第3話 パンデミック

感染症が村を襲ったのは、私がこの世界に来て一週間ほど経った朝のことだった。


「リナ! 大変だ!」

村のおじさんが、荒い息を吐きながら戸口に飛び込んでくる。

ちょうど朝食のパンを口にしていた私たちの手が、思わず止まった。


「どうしたの?」

「息子のところで、家族みんなが熱を出したんだ。それに……隣の家でも同じ症状が出てる」



駆けつけた家の中は、むっとするような熱気に包まれていた。

汗と湿った布の匂い、咳き込む音が絶え間なく響く。

父親も母親も、三人の子どもも、全員が真っ赤な顔で寝台に伏せていた。


その肌には赤い湿疹が広がっている。

荒れた皮膚は痛々しく、咳のたびに胸が大きく上下し、ひゅうひゅうと痰の絡む音が部屋を満たした。


「これ……パオイノ病だ」

リナの顔から血の気が引き、声が震えた。


パオイノ病――数年前にこの地方を襲い、多くの命を奪った恐ろしい感染症。高熱、激しい咳、呼吸困難、そして全身を覆う赤い湿疹が特徴的だという。


「でも、ゼペット先生がいれば大丈夫だろう?」

おじさんが縋るように問う。


「師匠は王都にいるの。でも……大丈夫。私がなんとかする」

リナの声はまだ震えていたが、その目には決意の光が宿っていた。



広場に出ると、リナは村人を集めて大きな声で指示を出した。

「パオイノ病が発生しました。症状のある人は納屋を仮の病室に隔離します。清潔な水と布、鍋を分けて持参してください。看病の当番は家ごとに一人だけ。診察が必要なときは白い布を戸口にかけてください。順番に回ります」


「本当に大丈夫なのか?」

「ゼペット先生はいつ帰ってくるんだ?」

「このままじゃ村が全滅してしまう」


不安の声が村中に響いた。若いリナの肩に、村全体の命がかかっていた。



リナは私の手を引き、薬草庫へ連れていく。

「つぐみ、どれか効きそうなものはある?」


私は薬草を、ひとつひとつ手に取った。でも、どれも光を感じない。淡く光るものもあったが、決定的に足りない気がした。

「だめ。どれもしっくりこない」

「やっぱり……。パオイノ病には特効薬がないんだ。とりあえず手持ちの薬草で症状を抑えるしかない」


リナが薬を調合したけれど、案の定、症状を和らげるだけで、効き目はわずかだった。

それでも患者は増えていく。一日で十人、二日で二十人。

咳と呻き声が村じゅうに響き、不安の声が重なっていく。

どうにかしなきゃ。

リナも、私も――気持ちが空回りするばかりだった。



三日目の早朝、日が昇ると同時にリナが言った。

「症状を抑える薬も足りなくなってきた。森に薬草を取りに行こう」


私たちは森の奥深くまで入り、一心不乱に薬草を摘んだ。

村で苦しむ人たちを思うと、胸が痛んだ。


その時――何かに呼ばれるような感覚があった。

温かな光に包まれるような、不思議な感覚。


「あそこ」

足が自然にそこへと向かう。


小川を渡り、蔦の絡んだ御神木のような大木を越えると、小さな草原が広がっていた。

そこには、銀色に光る見たことのない植物が地面を覆うように生えていた。葉は丸みを帯びて長く、茎はしっかりしている。近づくと、ほのかに甘い香りが漂った。


手で触れると、自分の体温より少し温かい。心の奥から確信が湧き上がった。これだ、と。


「これ……きっと効く」

迷いなく言い切る私に、リナは戸惑った顔をした。

「でも、こんな薬草、見たことがない……師匠の本にもなかった」

「でも、間違いない。この草が『私を使って』って言ってるの」

「……つぐみがそう言うなら。……信じる」

リナは覚悟を決めたような顔で頷いた。



私たちは急いで薬草を摘んだ。

指先で銀色の葉をちぎると、時折、シューッと小さな音が走った。

光をはらんだその葉は、まるで生き物の息づかいのようにきらめいていた。


村に戻り、すぐに薬を作る。煎じた薬湯は真珠のように白く、甘い香りが立ち上った。

最も具合の悪い人に恐る恐る飲ませると、やがて荒い呼吸が穏やかになり、止まらなかった咳が収まった。熱が下がり、赤い湿疹も徐々に薄れていく。


「治った……本当に治った!」

家族が涙を流して喜び、私たちも安堵で膝が震えた。


その家を出ると、リナは広場で村人に指示を出し、薬を大量に煎じ始めた。

「私、もっと採ってくる」

薬草の束が細くなるのを見て言うと、リナが頷いた。

「お願い。頼りにしてる」


私は森へ駆け戻り、抱えきれないほどの草を摘んでは運んだ。

腕に草の匂いが染みつき、指先が薬草の汁でしびれた。



何度も往復するうちに、腕も足も鉛のように重くなった。

ようやく薬が行き渡ったころ、私たちは広場のベンチに腰を下ろした。

気づけば、あたりはすっかり暗い。

戸口の白い布はまだ残っていたが、その数は明らかに減っていた。


パオイノ病には潜伏期間があるようで、翌日も翌々日も新しい患者が出た。

けれど白い布の数は日に日に減り、病は確実に収束へ向かっていった。



一週間後、最後の患者が回復した。


「つぐみとリナがいなければ、村はひどいことになっていた」

「本当にありがとう。命の恩人だ」

「あの薬草はどこで見つけたんだい?」


村人たちが口々に感謝を述べる。

村長は涙を流し、子どもたちは私たちのまわりを駆け回って笑っていた。



その夜、これまでの緊張感がまだ体に残っているのか、疲れているのに目が冴えて落ち着かなかった。

リナも同じだったようで、森の静けさを求めて散歩に出た。


すると、いつものように光の妖精たちが姿を表した。

舞い降りる光は、森の空気にぽつりぽつりと溶け込み、ゆったりと漂っている。

その穏やかなきらめきを見つめているうちに、張りつめていた心がゆるみ、まぶたが重くなっていった。


「妖精さんたち、今日は少ないね」

リナが眠そうに目をこすりながら呟く。

「うん。前に比べると少ないね。半月だからかな?」

私は返事をしながらも、頭の中はもう空っぽだった。

疲れが思考を押し流し、ただ月明かりと光のゆらめきに身を委ねることしかできなかった。

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