配達先のおばあちゃん
古木花園
配達中の出来事
軽バンを走らせて個宅への配達中、配達先の沖野さんの表札を見つけ車を脇に止める。
外を出るとセミが五月蝿く鳴いていた。
「〇〇会社ですー。沖野さん宛にお荷物でーす」
玄関先でチャイムを鳴らしても、反応はなかった。数度押しても同じだ。仕方なく不在票を書こうとした時だった。
――おーい。
かすれた、おばあちゃんの声が中から響いた。
「おーい、とりにいけんから上がってきてくれや」
思わず顔を上げる。どうやら二階からの声だ。玄関は開いている。重い荷物にうんざりしていたが、本人が家にいるのなら仕方ないと足を踏み入れた。
「ここに置きますねー」
「そこはあかん。上に持ってきてくれや」
なんだよと内心思いつつも、要求に従い階段を探す。足を踏み入れてすぐに気づいた。家の中は異常に汚れ、埃と生ゴミが散乱している。鼻をつく悪臭。嫌な予感を覚えながら、荷物を担いで狭い階段を上がる。
階段を上がり切る頃には、臭いがさらに濃くなっていた。鼻が曲がりそうなほどの糞尿と腐敗の臭い。汗がにじみ、早く帰りたい一心で荷物を抱え直した。
二階の薄暗がり。そこに、ぎょろりと目玉だけが浮かぶようにしてこちらを睨む老婆がいた。
皺だらけの顔を歪め、般若の面のような憤怒の表情。それでも下半身は痩せ細り、座ったまま動けない様子だった。
「こ、こんにちわ。荷物ここでいいですか?」
「そこでええ」
荷物を下ろすと、肩にずしりとした疲れが落ちた。礼を言い、早く帰ろうと振り返ると――
「まち」
老婆の手がこちらを制した。
「暑かったろ。飲み物でもあげるさかい」
よろよろと立ち上がり、杖を突きながら冷蔵庫へ。必死に「いえ、大丈夫ですから!」と声をかけたが、耳に届かない。
やがて差し出されたのは、ラベルのないペットボトル。中身は濁った液体――茶色とも緑ともつかない、異様な色。
「飲み」
濁声とともに、突き出された。老婆の目が爛々と光り、笑っているのか怒っているのか判別できぬ歪んだ口元。その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
手に持った不在票が、ふと視界に入る。そこに書かれた宛名――
『沖野 ○○ 様(ご逝去)』
数週間前に亡くなったと、赤字で追記されていた。そんなところは書いた覚えがない。
振り返れば、そこにいたはずの老婆の姿は消えていた。残されたのは濁った液体のボトルだけ。
それでも――背後からは、たしかに声がする。
「……はよ、飲み……」
怖くなって急いで駆け下りた。
慌てて軽バンに乗り、シートベルトも締めぬまま飛び出したが、ハンドルを持ちながらバックミラー越しになにもいないか確認した。
ふぅと息をつき、汗がダラダラと零れ落ちた。
一息つきたい。そう思ったときには近くにあった"水"を飲み込んでいたのだ。
「うげっ」
嫌な舌触りがその"水"が先ほど渡された物だと気付く、異様な吐き気に襲われた時、ハンドルはあらぬ方向に曲がっていく、そして轟音とともに軽バンはひっくり返った。
それからは病院で聞いた話だが、俺はひっくり返った軽バンから飛び出て地面にぶっ倒れていたらしい。シートベルトをしていなかったからだろう。
頭が割れて、血だらけだったらしいがなんとか一命を取り留めた。
不幸中の幸いではあるが誰も巻き込まず単独事故であったことだ。
あのおばあちゃんから貰った水はなんだったのか、おばあちゃんは本当にいたのか、そんなことは分からないままだったが、分かるのは病室の窓から外を覗くとあの般若の形相がこちらを見ていることだけだ…
配達先のおばあちゃん 古木花園 @huruki_hanazono
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