第12話 祓師 琴子誕生
その日はまた、仕事にならなかった。
結局、琴子はあの後、結界清術に引き続き、実戦で使用する祓法の1/3を習得したのだった。両方の上瞼が下瞼を求めて下がってくる。琴子は目をこすりながら、終業の時間を待った。
「お疲れ様、俺の奥様。」
耳元で突然声がした。琴子は思わずのけぞる。
「颯さん!?」
琴子の言葉に、颯はそっと人差し指を立て、口元へ運んだ。
その日、特別展示室には「あの時の」能面が飾られていた。
琴子は、瞬間、感じた。
忙しくしているときには気づきもしないような、晴れた日の雨の気配、一度気づくとその後は嫌でも気づいてしまうような雨の気配に似た、むっと空気が変わる感じ。
場の空気が重くなった。
颯が動く―― そして、能面の前に立つ婦人の肩に、すっと手を置いた。
その人は、弾かれたように颯の顔を見た。
「すみません、肩に埃が……お声かけすべきでしたね」
「……い、いえ、ありがとうございます。」
夫人は何かから解放されたかのように背を向け、足早に帰って行った。
颯は能面の方からにこにことした笑顔でピースサインを琴子に送った。
琴子は唐突に理解した。
3年前のあの日、チャラチャラした出で立ちで現れた真神颯。
(颯さんは、男の子を禍術から守っていたんだ……!)
今は、着物姿で、清園寺颯としてそこに立っている。
颯の足が琴子の方へ向かう。
その時、先ほどとは比べ物にならないほどの、重く、暗い空気が場を覆った。
琴子にはガラスケースの中の能面の目が、一瞬こちらに目を向けたように光って見えた。
と同時に颯が結界を張る。
空気がはじけ、内側の世界が整えられる。
展示室が外の世界と切り離された。
琴子は自然と右手を天井に向け、小指から人差し指までをやや曲げて手のひらから鈴を出した。
りん――。
優しく鋭い音が空気を震わせたその時、光がほとばしる。
琴子の身体を包み込み、細胞ひとつひとつまで清めていくような、あたたかくも眩しい光。橙色の美しい光だった。
(これって……まるで、少女漫画の変身シーンみたいだわ。)
姿が変わっていく間、琴子は感じた。
半ば他人ごとのように感じながらも、琴子の胸は高鳴っていた。
少女漫画のヒーロー戦士さながら、ほとばしる光の中で琴子の姿は美しい祓師の姿に変わった。
銀白の直衣(のうし)が美しく輝き、その下から緋色の袴がのぞく。袖口と裾には淡い光を帯びる古代紋が走っていて、光を受けて全体がまばゆい月のように輝いていた。
朱色の紐によって高く結ばれた長い黒髪がつややかに揺らめく。
颯は琴子から目をそらすことができなかった。
一方、琴子は無意識に眼鏡を押し上げようとしていた。
指先が空を切る。変身で眼鏡は消えていた――だが視界は驚くほど鮮明だった。
(変身で眼鏡消えちゃった……)
「琴子、来るぞ!」
颯の言葉と同時に、能面の顔が歪みガラスケースから飛び出した。
「面霊だ!」
琴子は手の中にまるでバトンのように鈴のついた杖を引き出す。清鈴杖(せいれいじょう)と呼ばれる祓師当主のみが扱える道具だ。
「宵闇(よいやみ)ノ響!」
りん――。
鈴の音が波紋のように広がり、面霊の軌跡を狂わせた。空気ごと切り裂かれたかのように軌道が逸れ、紙一重で琴子の頬をかすめる。面霊はすぐさま軌道を修正し琴子の方へ向かうその速さはさながら稲妻のようであった。
「天籟(てんらい)!!」
颯が術を繰り出す。
轟、と低い雷鳴が結界の内に響き、青白い光が面霊を貫く――面霊は一瞬動きを止めた。能面の表情が苦悶に歪む。だが面霊は最後の力で琴子に向かって突進してきた。
「危ない!」
颯が琴子を抱きしめ、二人は地面に倒れ込む。強く筋肉質の腕に包まれ、琴子の心臓が激しく鳴る。
「暁ノ祓(はらい)!」
颯の声が飛ぶ。夜明けの光が闇を払うように、面霊の身体がじりじりと分解されていく。面霊は叫びをあげ、白煙となって掻き消えた。
展示室の空気が一気に軽くなる。
能面は展示ケースの中で、何事もなかったかのように美しく鎮座している。
しかし琴子にはどことなく寂しげにも見えた。
結界が解かれ、琴子も元の姿に戻った。
(眼鏡も戻っている……)
琴子は右手で眼鏡を確かめた後、荒い息を吐いた。
「はぁ……」
「やるじゃん、俺の奥様」
颯にいつもの軽口が戻る。琴子の腕には先ほどの颯の力の感触が残っていた。
「あらあら、初戦闘♡お疲れ様!」
結がひょっこりと現れた。
「結ちゃん!?いつから!?」
「全部よ~。いやぁ、コトコったら顔真っ赤で可愛いこと♡」
琴子の顔はさらに赤く染まる。
「琴子、お疲れ様。初戦にしては上出来だったね。」
「あ、ありがとう……。」
「さぁて、ちょうど17時半。終業でーす!私はフライングで着替えてきたわー。コトコも着替えておいで!」
「う、うん。」
「琴子、出口で待ってる。一緒に帰ろう。」
琴子はこくりとうなずき、ロッカー室へ向かった。足取りは重いようで軽かった。
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