第7話

 倒れると思い、慌ててしゃがみ込むとクラクラした視界が幾分か楽になる。


「大丈夫?」

「え……?」


 そっと背中に手を当てられ覗き込んできた人物に、リンクスは誰だろうと顔を上げた。


「水、飲める?」


 コップを差し出してきたのは知らない青年だった。

 小さく頷きコップを受け取り飲むと、冷たい水が喉を滑っていく。

 飲み干した後、ほっと息をつくと眩暈は収まっていた。


「ありがとうございました。えっと、君は?」


コップをリンクスから受け取った青年は、ユウと同じくらいの年齢に見えた。

茶色い髪に黒い瞳の、どこかヤンチャそうな雰囲気だ。

目尻がほんの少し吊り上がっているのが、そう見せているのかもしれない。


「俺はティルクル」

「ありがとう、助かったよ。もう大丈夫」

「そう?」


 立ち上がったティルクルにつられるようにリンクスも立ち上がると。


「じゃあ俺はこれで、あんまり無理するなよ」


タッと小走りに駆け出してしまった。


「あの、本当にありがとう!」


 慌てて再度お礼を言えば。


「お礼はアルフィード様にね」


 手をひらりと振って行ってしまった。


「何でアルフィード?」


 わけがわからず、リンクスは首をひねるばかりだった。

 その日の眩暈が原因かどうかはわからなかったが、翌日さっそく始まった魔法を使う練習中。

 中庭に腰を下ろして魔法の使い方のコツを話していたときだ。


「リンクス、少し顔色が悪くないか?」


 アルフィードに問いかけられた。


「え?リンクスさん具合悪いの?」


 ユウにまで顔を覗き込まれてしまい、リンクスは慌てて両手を振った。


「いやいや。なんともないから」


 嘘である。

 本当は微熱があるが、ただいつもの事といえばいつもの事なので、たいして気にしていなかった。

 大丈夫と言おうとしたが、それより先に体温の少し低い大きな手がリンクスの額に当てられた。


「少し熱いな、今日はここまででかまいませんか?」

「え!」


 アルフィードのユウに対する断定的な申し出に、リンクスは驚いてブンブンと首を横に振った。


「大丈夫、本当に平気だから続けよう」


 自分のたかが微熱程度で、期待されているユウの勉強を邪魔してはいけない。

 リンクスが再度、平気だと言いかけたとき。


「たかが少しの体調不良でユウ様の勉強を妨げるなよ」


 背後からの声に三人が振り返ると、そこには王の側近とその少し後ろに控えているテーセズがいた。

 忌々し気に側近がリンクスを見下ろすのを、アルフィードがさっと立って自分の背中に隠す。


「事前にお話ししたはずです、リンクスは体が弱いと。このまま続けて体調をもっと崩した方が妨げになりますから」


 アルフィードの言い分に、側近が鼻を鳴らすと。


「そうですよ、体調が悪いならしっかり休まないと」


 ユウも言いつのった。

 ユウの態度がありがたく、優しい人だなとリンクスは思う。

 けれどそれとこれとは話が別だ。

 勉強を続けられると言おうと立ち上がったが。


「まあいい、陛下がお待ちだからな。今日はここまでにしましょう」


 側近がユウを促した。

 立ち上がったユウが男について歩き出す。


「今日は大人しくしてろよ」


 アルフィードもリンクスに言い含めると、二人の後を追っていった。

 ただ、テーセズがその場で立ったまま動かないので、リンクスがおそるおそる顔を見ると。

 ぐいと胸倉を掴まれた。

 小柄なリンクスは長身のテーセズにそんなことをされると、つま先立ちになってしまう。

 苦し気に咳をひとつすると。


「お前には過ぎた名誉なんだ。体調など無視しろ」


 ぎり、と胸倉を締め上げられる。


「やめ」

「あーらら、いいの?そんなことしちゃって」


 やめてくれと言おうとしたとき、聞き覚えのある声がした。

 息苦しいなかそちらに目をやると、頭の後ろで指を組んだティルクルが不敵に笑っている。


「アルフィード様に報告しようか?」


 その言葉にテーセズは苦々し気にティルクルを睨むと、ドンとリンクスから手を離し突き飛ばした。

 尻もちをついたリンクスにティルクルが手を貸すと、テーセズが舌打ちをする。


「何故お前ごときがここにいる?」

「そりゃアルフィード様に頼まれたからさ、あんたみたいにおいたする奴がいるからね」


 にやりと笑って見せるティルクルは、十は年上であろうテーセズに一歩も引いていない。


「お前が団長の傍にいることを、俺は認めていないからな」


 言うだけ言い放ってくるりと背中を向けたテーセズに、ティルクルがひらひらと手を振っている。

 それをポカンとしながら見ていると。


「あいつアルフィード様に傾倒してるから、大事にされてるリンクスに妬いてるんだよ」

「へ?」


 思いがけない言葉にまぬけな声が出てしまった。


「自惚れまくってた鼻っ柱を年下のアルフィード様に折られて、それ以来あんな風に崇拝してんの。だから俺も嫌われてる」


 ケラケラと何でもないように笑っているが、初耳な話だった。

 どうりでいつもアルフィードの周りにいるわけだと思う。

 だがそれよりも問題なのは。


「えっと、ティルクル、君は一体……?」

「アルフィード様の小間使い。ま、話はあとあと!ほら行くよ」


 ぐいと腕を引っ張られて、歩きだしたティルクルに自然とついていくことになりリンクスは慌てた。


「え?ちょっどこに」

「俺の家。城じゃ落ち着けないだろうからさ。息抜きさせてやってくれってアルフィード様に頼まれたんだ」

「ええ!」


 いつの間にそんなことになっていたのかと吃驚するが、ティルクルは気にした風もなくずんずんと歩いていき、結局王城すぐ近くのつつましやかな家に連れて行かれたのだった。


「ただいまー」


玄関をティルクルが開けた途端。


「おかえりー」

「おかえりなさい!」


 二人の子供が出迎えてくれた。


「お客さんだよ。リンクス、こっちがヤンでこっちがミーナ」


 紹介された二人は元気よくいらっしゃいと声を揃えた。


「お邪魔します」


 ヤンと呼ばれた少年は十歳くらいで、ティルクルと同じ茶髪に黒目。

 ミーナと呼ばれた少女は七歳くらいでこちらも目は黒だったが、癖のある髪はリンクスと同じ赤茶色だった。


「食事にしよう、朝のうちに用意しておいたから」


 ティルクルの言葉にとまどっていると。


「こっちだよ」


 ミーナがリンクスの手を引っ張ってテーブルへと案内すると、ヤンがパンを並べていく。

 ティルクルがテーブルのすぐ横にある小さなキッチンで手早く鍋を温めて皿に盛りつけるのを、リンクスは大人しく待つことにした。

室内を見回せばこの一階にはキッチン兼ダイニングしか部屋はないらしく、こじんまりしている。


「狭いのは勘弁してね、うち貧乏だから」


 にひひと悪戯気に笑って皿を並べるティルクルに、首を振るとヤンとミーナもテーブルについた。


「いただきます」

「いただきまーす」


 子供二人が手を合わせるのに習って、リンクスも手を合わせていただきますと口にする。


「はい、めしあがれー」


 ティルクルの言葉をきっかけにヤンとミーナはモリモリと食べだした。

 リンクスも皿にある煮た魚を口にする。

 ほろほろと崩れる魚は甘じょっばく味付けされており、食べやすくて美味しかった。


「あの、それでティルクルとアルフィードの関係って?」

「ああ、俺は騎士団でアルフィード様の、まあ雑用係みたいなもん。両親が死んで食い扶持稼ぐにも仕事が無くてスリをしようとした最初の人間がアルフィード様だったわけ」


 何てことないように言うティルクルに、リンクスはどんな反応をしたらいいのかわからず、思わずフォークを持っている手を止めた。


「ああ、気にしないで、むしろラッキーだったと思ってるからさ。事情知ったアルフィード様が自分の雑用として雇ってくれたんだ。人使いは荒いけどね」

「ミーナね、アルお兄ちゃん好き」

「俺も!アルフィードさんみたいになりたい」


 パンにかぶり付きながら声を上げた二人に、リンクスは目をまばたいた。


「二人とも会ったことあるの?」

「アルフィード様、たまに二人の様子見にきてくれるんだよ」

「へえ」


 そんなこと知らなかった。

(いやまあ、幼馴染だからって何でも報告義務があるわけじゃないし)

 それでもアルフィードには自分以外にも友人はいるんだろうなと思うと、少し寂しいと思ってしまう。


「そんな顔しなくても、アルフィード様の一番はリンクスだよ」

「へあっ?」


 思わぬ言葉に、リンクスはまぬけな声を出してしまった。


「アルフィード様、特にミーナの髪をよく撫でてくれるんだけどさ、何でだと思う?」


 よくわからないと言う顔で首を傾げると。


「リンクスと髪の色が同じだって」

「……僕に?」


 意外な爆弾を投げられてぽつりと呟いたあと、カーッとリンクスのそばかすの浮いた頬が熱くなった。

 なにそれといたたまれなくて俯くが、ティルクルが照れない照れないとからかってくる。


「アルフィード様、リンクスの事ばっかり話してるよ」


 食事を終えた子供二人がごちそうさまと言って、ティルクルに二階にうながされるのを見ながらリンクスはじわじわと、嬉しいんだか恥ずかしいんだかわからない気持ちが広がっていた。


「例えば、あんまりご飯を食べれないとか」


 言われて、そういえば完食した料理は最初から量が少なかったと思い、気をつかってくれたのだと気づいた。


「ありがとう、ちょうどいい量だったよ」

「少なすぎたかと思ったんだけど、本当に食べないね」


 そんなことを言われても苦笑するしかない。

 リンクス的には昔よりは食べられるようになった方だ。

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