二章:快晴

 からんとベルを鳴らし外に出ると、「あつ」とおもわず声が漏れる。さっさとドアにかけられた看板を『close』に変えて店内に戻ると、エアコンが適度に利いていて涼しい。今日は今年の最高気温らしく、訪れたお客さんからはたくさんかき氷が注文された。以前私も食べたことがある、一番人気のティラミス味のかき氷は絶品だった。また食べたいなって思っていると、店主の有紀さんに手招きされる。

「新作のかき氷を考えたんだけど食べてみない?」

「はいぜひ」

 即答だったせいか、有紀さんに笑われてしまった。でも仕方がない。試作でも有紀さんが作る料理はおいしいに決まっているのだから。

 有紀さんの分もお茶を入れて待っていると、メニューにもある魚介とレモンの冷製パスタと、ブラウンのかき氷が出てくる。ミルクティー味になっているらしく、とても良い香り。口に含むとしっかり甘さがあり、つい顔が綻んでしまった。

「どうやらちゃんとおいしかったみたいね」

「はい、最高です」

「ふふっ。耀ちゃんは本当においしそうに食べるわね」

「そうですか?」

「ええ、何だか懐かしい気持ちになるわ」

 にこっと笑みを浮かべながら見つめられる。でもその瞳は私を捉えず、どこか別の場所を思い浮かべているように感じた。

 昔、こうして誰かに料理やスイーツを食べてもらっていたのだろうか。気になりはするけど、簡単に聞いてはいけないような、そんな雰囲気だった。

 かき氷を食べ終え、冷製パスタに手を付けようとした時、そういえば有紀さんにお願いしたいことがあったのを思い出す。

「雇ってもらって早々で申し訳ないのですが、テスト期間なのでお休みいただいても良いですか?」

「もちろん。勉強頑張ってね」

「ありがとうございます」

 そう、七月にもなったということで、夏休みを迎える前に期末試験が待っていた。一年生のころは慣れていなくて大変だったけど、二年生になったら単純に難易度が上がっている。成績が普通くらいの私は、しっかり頑張らないといけなかった。

 だからこそ、快く承諾してくれた有紀さんには感謝しかない。本当に良いバイト先を見つけたなと改めて思わされた。

「テスト勉強、若いわね。当たり前だけど」

「有紀さんもお若いじゃないですか」

「ありがとう。もうアラフォーだけど嬉しいわ」

 アラフォー、という言葉を聞き、私はおもわず目を丸くしてしまう。

「え、四十代なんですか?」

「あら、言ってなかったかしら」

「はい。三十代前半だと思っていました」

「そんなこと言ってもらえて嬉しいわ。一応若くいられるよう努力はしているけど」

 恥ずかしがるように手を当てた頬の肌は艶やかで、毛穴や皺が全然見当たらない。メイクもあるんだろうけど、そういう次元ではなかった。その指先の爪まで綺麗に整えられていて、まさに洗練されているという感じ。

「あの、美の秘訣とかあるんですか?」

「そうね、適度な運動と食事管理、あとしっかり睡眠を取ることかしら」

「なるほど」

「でも耀ちゃんは大丈夫じゃないかしら。スタイルや、肌髪艶も良いもの」

 羨ましい、と微笑みながら言われる。私は視線を外しながらも、口角を上げて笑ってみせた。

 褒められても、素直に喜べない私がいた。お世辞にも整っているとはいえない外見。有紀さんを見ていると、元々きれいな人だから年を取ってもきれいなんだろうな、と卑屈に考えてしまう。詳しいことを聞かなくても、正直努力されていることはわかる。

「耀ちゃんは普段メイクしたりしないの?」

「いや、しないですね」

「休日も?」

「はい」

「興味もないの?」

「そういうわけじゃないんですけど、まあ、私は良いかなって」

「そう。もし興味が湧いたら言って? コスメなら色々揃っているから」

 二つ返事だけをして、すぐに他の話題へと移る。私があまり乗り気ではないことを察してくれたんだろう。

 私もメイクしてみようかなと思ったことはある。だけど私がメイクをしたところで大して変わらない気がして、手を出せずにいた。

 こういうのは運動部女子だと無頓着でいられるから良いな、と嫌なことを思ってしまい、振り払うように勢いよく冷製パスタをかき込む。爽やかな酸味が、妙に心に沁みた。

「夏休みはいっぱいシフト入れそう?」

「はい。他の予定も夏期講習くらいしかないので」

「わかった。耀ちゃんは部活入ってないの?」

「まあ、そうですね」

「そう。体引き締まってるから、何かスポーツしているのかなって思ったけど」

「毎朝ランニングとか、少し筋トレしてるくらいですね」

「あら、健康的でいいわね」

 健康のためというよりは、抜けない習慣を惰性で続けているだけで褒められるようなことではない。でもわざわざ訂正する必要もなく、部活のことをこれ以上聞かれるのも嫌だったから口にはしなかった。

「じゃあ夏期講習の予定がわかったら、入れる日教えてね。それでシフト調整してみるから」

 ここでもまた学業を優先してくれる有紀さんに感謝しながら、でもそれ以外に予定もないから、いっぱいバイトに入れるだろう。

 夏休みか。

 今年もみんなは部活漬けの日々なんだろう。

 合宿もあり死ぬほど疲れたけど、あの時はまだ辛くなかったなと感じる。むしろ部活に時間を費やせて嬉しかった。

 前に凛とぶつかった日、メッセージが届いていた。もう一度開いて見ると、話がしたい、という内容だった。けど、私はまたメッセージを閉じ、既読無視したままにする。今はまだ追いメッセージはない。こんな感じの内容で定期的に連絡が来ていた。けど、もう来ないかもしれない。そう考えると、すっと氷が解けていくように寂しさを感じる。既読無視しているくせに。

 今年は夏期講習とバイトだけ。

 自分で選んだことなのに、楽になりたかったのに、ときおり思い返してはみんなとの差に心が沈んでしまう。

 私はいつまで縛られているんだろうかと。



「冷房独占って、贅沢の極みだよな」

 ワイシャツを第三ボタンまで開け、大の字になって椅子にもたれかかる。強風の冷房に直接当たりながら心地よさそうに目を瞑っていた。首筋を汗が辿り、反射的に私は目をそらす。何となく見てはいけない気がした。

 あんな風に私もできたらとは思うけど、一応女子ということで恥ずかしさが勝り、ノートで風を仰いでいた。

 空き教室だから冷房はつかないのでは、と懸念していたけど全く問題なく、教室で過ごすという危機は脱した。さすがに冷房なしで真夏を過ごすのは厳しい。

 早速、保冷剤が挟まれている弁当箱を開け、蓮に玉子焼きとアスパラの肉巻きを蓋に乗せてあげる。ずっと玉子焼きを選ぶから好物だと知った。

 私はいつもよりちょっと急いで食べ終え、教科書とノートを開く。テスト勉強期間中で、少しでも勉強の時間に当てたかった。

 それとは正反対に、蓮はスマホをいじりながらダラっとしている。そもそも勉強道具は何も持ってきていない。家では勉強するのかなと思って聞いてみると、なぜか鼻で笑われた。

「するわけないじゃん」

「赤点になっちゃうよ?」

「教科書適当に眺めてれば何とかなる」

 それは頭が良いのか悪いのか分からないけど、余裕そうな様子を見る限り大丈夫ではあるんだろう。まあ、ただ面倒くさくて諦めている可能性もあるけれど。それで進路は大丈夫なのか心配にもなるけど、私が口出しするようなことではないのかもしれない。自分の進路すら決まっていないのに、余計なお世話でしかなかった。

 将来なりたいものや学びたいことなど、正直何もなかった。昨年までは部活のことしか考えていなかったけど、プロになりたかったわけではなく、将来のことなんて考えてすらいなかった。

 改めて、自分自身のことを考えるのが苦手なんだなと思い知らされる。少なくとも進路調査が始まるまでにはある程度決めておこうとは決心しつつ、今はテスト勉強だと気持ちを切り替える。

 それから一週間が経ってテスト期間に入り、全教科のテストを終えた。体感ではあるけど、今までで一番良かった。努力の結果でもあるけど、部活がなくなった分を勉強時間に当てられたということも大きい。複雑な感情にはなりつつ、しっかり有効活用できているから良いだろうと言い聞かせる。

 蓮は大丈夫なんだろうか。心配にはなるけど、何だかんだ赤点は回避していそう。まだ関わったばかりだけど、そういう器用な人種だと感じていた。

 テストとついでに今日行われた終業式も終わったということもあり、これから夏休みが待っていた。といっても勉強から逃れられるわけではなく夏期講習に行かなければならなかった。苦手教科の克服や基礎の復習がメインで、そこまでバリバリ勉強する感じではない。お母さんいわく、基礎や学習習慣の定着が目的らしい。バスケも基礎的な練習を日々積み重ねていく必要があったから、たぶん同じようなことなんだろう。

 そして思わされたのが、私はこれまでバスケ以外のことを全然してこなかったということ。

 普通だったら友達と遊びに行く予定が立つものだけど、今の私にはそういった約束がゼロ件。中学時代の友人も、今は休日に会って遊ぶほどの仲ではない。当然だけど凛やバスケ部員とは無理だった。そもそも会話すらしていないし。

 昨年は、凛たちと花火大会を見に行った。河川敷で開催され、打ち上がる花火は今でも思い出せるくらい綺麗だった。彼女たちは今年も行くかもしれないけど、私は当然誘われないだろう。かといって、他に一緒に行く人もいない。

 そこでふと、蓮の顔が浮かぶ。

 けど、それはないなと考え直す。たしかに会話をする間柄ではあるけど、それも空き教室の中だけで、外で遊ぶ友人というわけではない。

 それに、私と彼では住む世界が違う。

 会話ならまだしも、遊ぶとなったら私みたいなタイプは退屈に違いない。彼には顔立ちやファッションがキラキラした人たちが似合っている。

 そもそも友達と遊ぶ時ってどうするんだっけ。そんな迷走めいたことを悩みそうになり、私はすぐに深く息を吐いてはさっさと帰ろうと下駄箱に向かう。終業式だから午前授業で、しかも今日はバイトが休みだから、テスト勉強のせいで読めなかった小説を読もうと決めていた。

「花井」

 やや早歩きになっているところを呼び止められる。聞き覚えのある声だなと思いつつ振り返ると、やはり知っている男子。だからこそ厄介で、私は顔を引きつらせてしまった。

「綾瀬、何かよう?」

 首を傾げると、綾瀬はくいっと首を振る。

「話があるから来て」

「ここじゃダメなの?」

「凛に聞こえるかもしれないだろ」

 ため息交じりに言われ、私は渋々ついていく。

 綾瀬は男子バスケ部の部員。一年生からポイントガードでレギュラーになり、次期部長と言われているほど部内での地位を確立していた。

 そして、彼と凛は付き合っていた。朝練や居残り練習で顔を合わせるようになったことがきっかけ。だから私も当時は会話をするくらいには仲が良く、何なら私が仲を取り持つこともあった。まあ元から両片思いだったから、そんな必要もなく時間の問題だったんだけど。

 彼は『凛』と言っていて、間違いなく彼女が関係してくる。何となく言われることも想像できて、だからこそ気が滅入りそうになる。頼むからほっといてほしいと。

 たどり着いたのは屋上へと続く階段。彼は壁にもたれ掛かり、二重でくりっとした目で睨むように見てくる。

「凛から聞いたよ。避けてるんだって?」

「それは、まあ」

 頬をかきながら言葉を濁らせると、彼はふっと口角を上げて小さく笑う。

「どうせ部活やめて気まずいとかだろ? だったらもう部活戻ってこいよ」

「そんなこと言われても、今さら戻れるわけないじゃん」

「なんで?」

 問い詰めるように聞かれ、一歩後ずさりしてしまう。

「なんでって、もう全然バスケしてないし」

「でも運動はしてるんだろ?」

「してるけるけど、ランニングとかは」

「だったらいけるだろ。前もあんだけ朝練や居残って練習してたんだし」

「戻ったところで、メンバーにはもう入れないでしょ」

 たしかに運動はしているけど、そんなにバスケは甘いものじゃない。ハンドリングやシュート、それに試合勘も鈍っているに違いない。

 何より、私には才能がない。

 それでも天才なら復帰してレギュラーに入ることができるんだろうけど。たとえば綾瀬とか凛とかなら。だからこそなのかな。

「それは花井しだいだろ」

 無責任で正しいこと。濁りのない真っ直ぐな目で、はっきりと突き付けてくる。たしかにその通りなんだろうけど、私は目をそらさずにはいられなかった。

「もう夏休みは夏期講習とバイトも入れちゃってるから?」

「夏期講習はまだしも、バイト?」

 どうにか出てきた言葉を鼻で笑われる。

「バイトなんていつでもできて、部活は今しかない。メンバーに入ること気にしてるけど、それが全てじゃないし、得られることがたくさんあるだろ」

「バイトだって、学ぶことたくさんあるよ」

 負けじと前を向き言い返すけど、やれやれといったようにため息を吐かれる。

「せっかくこれまで続けてきたのに、勿体ない」

 私は唇を噛みしめる。目元が熱くなるけど、零れてしまわないように堪える。ここで泣いてしまえば、今でも判断が正しかったのか迷っているのを認めてしまうことになるから。

 もう嫌だ。逃げ出してしまいたい。けど、彼からの圧で足が動いてくれない。

 すると、急に誰かに肩を組まれる。

 ふわりと痺れるような香りと、頬をかすめる癖のある長い髪。とっさに振り向くと、そこにはニヒルな笑みを浮かべる蓮がいた。

「耀、いつまで待たせんだよ」

「え、蓮? なんでここに?」

「これから遊び行く約束だろ?」

 コテンと可愛らしく首を倒し、とぼけ顔でこっちを見てくる。おまけにウインクまでしてきた。そこでやっと、蓮が私のために嘘を吐いていることに気づく。

 最初は私と同じように綾瀬もきょとんと呆けていたけど、すぐに唇の片端を上げて笑う。

「バイトとか言いながら遊びたいだけかよ。くだらな」

「稼いだ金で遊びに行くことの何がくだらないんだよ」

「そんなのいつでもできるし、時間が勿体ない」

「自分が正しいと思ってることが、こいつにとって正しいこととも限らないだろ」

 蓮は口角を上げながら余裕そうに言い返し、綾瀬は顔をしかめて押し黙る。

「だからって簡単に逃げて良い理由にはならない」

 さっきまで浮かべていた笑みがすっと消え、切れ長な目を細めて綾瀬を見据える。

「あのさ、せっかく新しくやりたいことを見つけたのに、なんで一緒に喜んでやれないんだよ。それでも仲間だったのかよ」

 淡々としていたのに、打って変わって力のこもった声になる。綾瀬はそれに一瞬怯むけど、すぐにため息を吐いては、今度は私の方を睨んできた。

「花井、騙されるなよ。こいつ、冴えない女子たぶらかして楽しんでるだけだって」

「は? かわいいだろ」

 間髪入れずに蓮は言い切り、私は思わず彼の顔を見上げてしまう。その視線に気づかれると、私の頬を掴んでグイッと顔をそらさせてきて「行くぞ」と愛想なく言う。そして蓮はすれ違いざまに「てかさ」と綾瀬の方を振り向く。

「そうやって無意識に人を見下すとこ、直した方が良いからな」

 そう言い捨て、蓮は私の手を引いていく。振り返ると、綾瀬は俯きながら拳を握りしめていた。蓮が言い返してくれたけど、不思議とすっきりした気分は一ミリもなかった。

 綾瀬の姿が見えなくなると、すぐに手は離される。会話もせず一緒にいるのか分からないくらいの距離感で進み、校舎を離れてからやっと私たちは隣り合って歩いた。

「さて、せっかくだしこのまま遊びに行くか」

「え、あれ嘘じゃなかったの?」

「まあいいじゃん。なんか予定あんの?」

「一応、帰って本読む予定だったけど」

「そっか。じゃあ帰る?」

 何も予定がないというのは微妙な気がして言ってはみたけど、実質ないと明言しているようなもの。でもそれを否定することなく、彼は私に判断を委ねてくる。

「……帰んないけど」

「うし、行くか」

 やや顔を伏せて言うと、蓮はにっと綻ばせて頭に手を乗せてきた。ずるいなと思いながらも、嫌な気は全くしなくて、こういうところに女子は喜んでしまうのかなと、何だか複雑な気持ちになった。

 彼からの提案で、まずゲーセンに行くことになった。ネオン色でがやがやとした雰囲気に、そういえば半年ぶりくらいに来たなと思った。その時は凛など部活仲間とオフの日に来ていた。

「ゲーセン来たらいつも何する?」

「なんだろ、基本プリクラくらいしかしなかったかも」

「まじか。なら、あれやろ」

 彼が指差したのはエアホッケーで、子どもみたいに手を引かれて半ば強制的にやることになった。何も言わず彼は二百円を入れ、ポップな音楽が流れて起動する。

「じゃ、負けた方ジュース奢りで」

 唐突なルール追加に「え」と声を漏らすことしかできず、ゲームが始まってしまう。何勝手に決めてんの、と心の中で愚痴りながらも、終わってみれば私の圧勝だった。男女の体格差を覆すほど私の反射神経が上回り、彼は崩れ落ちていた。それを見てつい噴き出してしまうと、彼は呆れたような目で見てくる。

「なんでこんな運動神経良いんだよ」

「まあ、これでも部活ガチ勢だったので」

「くそ、ジュース代儲かると思ったのに」

 文句を吐きながらも自動販売機で緑茶を奢ってくれた。仮に蓮が勝ったとしてもジュース代よりもゲーム一プレイの方が高いのでは? と思ったところで、どっちにしろ儲けようとは全然していないことに気づく。エアホッケー分の百円を払おうとしても、あれくらい良いと突っぱねてくるし。

 次はクレーンゲームをやることになった。といってもミニクレーンゲームで「大きいのはむずい」と弱気なことを言っていて、少しおかしくて笑ってしまった。

「あ、猫」

「これ好きなん?」

「好きっていうか、小さいころこのぬいぐるみ持ってたなって」

「よし、これやるか」

 百円を入れ、どれが良いか聞かれる。なんで私に聞くんだろうと思いながらも、三毛猫っぽいぬいぐるみを差す。上手く操作してアームで掴むものの、持ち上げると落っこちてしまう。そうやって何回も繰り返していると、また百円を入れたところで、彼に肩を捕まれて台の前まで寄せられる。

「ちょっとやってみろよ」

「え、いや、いいよ。私のお金じゃないし」

「良いから。疲れたから代わりにやって」

 それならなんでお金を入れたのか、と少々呆れつつも私は見よう見まねで操作していく。また同じように落ちてしまうかなと諦めていたが、アームはしっかりとぬいぐるみを掴んだまま移動し、見事獲得することができた。

「え、取れちゃった」

「やったじゃん」

 呆然としていると彼は笑みを浮かべハイタッチを求めてきて、私は一瞬躊躇しながらも勢いよくそこを叩いた。じんじんして、それで実感してきたのか、初めて景品を取れた喜びがこみ上げてきて口元が緩む。

「私ってクレーンゲームのセンスあったのかな」

「あんま調子乗んな」

 そういって頭をクシャっと撫でてきて、私は軽く唇を尖らせる。そのまま移動しようする彼の肩を叩き、取れたぬいぐるみを差し出す。

「ん、何?」

「蓮のでしょ? お金払ってるんだし」

「いやいらないって。元々耀にあげるつもりだったし」

 そう言われて嬉しい気持ちの半面、もらってばかりで申し訳ないという罪悪感を抱いてしまう。すると蓮は振り返り、私の手からぬいぐるみを奪い取り、そのまま私のスクバにつけてしまった。

「せっかく取れたんだからもらっとけって」

 やれやれといったように目を細め、私は「ありがと」とお礼を言う。「おう」とだけ返ってきてまた前を向いてしまった。私はその斜め後ろをついていく。男子にこういうプレゼントみたいなことをされたのは初めてで、照れ臭くて隣に行くことができなかった。

「最後にプリクラ撮ってくか」

「え、プリクラ?」

「いつも行くんだろ?」

「そうだけど、男子とはいかないから」

 やや俯きながら言うけど、彼は全く気にする素振りを見せず「まあいいじゃん」と足を止めない。全然良くない。こんなこと初めてで、今でさえ緊張で心臓がうるさいのに。

「でも、こういうのって恋人同士でするものじゃないの?」

「そうなん? みんな撮ろってお願いしてくるし気にしたことない」

 平然と言ってくる彼に、とっさに顔を上げていた。彼にとって日常的でも、私にとっては非日常。それが悔しいのか、何なのか、自分でもよくわかんないけど、もやっとして気持ちが悪い。

 だからなのか、気づけば彼の手を取り引っ張っていた。

「うん、やっぱ撮ろ」

 蓮が目を丸くしているけど気にも留めず、さっさと四百円を入れてプリクラを起動させた。モードの設定をそれぞれ済ませ、私たちは中へと入った。いざ撮影するとなると距離が近く、つい一歩離れてしまう。すると彼はニヤッと唇の端を上げて近づいてきた。

「そんな遠いとフレームからはみ出るんだけど」

「いけるよ、ギリ」

「プリでこの距離はおかしいだろ。ほら、来いよ」

 手招きをしてきて、私は渋々といったように一歩だけ距離を縮める。噴き出すように笑われ、「照れちゃってかわい」とボソッと呟いてくる。

「男子だから恥ずかしいだけ」

「はいはい」

 目をそらして否定するも、適当に返事をされたところで撮影がスタートする。機械の音声ガイドでポーズを指定されて従うも、どこかぎこちなくなってしまう。女子だけの時は豪快になれるけど、蓮とだと気恥ずかしくて仕様がない。笑顔もなんか引きつっていそうで怖い。

 指でハートを作らなければいけなくて、どうしようかと迷っていると、「ほら」と何の躊躇いもなく蓮は準備をしていた。せっかく促してくれているのだから、私もハートを作れば良い。それなのに私はついグッドボーズをしていて、まるでファンとのチェキみたいになってしまう。それを目にした蓮は声を出して笑った。

「そんなこと、初めてされたわ」

 ネタでやるならまだしも、照れ隠しでやるやつはいないと自分でも思い、ぐうの音も出なかった。いつまでも笑っている蓮を他所に、私はさっさと外に出て落書きのスペースに移動する。

 蓮も遅れてやってくると、以外にも彼は真剣に加工をしていた。といっても顔ではなく、簡単に文字を入れたり、私側の編集に合わせてメイクの色を変えてくれたりだけど。

「意外とちゃんとやるんだね」

「やるけど、なんで?」

「こういうの女子に丸投げしそうだなって」

「まあ、こういうのは一緒に楽しんだ方が良いじゃん」

 そう言って鼻歌をしながらまた手元を動かす。ただ本心で行っているだけなのかもしれない。でもこういう一面を素直にすごいなって、私は思わされた。まあ、授業や勉強もこういう風に考えてくれれば良いのになとは思うけど。

 制限時間もあり急いで仕上げつつ、改めて蓮の顔の整い方に驚かされる。プリクラって顔が変わりすぎて、はっきり言って容姿の良し悪しは関係なくなるものだけど、蓮は一目見てイケメンだなって思わされる。これは女子が一緒に撮りたくなるわけだと納得しつつ、また胸の辺りがモヤモヤした。

 ゲーセンを出ると、空は茜色に染まっていた。日中と比べればマシになっているとはいえ、蒸し暑いのだろう。でも店内の冷房が効きすぎていたからか、むしろ温かく感じてしまう。

「帰りは電車?」

「うん」

「おけ、じゃあ行くか」

 どうやら蓮も電車通学のよう。彼は大きく伸びをしつつ歩き出し、私もそれに着いていく。解散するまでの時間も短く、それまでに私は言わなければいけないことがあった。

「今日はありがと」

「おう、楽しかったな。エアホッケーとか久しぶりにやったわ」

 口角を上げ、完全にゲーセンで遊んだことだと勘違いされていた。いや、蓮のことだ。短い付き合いとはいえ、これがすっとぼけていることは何となくわかる。

「そうじゃなくて、その、助けてくれたこと」

「あーそのこと。たまたま通りがかっただけだから」

 あんなところたまたま通らないでしょ、と突っ込みそうになるのを堪える。言ったところで誤魔化されるに決まっている。

「ゲーセンに誘ってくれたのも、私に気を使ってくれてでしょ?」

「最近めっちゃバイト入ってて、俺がストレス発散したかっただけ。だから気にすんな」

 あくまで自分のためだという彼にじっと疑いの目を向けるも、「よそ見するとぶつかるぞ」と少し雑に頭を撫でてくる。乱れた髪を直しつつ、これ以上言及しても無駄だなと諦めることにした。

 あっという間に駅前まで着いてしまい、私は定期を取り出す。でも彼は立ち止まり、こっちに手を振ってきた。

「また夏休み明けな」

「え、電車じゃないの?」

「歩きだけど、ついでに送ってこっかなって」

 そう行ったくせに、彼はまた来た道を戻ろうとする。わざわざ遠回りしてまで送ってくれたことに、胸の辺りがじんわりと熱くなる。

 でもそれと一緒に、煙に覆われ、視界を奪われるような焦りに襲われる。

 夏休み明け。その言葉が少なくとも一か月以上は会えないことを差していて、昼休みだけの繋がりとはいえ、これまでの関係がリセットされてしまうような気がした。

 杞憂かもしれない。

 それでも可能性があるのなら、といつの間にか彼の手を掴んでいた。

「待って」

 突然のことに目を見開き、「何?」と首を傾げられる。だけど私は固まってしまう。声をかけたは良いものの、どうやって解決しようかまでは思いついていなかった。

 やばい何か考えないと。夏休み、夏休みといえば――

「花火大会、一緒に見に行かない?」

 夏休みならではのイベントを考えた結果、ちょうど昨年行った花火大会を思い出し、提案してみる。日程も二週間後でちょうど良い。

「あの河川敷のか」

「うん、そう」

 私が頷くと蓮は「予定確認する」とスマホを取り出す。どうか空いていて、と心の中で念を込めると、それが通じたのかは分からないけど「ちょうど空いてるから良いよ」と言ってくれた。

「待ち合わせはDMで……あ、連絡先知らなねーか」

 彼からQRコードを出され、スマホで読み込んで友達追加する。思わぬ形で彼の連絡先を手に入れることができた。

「じゃあ、また花火大会の日な」

「うん、またね」

 手を振って別れると、思わず息を吐き出してしまう。心臓がうるさく、テストなんかよりよっぽど緊張した気がする。

 誘っといてなんだけど、まさかOKされるとは思いもしなかった。女子と二人きりになるわけで、警戒されても仕方がないはずだから。

 でも蓮は顔色一つ変えず、淡々としていた。私の反応と違いすぎて、何だかなと思ってしまう。

 思えば、当たり前のことなのかもしれない。蓮はこれまでたくさんの女子と遊んでいるわけで、私はその中の一人にすぎない。もしかしたら、それすら満たしていないかも。そもそも私を女子として見ていないような、そんな気がするから。

 こうして今年の夏休みで遊ぶ予定が初めて立ったわけだけど、どうしてあんなにも必死に蓮を引き留めてしまったのか。さすがに、そういうことに疎い私でも察しがついていた。

 でもその感情に対して実感が湧かなくて、本当に合っているのか自分自身で迷ってしまっている。それは今まで他人事で、私みたいな女子には無関係なものだと思い込んでいたから。

 もしかしたら、今度の花火大会で明らかになるかもしれない。

 そう思うと叫びたい気持ちでいっぱいになる。それを抑えるように、電車を降りた私は走って家まで帰っていた。



「今日お昼までだけど、ということは花火大会見に行くの?」

「はい、実は」

 夏休に入ってから二週間後の今日、バイト中の私は机を拭きながら答える。今はお昼のピークを過ぎ、カフェ利用で混むまでのちょうど間の時間。残りの作業が終われば、私は退勤することになっていた。

 この前シフトを出した時、ちょうど花火大会の時間は入らないようにしておいた。家に帰る時間もあり、一応身だしなみもそこで整えるつもり。とはいえ大してすることはなく、服装と髪型が乱れていないかチェックするくらいだけど。

「もしかして、男の子と」

「えっ……あ、いやぁ」

「ふ~ん」

 にやにやした顔で見てきて、私は首を縦に振る。完全にバレていて観念するしかなかった。でもどうしてわかったのか気になり聞いてみると、ふふっと小さく笑われてしまう。

「だって最近、ずっとそわそわしてたもの」

 そうだっただろうか、と改めて思い返してみるけど自分では全く分からない。まあ、楽しみにしていたのは事実だけど。

「有紀さんも行くんですか?」

「私は行かないわね、仕事もあるし」

「あ、なんかすみません」

「いいのよ、どうしても行きたくなったらお休みにしちゃえばいいんだから。良いわね青春で……そうだ」

 有紀さんから「ちょっとついてきて」と言われバックヤードまで一緒に戻り、階段から二階へと上がる。二階は有紀さんの居住スペースとなっていて立ち入るのは初めてだった。右手にある和室の部屋に入ると、有紀さんはタンスを開けて何か取り出す。そこには白の生地に鮮やかな青い花が咲く浴衣があった。

「もしよかったら、私が持ってる浴衣着ていかない?」

「え、良いんですか?」

「もちろん。身長も同じくらいだからいけると思うの」

「うーん、でも私に似合いますかね」

「大丈夫、絶対似合う」

 そう念を押され、まだ時間も余裕があるからお言葉に甘えることにした。浴衣を着るのなんて幼少期以来で着方なんて全く覚えていなかったけど、有紀さんにテキパキと着付けされていく。気づけば終わっていて、全身を鏡で確認してみる。

「似合ってますかね」

「うん、似合ってるけど……そうだ、せっかくだからメイクもしましょうか」

「え、でも私メイク道具持ってなくて」

「私の使うから平気よ、ほら座って」

 なぜか私よりもテンションが高く、その圧に負け、こうなったらもう全部お任せしてしまおうと腹を括った。

「肌がきれいだからメイク乗りが良くていいわね」

「そうなんですかね」

「そうよ。年取ると肌トラブルだらけで大変なんだから」

 和やかに話しかけられながらも、仕事をしている時のように有紀さんの顔は真剣。それでも私の肌に触れる指や筆は繊細で、迷いなく動いていく。メイクをしない私でも有紀さんがメイク上手だということは分かった。言われるがまま従い、数十分経ったところで仕上がった。その顔を鏡で見て、私は開いた口が塞がらなかった。

「どう、かわいいでしょ」

「はい、これはかわいいかもしれないです」

 左右に顔を揺らし色んな角度で見ながら言うと、有紀さんは満足そうに微笑む。おまけでヘアセットまでしてくれて至れり尽くせり。白と青の花飾りが、幼かったショートボブを大人っぽく彩ってくれる。最後にカメラマンばりに写真を撮ってくれて、帰ったらお母さんに見せてあげようと思った。

「有紀さん、本当にありがとうございます」

「良いのよ、私も楽しかったし。娘がいたらこんな感じなのかしらね」

 微笑みつつ、どこか物悲しさも滲んでいるような気がした。娘がいたら、という言葉が気になってしまったけど、触れていけないのは何となく感じていた。

「これで彼もイチコロね」

 強かな笑みで言われるも、私は苦笑いしかできなかった。でもこれで、少しでも女の子に見られたら良いなとは思った。我ながら可愛いんじゃないか、と錯覚できるくらいには今の自分の姿を気に入っている。それと同時に、浴衣を着た女子なんて腐るほど見てきたんだろうな、とひねくれている自分もいる。

 電車に乗って向かっている時も楽しみと不安で、ぐちゃぐちゃな感情。ドアの窓に映る姿を見て、メイクや前髪を何度もチェックする。可愛いって思ってくれるかな、と恋する乙女みたいなことを考えていることに内心で笑いつつ、あっという間に最寄り駅まで着いてしまった。まだ待ち合わせ時間までには余裕がある。蓮はきっとギリギリに来るだろうな。何なら遅刻してきても、違和感はこれっぽっちもない。

 念のため『着いたよー』ってメッセージを送ると、『右手上げて』と返信が来た。『どういうこと?』と送りつつ右手を上げていると、誰かに肩を叩かれる。

 ふわっと煙の匂い。

 嫌いだったけど、今は嫌いになり切れない香り。

 勢いよく振り返ると、そこには蓮がいた。でもいつもの飄々とした顔とは違い、ぼうっと私のことを見ていた。上から下まで一通り見られ、私は若干の恥ずかしさに縮こまっていると、やっと蓮は口を開く。

「悪い、浴衣着てくるとは思わなくってさ」

 その言葉を聞き、よくよく考えれば彼女でもない女子が浴衣で来るなんて、普通しないのかもしれない。勧められたとはいえ浮かれすぎていたことに気づかされ、恥ずかしさのあまり俯いてしまう。けど彼は屈んで視界に入ってきた。

「可愛くてびっくりした」

 私の目を見て囁き、「ありがと」とまた目をそらすことしかできなかった。「行くぞ」と私の肩に触れ、前を歩く彼の隣まで追いつく。すると彼は大きく伸びをしながら、にっと唇の端を上げる。

「手え¥を上げてる間抜けな姿見て、茶化そうと思ってたのに失敗したなー」

 あれはやっぱ意地悪だったんだ、と思いながらも、可愛いと言われたことで胸がいっぱいでどうでも良くなってしまう。それでも体裁的に「最低」とだけ言っておいた。

「そういえば、浴衣着てる女子と初めて遊ぶかもな」

「え、そうなの?」

「みんなミニスカばっかだったし、そもそもガチってくる人あんまいなくない?」

 確かに言う通りかもしれないけど、蓮くらいモテる人だったら浴衣でアピールしてくる人もいるのではないか、と思っていたけど違うらしい。さっきから気づいていたけど、浴衣を着ている人はほとんどいない。もしかして蓮に恥ずかしい思いをさせているのではないか、と今さら心配になってきた。

「でもまあ、風情が合って良いよな」

 けど、そんな心配も払拭するように彼は微笑んでくれて、私もつい笑顔になってしまう。

 蓮は風情を楽しめるタイプらしい。そういうのを面倒に感じる人も多いから、意外な一面だった。学校行事も張り切るのかなと、と想像してみたけどすぐにないなと思い直した。それならまず学校にちゃんと来るだろうし。

 開始まで時間もあり、私たちは屋台を回ることにした。その道中に男性で浴衣を着ている人を見かけて、横にいる蓮の服装に目をやる。

 タンクトップにYシャツを羽織り、白いストライプの入ったワイドスラックス。裾が長く地面に擦りそうでだらしなく見えそうだけど、ローファーを履き、全身ブラックだから素人目にもきれいにまとまって見える。ネックレスやリングなどゴツゴツしたシルバーのアクセサリーも彼らしく、とても似合っていた。

 初めて私服を見たけど、SNSに載っている人たちみたいにおしゃれ。すれ違う女子はもちろんのこと、男子も蓮をチラチラと見ていて、改めて彼と花火を見に来ているのがすごい状況なんだなと実感させられる。

 だからこそ、つい蓮の浴衣姿を想像してしまった。髪を結んで、黒やグレーの浴衣を着たら絶対似合うんだろうな、とぼうっとしていたら蓮と目が合ってしまう。

「蓮は浴衣着ないの?」

 慌ててとっさに聞いてしまうと、蓮は首を傾げる。

「着たことない。興味はあるけど」

「そうなんだ。似合いそうなのに」

「まあな」

 ドヤ顔とかではなく表情を変えずあっさりと言った。言われ慣れているんだろうなということが伝わってくる。

「小さい頃とかも着なかった? 親ってそういうの着させたがるし」

「ない」

 きっぱりと言われ、「そっか」としか返せなかった。受け流すような感じではなく、押し返すように強い口調だった。蓮が息子だったら、たぶん色々おめかししたくなるなと思って聞いてみたけど、どうやら彼にとっては地雷だったよう。理由は分からないけど、これ以上話題に出すことはもうやめようと決めた。

 何か他の話題がないかと辺りを見渡していると、かき氷の屋台が目に入る。

「かき氷食べない?」

「いいよ」

「蓮は何味が好き?」

「ブルーハワイかな。何味かよくわかんないけど」

「わかんないのに好きなんだ」

「青好きだから。耀は?」

「私はイチゴかなー」

「いいじゃん、可愛らしくて」

「馬鹿にしてる?」

「してないしてない」

 おどけて言う彼に文句を言いつつ順番が着て、私がまとめて蓮の分も買う。この前のゲームセンターのお礼と伝えると、笑顔で受け取ってくれた。

 一口食べると、キーンと来て頭を抑える。こうなることが分かっていても、やっぱり食べたくなるから私はかき氷がかなり好きなんだろう。歩きながら食べて冷たさにも慣れてきたころ、蓮に肩を叩かれる。振り向くと、べぇっと舌を出していた。

「色やばい?」

「やばいけど、なんか子どもみたい」

「童心を大事にしてんだよ」

 何それ、と思いながらも私は笑っていた。いつもよりはしゃいでいるのが伝わってきて、ちょっとだけ可愛いなと思ってしまった。男子を可愛いと思う感覚が初めてで、何だかくすぐったい。

 そろそろ花火も始まるということもあり、近くまで行くことになった。その前に焼きそば食べたいなって周囲を探していると、私はふと目を止めてしまう。

 喧噪の中、頭一つ抜けて高い身長。短丈のTシャツが彼女のスタイルを引き立たせ、ワイドデニムの武骨さ、そしてくっきりとした目鼻立ちが視線を誘う。

 横顔が見えただけなのに、それが凜なのだとわかってしまう。今年もバスケ部のみんなと一緒にいて、私の元居場所。私がいなくても楽しそうに笑っていた。私なんかいなくても良いみたいに。そういうことではない。頭でわかっていても、苦しくて。唇を噛みしめていたのか、血の味がした。

 もう、あそこには戻れないんだ。

 ポニーテールが揺れ、こちらを振り向きそうになる。そこで私はそっぽを向き、急いでその場から離れる。浴衣で上手く歩けないけど、なるべく急いで足を進めていると肩を誰かに掴まれる。とっさにその手を払ってしまう。でもそこにいるのは凛ではなく、額の汗を拭う蓮だった。

「どうしたんだよいきなり」

「……なんでもない」

 そう言ってまた私は歩きだそうとすると、足に痛みが走る。鼻緒ずれしていて、それでも引きずりながら足を進める。

「待てって。絆創膏とか持ってないのかよ」

「持ってるけど」

「なら貸せ」

 絆創膏を渡せば、屈んで足を持ち上げながら貼ってくれて、肩まで貸してくれた。歩けるか聞かれて頷くも、一歩動かしただけでも痛みが走り、眉間に皺が寄ってしまう。すると彼は肩から手を外す。呆れて見捨てられるかな、と落ち込みそうになったところで、彼に抱きかかえられる。いつの間にか彼の顔が目の前にあり、呆然と固まっていると、彼はふわっと目を細めた。

「ちゃんと掴まってろよ」

 お姫様抱っこされ、喧噪から離れた場所へと運んでくれる。首に手を回し、彼の胸元に顔を寄せることしかできない。僅かに残る煙草の匂いと一緒に、柔軟剤の香り。せっけんの香りで、彼のいつもの匂いと混ざって優しく包んでくれていた。

 それなのに、煙草の匂いを探し嗅いでいた。嫌な臭いのはずなのに求めてしまうのは、彼を感じることができるからだろうか。

 目頭が熱くなるけど、喉元に力を込めて必死に堪える。これ以上彼に面倒をかけたくなかった。

「着いたぞ」

 胸元から顔を上げると、連れて来てくれたのは公園だった。子どもが一斉に滑れそうなくらい横に広い滑り台と砂場があり、蓮は階段を上り、滑り台の上で私を下してくれた。その隣に蓮も座り「あっつ」とシャツを脱いだ。

「ごめん、重かったよね」

「いや? 一応鍛えてるし」

 腕に力を入れ、筋肉を見せてくる。すらっとしているから分からなかったけど、ちゃんと筋肉が膨らんでいて、体感男子バスケ部くらいある気がした。

 水を買ってくると自販機まで行き、私の分まで渡してくれた。運んでもらった上にこれは申し訳なくてお金を渡そうとするけど、さっきのかき氷の分、と断られてしまった。喉が渇いていたのか、蓮は半分ほど一気に飲んで「生き返るー」と声を漏らす。よく見ると汗をだいぶかいていて、余計に申し訳なさが膨らむ。

「ここさ、花火大会の時によく母さんと来てたんだ」

「そうなんだ。穴場スポットなの?」

「いや、そんなことはないんじゃない? 会場の方が良く見えるし。どちらかというと節約かな」

「節約?」

「祭りの屋台って高いじゃん? それなのに俺が駄々こねたから、少し離れたこの公園に連れて来てたんだと思う。まあ、代わりにスーパーで買ったグミとかジュース持ってきてくれてたけど」

 懐かしそうに笑みを浮かべて話していて、私は相槌を打つことしかできなかった。祭りなんだから買ってくれればいいのに、と子どもながらに思ってしまうけど、それぞれの家庭事情があるわけで、安易に口に出すことはできなかった。何より、笑顔で話す蓮にとって良い思い出に違いないのだから。

 そこで何となく、蓮がかき氷で上機嫌だった理由が分かり、私の勝手な行動で邪魔してしまったことに罪悪感が湧いてくる。本当に私って駄目だな、と視線が下がる。

 すると、頭上から花火の音。地面がやんわり照らされ、それすら眩しくて目を閉じてしまいたくなる。けど蓮に肩を抱かれ、思わず顔を上げてしまう。笑みを浮かべ、私を見つめながら頭を撫でてくれた。

「花火見ようぜ」

 そう言って彼はまた花火を見上げ、私もそれに習うように顔を上げた。

 花火が上がり、放射状に火花が飛び散る。赤色、黄色、円状、柳状と様々な種類が打ち上がるけど、段々ぼやけて光っていることしか分からなくなる。拭っても拭っても変わらなくて、それでも私は花火を見続けた。ここで変に俯いてしまった方が、彼に気づかれてしまうから。これ以上彼の楽しみを邪魔したくなかった。

 花火が全て打ち上がると、彼は寝転がる。横目で見ると、彼は目を伏せていた。

「きれいだったな」

「うん、きれいだった」

「久しぶりにここで見たけど、静かだし案外悪くないな」

「そうだね」

「耀って元々バスケ部だったんだろ?」

「そうだけど、どうして知ってるの?」

「ちょくちょくバスケ部のジャージ来てるところ見たことあるし。さっきいた長身の女子ともよく一緒にいたじゃん」

 よく一緒にいる長身の女子は間違いなく凛のことだろう。そこでようやく、私を知っている理由が腑に落ちた。

「凛は校内じゃ有名だから、近くにいればバスケ部って分かるよね」

 あくまで私はおまけみたいな存在。つい苦笑いになってしまうと、蓮はうーんと唸りながら体を起こす。

「それもあるけど、耀のこと覚えてたのは自主練してるところを見てからだな。補講サボってるとき体育館で見かけてさ、そこまで打ち込めるなんてすごいなって思ったし」

「……みんなやってることだよ」

「そうかもしれないけど、俺にとっては印象的だった。かっこよく映っちゃったんだよ」

「頑張ってたんだけどね、自分なり。でもメンバーに選ばれなくて、けっきょくやめちゃったし意味ないよ」

「俺は大して努力したこともないし、共感するのもおこがましいと思うけどさ、だからこそ努力できるってすごいことなんじゃねぇの? テスト前にコツコツ勉強できて、バイトも熱心に取り組めて、そんで他にやりたいことができた時、きっと耀はまた頑張れるよ」

 いつまでも卑屈な言いぐさの私に、蓮は包み込むように上書きしてくれる。こっちを見てくれている彼に、やっと目を合わせることができる。

「でも、それでまたやめたくなったら?」

「そしたらまた逃げて、俺のところに来ればいい。話ならいつでも聞けるし」

「でも、それって逃げ癖ついちゃうよ」

「良いじゃん、死ぬわけじゃないんだから。そしたらまた他に探せばいいし、何とかなるさ」

 軽い口調で言われ、ちょっと前の私だったらすごくムカつくんだろうなって思う。でも今はこの言葉が心を軽くしてくれて、自然と表情が緩んでしまう。

 私があのまま頑張り続けていれば、もしかしたら好転してメンバーに入れていたかもしれないし、いつまでも選ばれず引退していたかもしれない。それでも凛との関係は変わらず続いていたに違いない。

 でも、蓮と出会うことはなかったんだと思う。

 こういうのを運命っていうのかな。

 思い浮かべるだけでドキドキしてしまう、この感情も知らずに卒業していたんだろう。

 それでも悔しいことに変わりなく、たらればだけど、本当はもっと頑張れたんじゃないかという思いも残っている。そんな話を蓮は聞いてくれると言っていて、躊躇いながらも、決壊するように言葉が漏れる。

 凛は中学二年から部活を始めた。高校に入学したばかりのころはまだ上手くはなくて、私から色々教えてあげてたんだけど、どんどん身長も伸びて、バスケも私より上手くなって、天才ってこういう人のことを言うんだなって思った。でもそれだけじゃなくて、私自身が幾ら練習しても上達しなくなって、段々周りと差が開いて、ついには着いていけなくなって、心が折れちゃった。

 頑張ってたのにな、私。どうしてこうなっちゃったんだろ。こんな惨めな思いをするなら、最初からバスケなんてやらなければよかった。頑張ったからこそ、悔しくてしょうがない。

 でも何より、バスケを楽しくないと感じてしまった。周りよりも練習しようと思ったのも、上手くなればまた楽しくなるんじゃないかと思ったから。でも義務感で練習したところで結果には繋がらなくて、苦しんで、それなのに必死に努力して。悪循環から抜け出したくて仕方がなかった。

 そう、ぶつけるように言葉を吐き出す。蓮はずっと相槌を打ちながら、ちゃんとこっちを向いてくれた。涙が零れ、嗚咽交じりの声は、もはや何て言っているか分からなかっただろう。

 それでも、私の中ではしっかりと反芻できた。ずっと心に言い聞かせてはいたけど、ようやく私にとって必要なことだったんだと、わだかまりを嚙み砕けたような気がする。

 だからもう、怯えなくても良いのかもしれない。

 私は涙を拭い、顔を上げる。といってもひどい顔をしているだろうから、そっぽは向いているけど。

「もう、大丈夫。今度、ちゃんと、話してみる、よ」

 はっきりと言葉にしようとしたつもりだけど、声は震えてしまって、涙は未だに頬を伝っていく。ああ、笑われるかな。そう思って横目で見るけど、彼は切れ長の目を柔らかに細め微笑んでいた。

「強いな、耀は」

 優しく私の頭を撫でてくれて、温かくて、それにもっと近づきたくて。そっと、彼の肩に頭を乗せていた。頬と肩から体温を感じて、胸の音は早くなるのに不思議と落ち着く。すると蓮は私の肩を抱き、濡れた目元を優しく拭う。ぼやけた視界が晴れ、じっと見つめてくる瞳と視線が絡む。

 さっきとは違い、鋭い眼差し。魅入ってしまう。街灯が反射し、夜空に浮かぶ火花のようにギラギラ眩しくて。

 顔にかかる髪をかき上げながら、辿るようにそのまま頬に手をそえられ、彼の唇が目の前まで迫る。どこに意識を向けて良いか分からず、とにかく彼の瞳を見つめることしかできない。吐息がかかる距離に、おもわずぎゅっと目を瞑る。

 けどそこで蓮は「やべ」と囁き、直前でそらしては胸元に抱き寄せられる。ファーストキス奪われるところだった、と危機感を抱きながらも、奪ってくれても良かったのに、という矛盾した思いも湧いてくる。

 いつも仄かに染みついていた甘い香水や煙草の匂いではなく、柔軟剤の香り。その匂いに抱かれながらずっと頭を撫でてくれて、私は安心して身を任せていた。

 落ち着くのに、ドキドキして、蓮の言動一つで心動かされてしまう。さっきのキス未遂だってそう。動けなかったんじゃなくて、本当は受け入れていただけ。彼となら、という下心を彼の責任にしようとしたずるい行動だった。

 これはもう、認めるしかない。

 私は、蓮が好き。

 もっと強く彼にくっつく。でも彼から戸惑いの様子は感じず、応えるように背中に回る手へ力がこめられる。

 自覚した途端にもっと愛おしくなり、好きって叫びたくなる。一生このままくっついていられれば良いのに。

 馬鹿みたいに、歯止めが利かなくなるのを感じる。

 高校二年の夏、それが恋なんだと私は初めて知った。

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