴方は、こう思っていませんか?


『どうしてみんなが嫌いというものを、自分はこんなに好きなんだろう』


『どうして、自分”だけ”が好きなんだろう』、と。


……随分と驚いた顔をなさってますね。

いえ、心を読んだわけではありません。人は人の心など読めませんから。


——ええ。仰るとおり、確かにここは怪しい薬屋です。都市伝説サイトに載っているような、得体の知れない店です。


ですが、ここにいる私はただの人間です。

ですから、これはただの知見です。薬剤師として、一人の人間としての、ね。


さて、痛みの元を診断したところで……ムラナカ様は、この「病」に効く薬を望まれているのですよね。


貴方の感じている痛みを取り除くには、貴方が訴えるように、好きなものを、みんなと同じように嫌いになるというのが一番なんでしょう。


……ただ、薬を望む前に、もう一度考えてみてください。


貴方はなぜ、そのソーシャルゲームを好きになったのか。


好きという感覚は、紐解けば、脳の様々な部位が複雑に関与して生じる現象です。

感情の中枢である扁桃体や、記憶を司る海馬、そして思考を司る前頭前野などが、好ましいと思う刺激を受けると、密接に連携し「好き」という感情を形成します。


ドーパミン、ノルアドレナリン、オキシトシン、セロトニン。


分かりやすく言うと、楽しい、興奮する、安心する、幸せを感じるための脳内物質です。

好ましいと思うものを認知すると、これらが分泌され、感情に大きな影響を与えます。


「好き」が生まれ——快感や欲求に変わり、貴方という人間の脳に焼きついていく。


それが、「好き」の正体です。


おや……ぽかんとしていらっしゃいますね。

私の話は難しかったでしょうか?

それとも、「好き」という気持ちが味気なく感じたのでしょうか。


しかし、いくらメカニズムを語ったところで、この「好きだ」と感じる感覚には個体差があります。

生まれ持った気質、性格。生育環境から育まれた価値観。

それらが何を好き、何が嫌だと感じる礎になっています。


それは、「個性」です。


だから、ムラナカ様。

貴方の好きは——貴方だけのものなんですよ。


確かに、好きという感情をもとに集まっていた集団の中は楽しかったでしょう。

たとえ直接の交流がなくとも、貴方にとってはわかり合える同志であり、仲間だったのですから。

しかし……その人達が居なくなった途端、貴方は突然、輪から放り出されたように感じた。


みんなが嫌いになったものを、まだ好きでいる自分。

それが苦しいのでしょうが……お気づきでしょうか。


貴方は、「好き」の本質を見失っているんです。

本来は個性から生まれている「好き」の価値が、いつの間にか、他者の「好き」の価値を基準にすり替わっている。

しかしその「好き」の根本は、貴方に結びついているが故に、みんなが「嫌い」と声を揃えたところで、貴方の好きが嫌いに転化することはない。


これは、そういうお話です。


……ムラナカ様。

私は、貴方を治す薬を処方ことができます。



『解熱剤』。



貴方の熱を下げ、痛みを鎮める薬です。

高熱が出た時に処方される薬の、精神版です。

これを服用すれば、貴方はたちまちそのソーシャルゲームに対する熱——「好き」を失う。

貴方の感じる痛みは、それで消えるでしょう。


ただし、消えるのは痛みだけではありません。

貴方の中の「熱」もまた——消え失せる。


「熱」が消えたことによる副作用は、私には図りかねます。

貴方という人間にとって、どのような悪影響があるのか、それは服用してみないと分かりません。


ただ……一言言えるのは、「熱」を失った人間には、また違う苦しみが生まれる可能性がある、ということでしょうか。

有り体に言えば、喪失感ですね。

失う痛み。それに伴う、何も持っていない空虚さ。


だからこそ——私は、薬をお勧めしません。


思い出してみてください。

貴方の——貴方だけの「好き」がもたらす楽しさを。

ワクワクする気持ち、ドキドキする気持ち、興奮や幸せを。

その想いを、本当に手放してしまいたいと、そう思いますか?


……そうですか。それでも苦しい、と。


でしたら、もう何も言いません。

貴方が今感じている目の前の痛みは、確かに本物なのですから。


……さぁ、これを。

これが貴方の望んだ『解熱剤』です。

食後に一錠飲めば、約三十分後から、薬が次第に効き始めます。

薬が回れば、徐々に貴方の「熱」は下がっていくでしょう。

「好き」は熱を失い、いずれ平熱になります。

好きでも、嫌いでもなくなるのです。

そこできっと、貴方の今感じている「病」は治るでしょう。


この薬をどうするかは……ムラナカ様。貴方が決めてください。

服用するもよし、しないもよし。

私たち薬剤師は、責任を持って薬をお出ししていますが、服用を選択するのは患者様のご意志です。


私はただの薬剤師ですが、患者様の——貴方の「病」の痛みや苦しみが癒やされることを、切に願っております。


……はい。確かにお渡しいたしました。


いえ、お代は結構です。未来ある若者からお金を受け取るのは気が引けますので。

ですので、このお金は貴方が好きに使ってください。

そうだ。帰りにお好きな食べ物でも買うというのはいかがですか?それもまた、貴方の薬となりますよ。


それに、薬の服用の前には、胃に物を入れていただかなければいけませんから。


……おや、おかえりになられるのですね。

本日はご来店ありがとうございました。



——どうぞ、お大事に。

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