美味そうに、うどん食ってた。
「くそう」
店を出て、舌打ちする銀二。
これで五件目だ。
目的の品は売り切れ、次の入荷も未定とのことだ。ダメもとでいくつかのコンビニも回ったが、
「他は――と」
スマホで、店を物色。徒歩で行ける範囲には、もう可能性のある店はなかった。
「もう秋葉原まで行ってみるか」
いや、目立つ店は売り切れの可能性が高い。それこそ、転売ヤーの餌食になっているだろう。
――くそ、転売ヤーめ!
そんな思いが、胸中によぎる。今までの自分を棚に上げて、転売行為への苛立ちがつのってきた。
だが、そのまま無自覚なほど――彼は愚かではなかったようだ。
「……こういうことかよ」
自分がされる側になって、ようやく理解した。
転売ヤーさえいなければ、こんなに苦労することもない。
確かに――売る側の理屈なんて、迷惑をこうむる買い手にとっては関係ないことだ。
パワハラのせいで、仕事をやめざるを得なかった。その鬱屈した感情のまま、たまたま知った転売行為。
きっかけは、学生時代に残っていたカードゲームが予想以上に高値で売れたことだ。そこから調べていき、最新カードゲームの転売を始めてしまう。
最初は、ただただ好調だった。途中から、買い占めに労力がかかるようになったが、だからこそ――それは正当な対価のように、錯覚してしまった。
ネットの声も、『ウルカイ』での非難コメントも、店頭での苦情さえも、せせら笑った。
自分は、悪くない。騒ぐ奴らが、おかしいだけだ。
子供達を前に買い占めても、良心が痛まなくなっていた。あの日、翔太や正志、その後の子供にも、ずいぶんとひどい態度を取ったものだ。
ああ――自分も性格が悪くなっていたものだ。
自分にパワハラをしてきた上司と、いつの間にか同じになっていたのだ。
『逆にあんたは、運がいいのかもしれないよ?』
昨日は受け入れられなかった言織の言葉が――少しだけ、理解できた気がした。
そう、すでに昨日なのである。
東京近郊の店をめぐり、その日はくたくた。漫画喫茶で、夜を過ごした。
次の日の朝、連絡があった。
「在庫のあるお店を、調べといてやったよ」
スマホを出ると、相手は言織。
「ほ、本当か?」
思わず喜んだが、その場所はなんと香川県。ここは東京、とても遠い。しかし、迷っている余裕はない。
新幹線に乗って、向かう銀二。
ちなみに交通費は、片道で約二万円。
転売で稼いだ金が、旅行費用で消えていく。
「……あ、あった」
けれども、苦労は実った。感無量。少し泣きそうになった。
小さなおもちゃ屋の店頭に並ぶ、『G・D』を見つけた瞬間、たまらず声が漏れてしまった。
どこに行ってもなかった、カードゲームの箱。六枚入り三百円のパックが、二十個入っている。価格は六千円。
そう、六千円。
高値の七倍ではない。正規価格で販売されている。
それも二箱。
「…………」
銀二の頭に、一瞬よぎる。
ひとつは、自分がデッキを組むのに必要だが――もうひとつは。
(……た、高値で、売れる)
使ってしまった交通費の、少なからず足しになる。ここまでの苦労が、ほんの少しでも補填される。
それは、悪魔の囁き。
再びの、転売ヤーへの呼び声だった。
少し震える手で、二箱を手に取った。
「……あ、あの店員さん」
思わず声をかける。
「ああ、それが最後の分だよ」
すぐ近くのレジで――少し年かさの女性の店員が、そう返した。
「すごい人気でね。品薄だから、次の入荷はいつになるかわからない。お兄さん、運がよかったね」
「そ、そうかい」
銀二は商品を手に持ち、レジに向かおうとした。
その時だった。
「……あ」
と、小さな声。
振り返ると、小学生ほどの少年がそこにいた。視線の先は、銀二の手元の『G・D』。
彼の目的が、同じであったことが容易にわかる。
数日前の光景が、脳裏をよぎった。
あの時は、あからさまに横からかっさらった。
その時の、子供の父親とのやりとり――
『それは、うちの子が買おうとしたものですよ』
『何言ってるのさ。早い者勝ちだよ』
あの時は、良心なんて痛まなかった。
けれども、今は違う。自分が買う側になったこと。今になって思えば――転売ヤーであること知りながら、救いの手を伸ばしてくれた翔太達。
ここ数日の心境の変化が、瀬川銀二を昔に戻していた。
もともと、彼は善良な人間だったのだ。
それが、色々と重なって――厚顔無恥な転売ヤーになっていたのだ。
「……これ、買うの?」
高額転売への未練を振り払って、その子供に声をかけた。
「え?」
少年の顔が、少しだけほころんだ。
「……う、うん」
期待半分、不安半分。
「そうか」
銀二はひとつをレジに置き、もうひとつを少年に差し出した。
瀬川銀二。
彼が、悪質な高額転売ヤーをやめた瞬間である。
「……い、いいの?」
おずおずと受け取る少年に、銀二は笑いかけた。
「ああ」
頷く銀二。
「へえ、お兄さん優しいね」
レジの女性の言葉が、耳にくすぐったい。
そして――
「ありがとう」
少年の笑顔と感謝の言葉は――それ以上のものだった。
転売を始めてから受ける言葉は、否定的なものばかり。恨みつらみや、非難の言葉。誰かに向けられて、自分も返す。その繰り返しは、より心を病ませていったに違いない。
だからこそ――それらとは違う、その言葉。
『ありがとう』
本当に、ひさしぶりに聞いた言葉だ。
少し涙がにじみそうになってしまった。数日ぶりの牛丼に匹敵するほどの感慨だった。
「……あ、ああ。まあな」
自分でも意味のわからない返事をしながら、銀二は顔を抑えた。気恥ずかしい。
このままでは、泣いてしまう。顔を掻くふりをして、その場を誤魔化す。
「いやあ、本当にありがとうございます」
二発目。
どうやら、少年の父親らしい。
「あ、いえいえ」
店員から商品を受け取り、意味不明に咳ばらいをする銀二。
気恥ずかしさと、むずがゆさ。心がそわそわする感覚。
高額転売が売れた時の興奮とは全く違った――もちろん、決して悪くない感情。
にやけてしまう表情を誤魔化しながら、慌てて店を出た。
◇
「ふうー」
小走りで店を離れて、ほっと一息。
思い出すと、またにやけてしまいそうになるのを、どうにか抑え込む。人目のある場所でにやにやしていたら、まるで不審者だ。
「しかし――ようやく、手にいられたぜ」
銀二は袋に入った『G・D』を、まじまじと見なおした。転売ヤーのせいで苦労させられたが、だからこそ感慨もひとしおだった。
気が付くと、少し空腹も覚えていた。
せっかく香川まで来たのだ。ここはいっちょ、名物の讃岐うどんでも食べていくとしよう。
駅前に向かってぶらぶらしていると、よさげな店を見つけた。
「あれ?」
のれんをくぐって中に入ると、見知った顔を見つけた。
「よお」
うどん屋には似つかわしくない、栗色の髪をした小柄な少女。
十代前半ほどの、可愛らしい少女。
言織だった。
美味そうに、うどん食ってた。
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