黒糖の雨、裾に降る

れっさー

第1話

朝、店の前でズボンの裾を引きずりながら立っていた。


靴先に少しの埃と、昨日買ったかりんとうのかけらがくっついている。


「ああ、またやった」


誰に言うでもなくつぶやいた。自分の不器用さに苦笑するだけだった。



店内には、まだ温かいかりんとうの香ばしい匂いが漂っていた。


袋を開けると、黒糖の色とつやが目に映り、指先に少しだけ粉が残る。


それをつまんで口に運ぶ。甘さと少しの焦げの香りが、朝のぼんやりした思考を引き締めた。



ズボンの裾にくっついたかりんとうの欠片を見る。


「君はここに残るのが好きなんだね」


自分に話しかけるように言って、手でそっと払う。


だけど、またすぐに落ちている。擦れた布と砂糖の粉が、小さな日常の記憶を留めているようで、ちょっと嬉しかった。



歩きながら考える。


ズボンは私を包むもの、かりんとうは私の選んだ小さな幸福。


どちらも、体に触れる形でしか存在を感じられない。


気づかないうちに、日々の時間はこの二つを通して体験されるのかもしれない。



午後。公園のベンチでズボンをまくり上げ、足首を日差しに晒す。


かりんとうの残りを小袋から出す。手に取ると、昨日と同じ匂い、同じ感触。


一口かじるたび、思考の粒子が踊る。小さな喜びが、身体の隅々まで行き渡る。



夕暮れ。ズボンの裾を洗濯機に放り込み、かりんとうの袋は机の上に置く。


どちらも、今日という一日を留める小さな印だった。


布と甘味、外と内、触れるものと味わうもの。世界はこうして、日常のさざなみの中で形作られる。



寝る前、机のかりんとうを一つだけ摘まむ。


ズボンの裾に残った粉のことを思い出す。


「些細なことに、意味がある」


そう笑って呟く。甘さが口の中で溶けると、今日のすべてが柔らかく収まった気がした。

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