記憶の運び屋
紡月 巳希
第十章
偽りの現実
追手の足音が、ハッチの奥からさらに強く響いてきた。私たちは、どす黒い光を放つ記憶操作装置と、それを操ろうとする幹部らしき男、そして迫り来る追手の男たちに挟まれ、まさに絶体絶命の窮地に立たされていた。カイトは私の手を強く握った。彼の瞳には、再び強い覚悟の光が宿っている。
「アオイさん、私から絶対に手を離さないでください。」
カイトの声は、静かでありながら、有無を言わせぬ響きを持っていた。私は頷き、彼の手にしがみつくように力を込める。追手の男たちが、私たちを捕らえようと飛びかかってきたその瞬間、カイトは、手にしていた木箱を掲げた。
すると、木箱から放たれる琥珀色の光が、再び空間全体を包み込んだ。しかし、それは第九章で見たような「記憶の帳」とは異なり、もっと激しく、そして脈動している。光は、この地下空間の壁や床、天井に映し出された回路図やモニターの映像を歪ませ、まるで現実そのものが揺らぐような錯覚を起こさせた。
「これは…幻覚か…!?」追手の男の一人が、狼狽したように叫んだ。
「違う。」カイトの声が、その場に響く。「これは、君たちの**『現実認識』を歪める**術だ。真実と虚構の境界を曖昧にする。君たちは、ここで何を見たか、何をしたか、正確には認識できなくなるだろう。」
男たちは、互いの顔を見合わせ、混乱した様子で周囲を見回している。彼らの視線は定まらず、まるで自分たちがどこにいるのか分からなくなったかのように、動きが鈍くなっていた。中には、壁に手を伸ばして、それが実体があるのかどうかを確かめようとする者までいる。
カイトは、この機を逃さず、私を連れて動き出した。私たちは、錯乱する男たちの間を縫うように、記憶操作装置へと向かう。幹部らしき男は、装置の不調に苛立っていたが、この新たな現象にも気づき、私たちに警戒の視線を向けていた。
「記憶の運び屋…貴様、一体何をした!?」男が怒鳴る。
「君たちが、私を、そして記憶を過小評価しただけだ。」カイトは冷静に答える。
彼の瞳は、琥珀色の光に満ちた空間の中で、一層輝きを増していた。彼の能力は、私が想像していたよりも、はるかに奥深いものだった。単に記憶を運ぶだけでなく、他者の認識そのものに干渉し、真実を隠蔽することもできるのだ。それは、この闇の組織が記憶を「操作」するのとは、全く異なる次元の力だった。
カイトは、装置の台座に置かれた、あの偽の木箱へと歩みを進める。男は私たちを止めようと手を伸ばすが、彼の動きはまだ鈍い。カイトは、偽の木箱に触れると、そこから放たれるどす黒い光を、まるで吸い取るかのように、自身の本物の木箱へと移し替えた。
すると、偽の木箱のどす黒い光は完全に消え去り、再びただの古びた箱に戻った。一方、カイトの手にある本物の木箱が、その琥珀色の輝きをさらに強め、中心に、これまでよりも強く、深く、青みがかった光を放ち始めた。
「成功した…!」カイトが、短く呟いた。
「何を…?」私は尋ねた。
「偽の木箱に仕掛けられた記憶の吸収装置を、逆に利用した。彼らが集めていた『盗まれた記憶』のエネルギーを、本物の木箱の中に引き込んだのだ。」
カイトの言葉に、私は理解した。彼らは、私の記憶を鍵として、この空間にある盗まれた記憶を「活性化」させようとしていた。しかし、カイトはそれを逆手に取り、彼らのエネルギーを「吸い取る」ことで、この場所の記憶の情報を、本物の木箱へと集約させたのだ。
その瞬間、地下空間全体を包んでいた琥珀色の光が、急速に収束し始めた。現実認識の歪みが消え、追手の男たちの動きが元に戻っていく。彼らは混乱した表情のまま、私たちに気づき、再び襲いかかろうとした。
「急ぐぞ、アオイさん。」
カイトは、私に抱えた木箱を託した。その木箱からは、温かい、そして力強い脈動が伝わってくる。その中には、私の真実の記憶と、今引き込まれたばかりの、大量の「盗まれた記憶」が詰まっているのだろう。
「彼らが、この状況を理解する前に、ここから脱出します。」カイトは、再び私を連れて、来た道を駆け戻り始めた。彼の視線は、この記憶操作施設の構造を完全に把握しているかのように、迷いがなかった。この地下迷宮の先に、何が待ち受けているのか。そして、私たちが手にしたこの真実の記憶は、一体、何を世界に問いかけるのだろう。
記憶の運び屋 紡月 巳希 @miki_novel
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