第14話

カツカツと石畳を歩くペースは速い。

 リンクスは自宅への道をとにかく急いでいた。

 外を歩くときは周りからの悪意の視線と蔑む声を振り切るように速足で歩くようにしている。

 少し高めの熱があるようで体が熱いけれど、今は一旦自宅に戻りたくて王城を出てきた。

 王城にも薬はあるだろうけれど、以前アルフィードが外国から取り寄せたものだと痛み止めの魔法薬をくれたことがある。

 とても上等なもので高いだろうからと遠慮したけれど、魔力暴走が酷いときは体が千切れそうな痛みが全身を苛むことがあり、それを数日引きずったりする。

 その時に飲むようにと、少なくない量を渡された。

 嘘みたいに痛みがひくので、多分かなり高名な薬師の薬ではないかと思う。

 使うのが恐れおおくて本当に生活に支障が出るときにしか飲んだことはない。

 王城にある痛み止めがどれほどの効能かはわからないけれど、もしかしたらその薬より劣るかもしれないから、アルフィードに渡そうと思って取りに戻っている最中だ。


「僕にできること、なにかあればよかったのに」


 ぽつりと零したとき、ヒュッと何かが風を切って飛んできた。

 ガツリと固いものが右のこめかみに当たり、鈍い痛みが走る。


「痛っ」


 立ち止まり急になんだと驚いて痛みに手をやると、どろりと指先に何かが触れた。

 ズキズキと脈打つような痛みもある。


「え……」


 こめかみに触れた手を見ると、指先に結構な量の血がついていた。

 赤く汚れた指先に、痛みのある個所が怪我をしたのだと気づく。

 いきなりなんだと、茫然と指先を見ていると。


「この国から出ていけ!」

「お前、闇魔法使いなんだろ!母ちゃんが言ってた!」

「お前みたいなやつのせいで植物が枯れてるんだ!」


 子供特有の甲高い声が響いた。

 声の方を見ると、十歳前後の少年が三人。

 全員が手に石を持って、リンクスを睨みつけている。

 少年達の手元を見て、石を投げつけられたのだとわかった。

 こういった子供はたまにいる。

 怖がって遠巻きにする子より数は少ないけれど正義感をかざして、何もしてないのに攻撃してくるのだ。

 リンクスは今は怪我を無視して、地面を蹴って走り出した。

 こういった手合いは顔を見ている間はヒートアップはしても、満足しないかぎりいなくなってくれない。


「あ、待て!」

「お前なんか死んじゃえ!」


 走るのは体力を消耗するからしたくないけれど、背に腹は代えられない。

 慌てて追いかける声と、石が投げられる。

 背中にひとつ当たったけれど、振り返らずにリンクスは人気のない道へと走った。

 幸いしばらく走ると歩幅が違うから引き離せたようで、ゼエゼエと息を切らしながらリンクスは走るのをやめた。

 壁に手をついて、痛いくらいの心臓が落ち着くように深呼吸を繰り返す。


「キツ……」


 足がガクガクしているから、明日は筋肉痛だろう。

 嫌だなと思う。

 先ほどの子供達を思い出してみると、初めて見る顔だった。

 自信はないけれど、近所にはいなかった顔だ。

 ラルカディオが闇魔法を振りまき始めて、街中に出ると以前に比べて度々こういうことがあった。


『お前なんて死んじゃえ!』


 高く怒鳴る声が耳に甦って苦い気持ちになる。

 思わず唇を噛んだとき、いきなり後ろから手が伸びて口を塞がれた。


「むぐ」


 すぐ近くの路地裏にそのまま引っ張りこまれた。

 今日は厄日かと思いながら抵抗しようとすると、その手はすぐに離れていった。

 慌てて後ろを振り返ると。


「よう」

「ラルカディオ!」


 落ちくぼんだ青い目がギラギラと光る、リンクスと同じ闇魔法使いがにやけた顔で立っていた。

 ひらりとリンクスの口を塞いでいたらしい方の手を振って見せる。


「なんでここに」


 キッと睨みつける。

 病弱で耐久性のない体のリンクスでは、一人でこの男を捕縛するのは無理だ。

 どうしようとじりじり後ずさるけれど、ラルカディオは何故か親し気に笑ってみせた。


「この国に闇魔法使いがいるのは知ってたが、会えるなんて思わなかったぜ」


 後ずさっただけ、ラルカディオが一歩距離を詰める。

 油断しないように睨み続けた。

 可能なら逃げたいけれど、逃がしてくれそうな気配はない。


「そう怖い顔をするなよ、仲間だろ」


 思わぬ言葉にリンクスは眉をしかめた。


「なにを言って」

「見てたぜ、さっきの」


 言葉をさえぎられて、リンクスはぐっと声を詰まらせた。

 ラルカディオは瞳に憐憫のような色を乗せて、チラリと目線を動かした。

 その視線の先は血にぬれているこめかみあたりに注がれている。


「こっちに来れば蔑まれることもない。力を見せつければ、恐怖に震えてひれ伏してくる。あんな奴らから逃げる必要なんてない。我々は踏みつけられていい存在ではないのだからな」

「踏みつけられない……」


 思わずラルカディオの言葉を繰り返していた。

 ラルカディオがそれに満足そうに笑みを浮かべる。

 リンクスの脳裏にはテーセズを筆頭に王城の使用人や騎士たちの冷たい目や、毒の言葉を思い出していた。

 遡れば、それこそ生まれたときから降り注ぐ悪意たち。

 いちいち傷つくには量が多すぎて、そういうものだからと気にしないふりをしている。

 それでもストレスをため込んで爆発し、そのせいで悪評が広がるという悪循環の繰り返し。

 正直、心はつねに疲弊している。


「来い、同士よ」


 ラルカディオがまっすぐに右の手の平を差し出してきた。


(……この人は、僕と同じ)


 同じ魔力を持ち、同じ苦しみを知っている。

 リンクスはついていこうなんて思っていない。

 なのに、即座に突っぱねる言葉が出てこずに、その手をじっと凝視した。

 闇魔法使いなんて、ほとんどいない。

 ラルカディオ以外にも会えるなんて確率は正直ないと思う。

 だから思ってしまった。


(この手を取れば、一人じゃなくなる)


 傷の舐めあいでも、気持ちを分かり合える。

 けれど同時に顕示欲なんてかけらもないリンクスとは相いれない性質だと、冷静な部分が理解している。

 理性と感情で板挟みにされて、リンクスは言葉を出すことも動くことも出来ずにいた。

 それにラルカディオはふっと笑みを深めると。


「いつでも歓迎するさ、じゃあな」


 バチンと姿を消した。

 あとには、茫然とラルカディオのいた場所を見つめるリンクスだけがポツンと残されていた。


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