異世界転移された勇者は、戦闘が怖くて支援系を極める

@Luciferexcigaya5

第1話

冒頭シーン 第一章 


第一章「異世界なんて聞いてないんだけど!?」

 雨は、健二のスーツをじっとりと濡らしていた。
 午後八時過ぎ。ネオンが滲む繁華街の裏通りを、とぼとぼと歩いていたのは――伊東健二。四十歳、営業職、独身。
 今日もまた、会社では上司に怒られ、取引先に頭を下げ、後輩には気を使い……そんな日常に、もう心が擦り切れていた。

 コンビニの袋には、缶チューハイと、割引シールの貼られた弁当。
 家に帰って風呂に入って、酒を飲んで、寝るだけ。
 誰にも褒められず、誰にも頼られず、ただただ毎日を消化するような生活に、ふとため息が漏れた。

 「……異世界にでも行けたらなぁ……のんびり、平和に、暮らしたいよ……」

 それは、ただの愚痴だった。
 誰に聞かせるでもない、誰にも届かないひとりごと。

 だが、その瞬間――
 視界が、真っ白に染まった。

 「えっ……!?」

 次の瞬間、健二は見知らぬ空間に立っていた。
 すべてが光で構成されたような、上下も左右もわからない、感覚が宙に浮いたような場所。地面すら曖昧だった。

 「やあ、驚かせてしまったかな?」

 目の前に現れたのは、光の魂のような存在。まるで人の形を模したような、温かく柔らかな光。

 「え、えええ!? ちょっと、俺……死んだ? 事故? 酔って転んだとか!?」

 「いえいえ、安心して。ちゃんと生きてるよ。
  ただ、君の“願い”がね、ちょっと強かったみたいで……こっちに届いちゃったんだ」

 「いやいや! 俺、そんな本気じゃ……!」

 あわてふためく健二に、光の存在はふわりと語りかけた。
 この世界に迫る“魔王の復活”、それに立ち向かう“勇者”の存在、そして――

 「君には、適性がある。特別な力を授けて、異世界へと送り出そう」

 「無理無理無理!! 俺、戦うのとか絶対ムリだから! 血とか、怖いし!」

 叫ぶ健二を、光は諭すように包み込んだ。

 「じゃあ、“戦わない勇者”になればいい。“支援”を極めるという道もある。
  仲間を助け、導き、世界にとって本当に必要な存在になる。それもまた、勇者だよ」

 ――その言葉に、健二は黙り込む。

 戦うのは、怖い。
 でも、このまま逃げてばかりじゃ、何も変わらない。
 異世界なら、変えられるかもしれない――そう思った。

 「……せめて……戦わなくて済むなら。支援だけで、生きていけるなら……ちょっと……考えても、いい、かも……」

 その言葉を最後に、彼の身体は光に包まれ、ゆっくりと異世界へと落ちていった。
 そして、彼が目を覚ましたのは、見知らぬ森の中だった――。


第1章 後半


第一章「異世界なんて聞いてないんだけど!?」【後編】

 ――ざわざわ、と、風に揺れる葉の音。

 森の中。伊東健二は立ちすくんでいた。

「マジで……異世界……?」

 辺りには人気がない。鳥のさえずりも、虫の羽音も聞こえず、不自然な静けさが支配していた。

 ――ギギッ……ギギギ……

 その沈黙を破ったのは、低く濁った唸り声。

 草の影から、現れたのは――二足歩行のトカゲのような魔物だった。

「ひ、ひいっ……!」

 全身が凍りつく。膝が震え、冷たい汗が首筋を伝う。理性では逃げろと叫んでいるのに、身体がまったく動かない。

 魔物は、じり……じり……と距離を詰めてくる。

 その手には、骨の棍棒。鈍い金属音を立てながら、それを肩で弾ませた。

 ──ドン!

「うわっ!」

 盾をとっさに突き出す。衝撃が腕に走る。重量感とともに、骨がきしむ音すら聞こえた気がした。

「痛っ……うそ、これって、本当に……命懸け……」

 次の瞬間、魔物が横に回り込む。

 焦って剣を振る――空振り。

 隙を突かれて、肩に棍棒を食らう。

「ぐあっ……!」

 地面に転がり、息が詰まる。視界がかすみ、痛みで思考が吹き飛びそうになる。

 (俺、死ぬ……? ここで……?)

 這うように後退する。魔物は逃がす気などなく、再び唸り声をあげて迫ってくる。

 (盾……! 剣……!)

 恐怖で震える手で、もう一度剣を構えた。剣先は定まらず、腕も上がらない。

 だが、魔物が跳びかかってくるその瞬間――

 ズルッ。

 魔物の足が、地面の根に引っかかった。体勢を崩す。

「っ!」

 反射的に、剣を突き出す。

 ――ズブリッ!

 ぬるりとした感触。硬い鱗の隙間を突いたのか、刃は肉を裂き、深々と魔物の腹に刺さっていた。

 魔物はギシャァァと断末魔を上げ、そのまま崩れ落ちた。

 ――静寂。

「……っ、っは……っは……」

 全身が汗まみれだ。喉が焼けるほど乾いている。呼吸が乱れ、何も考えられない。

 ただ、ひとつだけはっきりしている。

 生きている。

 そして……もう、戦いたくない。

「むり……これ……ムリだよ俺……」

 手にした剣を落とし、へたり込む。

 だが、ふと――創造神の声が、頭の奥から響く。

『支援という形で、人を救う勇者も、また必要だ』

「支援……支援なら……俺でも……」

 震える手でスマホを取り出す。画面が光る。まだ、ネットが使える。検索窓に、震える指で打ち込む。

 【支援スキル 回復 強化 基礎知識】

 スマホの中の知識。それが、彼にとっての武器になる。

 「よし……支援職、極めてやる……! 絶対、生き残ってやる……!」

 か細い声の中に、決意が宿る。

 この日、ひとりの“戦わない勇者”が誕生した。


 日が暮れ始める頃、健二はなんとか街の安宿へと辿り着いた。

 建物の外観は古びているが、受付の老婆は愛想が良く、銅貨三枚で一泊できるとのことだった。
 布団付きの個室。壁は薄そうだが、雨風がしのげるだけありがたい。

 部屋に入ると、健二はまずベッドの端に腰を下ろし、ようやく息をついた。

「……助かった……」

 しばし放心したのち、荷物を置き、宿で貸してもらった桶とタオルを使って体を拭くことにした。
 部屋の隅には、簡素な水瓶と脱衣籠が備えられている。

 服を脱ぎ、冷たい水で濡らしたタオルを絞ると、肩に当てる。

「……っ、冷たっ!」

 だが、冷たい水が汗と土埃を洗い流し、次第に気持ちも落ち着いてくる。
 タオルで顔、首、腕、胸、背中、そして足を丹念に拭く。全身がようやく“自分のもの”に戻ってきたような感覚だった。

 着替えがないため、乾かした服を再び身につけ、彼は部屋の簡素な机の上に置かれた食事へと手を伸ばす。
 宿が提供するのは、薄いスープと固めの黒パン、そして塩気の効いた干し肉。

 どれも質素だが、空腹の身にはごちそうに思えた。

「……うまい……」

 噛みしめるたびに、胃袋がじんわりと温まっていく。
 戦いと緊張のあとの食事は、何よりも心をほぐしてくれる。

 食事を終え、再びベッドへと体を沈める。ふかふかではないが、藁入りのマットは思ったより寝心地がよかった。

 健二は天井をぼんやりと見上げながら、今日の出来事を反芻する。

 突然の異世界転移、森での魔物との戦闘、創造神の言葉。
 そして、自分が“勇者”であること――。

「……俺が勇者、ね……無理あるよなぁ……」

 剣の素振りすらおぼつかず、戦闘では足が震えた。
 あのときの恐怖は、いま思い出しても心が凍る。

「やっぱり……無理だよ、戦うなんて……」

 けれど、逃げるだけではこの世界で生きていけない。
 戦えなくても、生きるために“自分にできること”を見つけるしかない。

(支援……なら……)

 恐怖と絶望の果て、彼が見出したのは、仲間を助ける“支援”の道だった。
 それが、臆病な彼にとって唯一選べる希望。

「……支援スキル、極めてみるか……」

 口に出してみると、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。

 やがて疲労が一気に押し寄せ、体はベッドに沈み込む。

 考えはまとまらないまま、思考もぼやけていく。

 それでも――

「明日……ギルドにでも行ってみるか……」

 最後のその呟きを残して、健二はゆっくりと眠りに落ちていった。

 異世界での最初の夜が、ようやく静かに幕を閉じた。


――第一章・完――

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