第8話 究極生命体

 あのクリスマスからの2ヶ月間は、まるでそれまでのことがなかったかのように、とにかく平和に、何事もなく過ごした。エヴァは最初少し戸惑っていたが、次第にいつも通りに戻り、被服室に集まっては談笑する日々を送った。1月に共通テストが終わってからは、遠藤と錦さんもちょくちょく顔を出した。受験の出来や3年間の思い出なんかを話しながら、郷愁に浸ったり、将来への展望を語ったりした。エヴァは、少し寂しそうに、俺達が話す3年間の思い出を、噛み締めるように、聞き漏らさないように聞いていた。

 2月になると自由登校が始まり、週一でしか学校には行かなくなった。基本的に、学校が無くてもエヴァとは殆ど毎日会っていた。何もなくてもエヴァが家に来て、リビングでアニメを見たり、ちょっと遠出してみたり。エヴァは少し寂しそうに、けれどいつも楽しそうに。恋人らしい時間を過ごした。

 自由登校が始まってから久しぶりに学校に行くと、珍しく被服室に遠藤、錦さん、常磐さんが揃っていた。毎日登校していた時には、殆ど揃わなかったのに、偶にしか学校に来なくなると、逆に揃ってしまうものだ。


 新生活に向けての準備を整えたり、高校生活最後の時を名残惜しそうに過ごしたり。騒がしかったクラスメイトが、急に大人びた感じになったり、逆に大人しかった人が、ちょっと砕けて話し始めたり。そんな、高校生活最後の、2月終わりの不思議な時間。人が大人になっていく、そんな変化を感じる期間。


 1月は行き、2月は逃げる。そして3月がやってくると、高校生活は終わりを迎える。3月1日、卒業式。多くの高校3年生は、卒業生代表だとか、そういうのじゃない限り、別にこの日に向けて準備なんかしないと思うが、俺の場合は違った。俺にとってこの日は、別れであり、新たな旅立ちであり…と言ったら、別に他の人と変わらないような気もしてきたな。


 いつものように7時に起きて、身支度を整える。エヴァが来るまであと30分。いつも一緒に学校に行くため、7時30分にうちの前にエヴァは来るのだ。今思えば、エヴァの方が学校から家が遠く、俺の家が通り道に当たるとは言え、俺の方から出向く日があってもよかったな。

 7時30分になり、エヴァがチャイムを鳴らす。いつものように出迎えて、5分ほど家で駄弁る。クリスマス以降はこの時間に、キスをするようになっていた。しかし、今日は少し違う。今日は卒業式だからと、エヴァを寄り道ドライブに誘う。父親の車に乗せてもらって、ゆっくり車に揺られながら、優雅に登校しようと言って、エヴァを父親の車に乗せる。しかし行き先は学校ではなく、エヴァと出会った父の職場だ。

「サク…?これ、学校と違う方向だよね…?えっと、サクのお父さん、道間違えてない…?」

 エヴァが不安げに聞いてくる。

「大丈夫。エヴァ。ちゃんと行き先に向かってるから。」

「本当…?」

 エヴァは不思議そうに俺の方を見る。行き先には向かっているのだから、間違ったことは言っていない。

「ねぇ、エヴァ。」

「何、サク?」

「前にさ、部活作ったばっかりの頃、会議したの覚えてる?」

「うん。もちろん。青春の定義について。初めて皆揃った時だよね。」

「その時にさ、俺、大したこと言えなかったじゃん?なんか、中高生時代、みたいなこと言ってたと思うんだけど。」

「うん。そうだったそうだった。私、サクに最初にふって…ちょっと無茶振りだったよね。」

「それを、ちょっと思い出してさ、また考えてみたんだよ。青春の定義について。」

 青春。青い春。希望に満ちて、でも満たされない。人間が成長する過程の、大人にもなりきれず、子供とも違う、モラトリアム期間。エヴァが記憶を取り戻してしまうまでの、タイムリミット。

「青春…」

「俺さ、人生って、続けようと思えば、いつまでも青春でいられると思うんだよね。だって、どれだけ考えても、青春の定義って、曖昧なままなんだよ。」

「一つ確実に言えるのは、俺達は今青春の真っ只中で、そんな状況を楽しんでて、終わって欲しくないって思ってる。多分、エヴァもおんなじ気持ち…だと、嬉しいんだけど。」

「…うん。もちろん。終わってほしくないよ。いつまでも青春時代を、いつまでもこんなふうに、サクと、青春研究部のみんなと、過ごせたらいいって、思ってる。」

 車は大通りを少し外れ、見たことのある高層ビルの地下駐車場で停車する。

「サク…」

「エヴァ。大丈夫。」

 不安そうな顔をしたエヴァの左手を握る。父と3人でエレベーターに乗り込み、地下3階へと運ばれる。

「え…ここって…?」

 厳重に閉じられたドアに、ハイテクノロジーな機械。まるでSF映画のような、宇宙開発の秘密基地。

「エヴァ、俺さ、実は大学受験、してないんだ。」

「え…そうなの…?でも、私が家に行った時、いつもすごく頑張って勉強してたよね…?」

「うん。してた。でも、勉強って、大学に行くためだけのものじゃないだろ?」

 父親が生体認証で扉を開ける。そこには長い階段と、さらに厳重な扉があった。

「…サク…」

 エヴァの手を握る。大丈夫だと、不安に思わなくていいと、伝えるように。

「エヴァ、知ってる?宇宙では、時間の流れが違うって。相対性理論かなんかだと、動きの速いものほど、重力が大きければ大きいほど、時間の流れは遅くなるんだって。」

「う、うん…。そうなんだ…?」

 さらに厳重な扉が開く。そうすると、目の前には、見たことのない色をした、謎の乗り物が現れる。

「サク、これ…何…?えっと…なんでこんなところに…?卒業式、始まってるよね…?」

「エヴァ、言ってたよね。青春が終わったら、エヴァはエヴァじゃなくなっちゃうかもって。前世の記憶をすべて取り戻したら、自分じゃなくなるかもしれないって。」

「へ…?えっと…うん。そう。私、もうすぐ、『Q』になる。でも、サクのことは絶対に忘れないよ。みんなのこともきっと…」

 エヴァの肩を掴む。正面から顔を見る。少し不安がるエヴァの顔を、絶対に笑顔にしてみせる。

「永遠にしよう。青春を。そうすればエヴァは変わらない。この宇宙の何処かには、その方法がきっとある。」

「逃げよう。ここから。誰もいない宇宙へ。寄り道でもしながら、2人で宇宙を旅して、エヴァを変えない方法を見つけて、それでふらっと帰ってこよう。」

 戸惑うエヴァの手を引いて、不思議な色の宇宙船に乗り込む。父曰く、これは日本の宇宙開発の技術の結晶で、まだ誰も知らない、最高性能の宇宙船らしい。

「朔。」

 息子が宇宙に旅立つというのに、満足そうな顔で父が言う。

「やっぱ血なのかなぁ、父さんも朔も、外国人の美女と駆け落ちして、それで宇宙に行くなんて。」

「ごめんなぁ。大変なことに首突っ込ませちまって。あの日連れてこなければ、宇宙になんて行かなかったろうになぁ。」

 父はうっすらと涙を浮かべながら、いつになく、若々しい声で、謝罪の言葉を口にする。あの日この建物に来ていなければ、確かに俺は宇宙になんて、行くことはなかっただろう。こんな前代未聞の旅に出ることなんてなかっただろう。けれど。

「何言ってんだよ。別に俺は、行きたくていくんだから、謝んないでよ…パパ。」

 エヴァと出会えて、この1年間、すごく楽しかった。特に夢もなかった俺に、生きる意味ができた。これから先も、ずっと、エヴァといたい。それをどうしても叶えたい。地球で過ごす普通の日々を、手放すことになるけれど。理由としては十分だ。

「ほら、朔。」

 父がモニターのスイッチを押す。テレビ画面ほどのモニターに、見知った顔が映し出される。

「みんな…!」

 遠藤篝、常磐紗沙、錦九音。今は卒業式の時間だと言うのに、いつもの制服で、被服室に集まっていた。

「聞こえてるー!?おーい!」

「別に大きい声出しても聞こえ方変わんないわよ。このランプがついたら入ってるってことじゃないの。」

「おっ、てことは今繋がってるってことじゃねぇか。おい、宇宙規模の駆け落ちカップルのお二人さん!」

「エヴァちゃーーーん!サクくん!エヴァちゃん!」

「わー、泣くなよ!名残惜しくなられても困るだろ!」

 少し震えた声で、遠藤が常磐さんを宥める。青春研究部は、常磐さんが俺たちの会話に入ってきたところから始まった。

「紗沙チャン!」

「エヴァちゃん!絶対帰ってきて!まだエヴァちゃんに来てほしい服が、いっぱいいっぱいあるんだから!絶対に、エヴァちゃんのままで、うちらの知ってるエヴァちゃんのままで、絶対帰ってきてねぇ!」

 こっそりと話した俺とエヴァの秘密。青春研究部のみんなは、喜んでこの計画に参加してくれた。すべてはエヴァをエヴァのままで、別人になんてさせないために。

「愛瀬。」

 思えば、遠藤とは長い付き合いだった。中学生の下校時に始まり、6年間。嫌味なところもあるけれど、オレの唯一の親友だ。

「遠藤。絶対帰ってくるからよ。待ってろ。」

 遠藤が画面越しににやりと笑う。多分こいつカッコつけてやがる、とか思ってやがる。


「でも…サク、"あの人"たちは…?」

 エヴァを狙っている2人組。多分この計画を、絶対に阻止したい唯一の勢力。

「よーし、それじゃ、青春研究部、部長と副部長に活動報告といこうぜ。」

 カメラが後ろに振り向くと、そこには唖然とした表情で立ち尽くす、あの2人組の姿があった。

「すみません。皆さん。これはどういう状況かわたくし共に説明してもらっても?」

 すると、画面の右側から、錦さんがフレームインする。

「わかんないの?愛瀬と天崎、学校サボって宇宙に行くって言ってんの。」

「卒業式にも出てないから、あいつらはまだ高校生。アンタたちって、高校生の間は何にも手出ししないんだったわよね?」

 錦さんは、2人組に、まるで犯人を追い詰める探偵のように言い放つと、カメラの方に向き直って、右手を広げてこう言った。

「さあ、早く行きなさい!卒業式はもうすぐ終わる。そしたらなんか理由つけて、こいつらあんたらのとこに行くかも知れないし、私たちができるのはこれまでだから。」

 モニターの映像が切れる。宇宙船が駆動し始め、多分、少し浮いている。

「サク、私たち、本当に宇宙に行くんだね…?」

「うん。そうだよ。俺達はこれから宇宙に行く。大丈夫。この船には、5年は生きれるリソースが積んであるらしいから。」

「そ、そんなに…?凄いね…でも、私は大丈夫だよ。ほら、私、死なないから。多分餓死もしないと思う。」

「ダメだよ。俺エヴァと食べたい。あんまり娯楽無いんだから、食事くらい楽しめないと。」

 モニターに数字が出る。多分離陸までの時間だろう。

「でも…サク、私、間に合うのかな…?『Q』になる前に、方法が見つからなかったら…」

「大丈夫。見つけるから。それに、もしエヴァが完全に『Q』になったとしても、何とかしてエヴァに戻すよ。」

「それにさ、俺、やっぱり、エヴァは完全に記憶を取り戻しても、エヴァのままでいられると思うんだよね。根拠とかは無いんだけど。多分、大丈夫な気がする。」

「父親や、山城さんにも聞いたんだ。『Q』について、できる限りの情報を出してもらった。そしたら、確証はないけど、エヴァは多分、大丈夫だと思う。」

「実はさ、方法を見つけなくても、なんとかなりそうなんだよ。もちろん、ダメだったときのために、方法は探すけど。だから、多分、ほんの1年ほどの間の、宇宙旅行になる。正直言うと、俺、エヴァと、宇宙旅行に行きたいだけなんだ。」

 これはただ、学校をサボって、ちょっと冒険に行くだけの話。卒業式をサボって、宇宙旅行に行くだけの話。追いかけてくるかもしれない、親とか、先生みたいな奴らから逃げながら、終わらない青春を目指して、俺とエヴァは宇宙に飛び立つ。これは愛の逃避行。これは青春の1ページ。いつか、終わったことに気づいて、ふと振り返るその時までは、青春が終わることはない。


 112億806万2312年前、どこかの星のロマンチストな生物学者は、遥かな宇宙に向けて旅立つ我が子を見て、詩を読むように呟いた。


―青春の1ページ

 それは風雨に晒されようと

 輝き続ける美しい光

 それはどんな過酷な場所でも

 凛と咲き誇る一輪の花

 強くて脆い

 儚くも尊い

 もしもそんな人生の春が

 永遠に続くものだとしたら

 終わらず

 変わらず

 されど止まらず

 繰り返すときが来たならば

 君は無敵の美しさを持った

 究極生命体になる―

 

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Q極生命体 しなないで @shinanaide

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