第10話
※ ※ ※
こんにちはー、そう言ってのれんをくぐったぼくを出迎えてくれたのは、みよこ伯母さんではなく、なぜか福岡にいるはずの、
みよこ伯母さんの一人娘で、ぼくのいとこの南子姉さん。
ぼくには何人かいとこがいるのだけれど、年が一番近いせいもあってか、小さい頃の思い出は、南子姉さんとのものが一番印象に残っている。
姉さんはぼくよりも三つ年上の、肌が白くて痩せているなかなかの美人さんだから、写真なんかで見れば一見きゃしゃで儚げなイメージこそするものの、実際は伯母さんを凌ぐほどの豪快な性格の上に、身長がぼくよりもなんと五センチも高い百八十センチもあるものだから、ヒールでも履かれて目の前に立たれたりすると、とんでもない迫力があったりする。親戚の集まりで会う度に姉さんに引き回されて、よく泣かされていたことを思い出す。
「おー、あんた、久しぶりじゃがあ」とぼくに気が付いた南子姉さんが、博多弁交じりの南部弁で言った。姉さんは白い三角巾と割烹着を身に着けていて、鶏飯をお客さんの席に運んでいる最中だった。けっこうな重さがあるに違いない一人前の鶏飯の載ったお盆を、なんら危なげなく両手に一枚ずつ持っていた。割烹着のサイズが明らかに一回り小さくて、仕事着と言うよりは、何かのコスプレのように見える。昼には時間がまだいくらか早いせいか、店内には壁沿いのテーブルに観光客らしき若い男女が一組着いているだけで、他には誰もいなかった。
「あれ、どうしてみっちゃんがここにいんの?」
ぼくが言うと、姉さんはこっちにぎゅっと首を捻ってあからさまに顔をしかめた。「どうしてってあんた、里帰りに決まっちょろうが」
はいお待たせしましたー。姉さんはアシュラマンのようにクルッと表情を変えて言いながら、お客さんの席にお盆を置いた。それから頼まれてもいないのに、鶏飯の食べ方をジェスチャー付きでちゃきちゃきと説明し始める。
南子姉さんは、地元の高校を卒業後、すぐに島を飛び出して、福岡の博多で大手の化粧品メーカーに販売員として就職し、二十一歳で結婚したものの、四年後にあえなく離婚している。その後二十七歳で再婚して退職、妊娠、出産し、専業主婦を四年間務めたのち、三十二歳で二度目の離婚を経験したあと、三十三歳になって一時帰郷したときに、ばったりとぼくに再会したのだ。
「あそっか。ってなんでみっちゃんが働いてるわけ? 伯母さんは?」
ぼくが訊くと南子姉さんは、そいがさー、と言って目の前にやって来て、ほとんど相撲の張り手でもするかのように、手のひらでぼくの肩をばっしばっしと叩いて巧みに奥のカウンター席に追い込みながら、声をひそめて話し始めた。
「なんや母さん、わたしが帰ってきた途端に蹴つまずいて、足くじいちゃってさー。で、仕方なく手伝わされとっとよ」
姉さんが言い終えるや否や、あんたが連絡もなしにいきなり帰ってくるからじゃろが! と怒ったように、でもどこか嬉しそうに言いながら、奥の調理場に続く小窓からみよこ伯母さんが顔を出した。なんと聞こえていたらしい。
「いらっしゃいじっくん。よう来たね。ゆっくりしていけばよかでね」
「はい。それよりも足の方、大丈夫なんですか?」
お客さんに申し訳なくて控えめに訊ねたのだけど、当然のように大声で伯母さんは返してきた。
「大丈夫大丈夫、そげんたいしたことなかで! あら、麻凪さんはけ?」
「それが、実は──」
姉さんが小さな怒鳴り声を上げた。「ちょっと母さん、ちゃーんと座っとらんとだめやろうが。あと声うるさい! お客さんに迷惑が!」
「はいはい、わかったっちよ」
伯母さんは半ば迷惑そうに、でもやっぱりどこか嬉しそうにそう言うと、もう一度ぼくに「ゆっくいしていけばよかでね!」と怒鳴ったあとに、しまった、という表情をしながら顔をひっこめた。
すみませんねーやかましくて。姉さんはお客さんにぺこりと頭を下げた。
「とこっで竺、あんたこそなんでここにおんのよ」
「いや、おれはほら、観光にさ」
「麻凪さんはね」
ぼくはとっさにごまかした。「ちょっといろいろとあってさ、麻凪は、明日来る予定なんだ」
「明日?」
「うん明日」ぼくは話を逸らすために、持っていたケーキの箱を差し出した。「これ、そこの店ので悪いんだけど、一応お土産」
姉さんは箱を受け取ると、中身を確認することなくカウンターの上に置いてから、割烹着のポケットに片手を入れた。その行為が引き金になって、姉さんが合気道の有段者なことや、結構な読書家だったことを思い出した。そう言えば一度など、奄美大島で有名らしい作家
「じゃあ、今日は暇なん?」
何か企んでいるとき特有の能面顏の姉さんを見上げてぼくは訊き返した。「なんで?」
「『暇』なん?」
「……まあ、かな」
「車は?」
「なんで?」
「『車』は?」
「……レンタカー借りてる、けど?」
姉さんはぼくをじっと能面顔で見下ろしたまま、なぜか後ろ向きのままにすすすっと歩いて行って、無言で調理場の奥へと消えていった。
「……」
と思ったらすぐに巻き戻しでもするように同じ格好で戻ってきたのだけど、そのやたらと長い脛の前には、一人の男の子が立っていた。緑色のニューヨークヤンキースのキャップを被って、黄色いリュックサックを背負った、六歳くらいの色白の男の子だった。帽子と同じ緑色の半袖つなぎを身に着けていて、しかめっ面で夢中になってニンテンドー3DSでゲームをやり続けている。彼は確か、南子姉さんの一人息子の──
「……えっと、
「はいいらっしゃい!」姉さんはがばと入口の方を振り向いた。
見ると、ガイドブックを手にした四人の女性が入って来たところで、姉さんに店の名前を訊ね始めた。
と。姉さんがお客さんの方へ移動した、次の瞬間のことだった。
それまで姉さんが立っていた一歩分後ろの場所に、三太君と同い年くらいの、にかにかと笑う女の子が立っていた。小麦色の肌をした、髪の毛の短い、赤白ボーダーの半袖Tシャツと白い半ズボンを身に着ている、元気いっぱいという感じの女の子だった。彼女はぼくを見ると、見つかっちゃった、とでもいうような顔で、目をぎゅっとつぶっていーっと笑い、身体をちょっとだけくの字に曲げた。
「友だち?」
ぼくが訊ねると、三太君はゲームをやり続けながら、くん、と横に首を振った。そうすると、親戚の子かもしれない。女の子がジャンプするように三太君の隣りに移動して、興味しんしんな顔で3DSの画面を覗き込み始める。三太君は女の子が見やすいようにか、画面を少しだけ横にずらした。
水の準備をしながら姉さんが言った。
「竺、悪いけどあんた、三太遊びに連れてってくれない?」
「どこに?」
「カケロマジマってあるでしょ? 昔二人でガジュマルの大木見に行ったとこ。あそこに連れてってほしいんよ。木も見たいらしいけど、それ以上にむっちゃフェリーに乗りたいらしいんよね、この子」
とそのとき、じっくんは船が苦手みたいやっど! と調理場の奥から伯母さんの声が飛んできた。やっぱりまた聞こえてたんだ、と思ったぼくに姉さんが言った。「嘘、あんた、そうだったっけ?」
「まあ、最近ちょっとね」
──瞬間、ほんの一、二秒だったけど、確かに三太君が顔を上げ、熱い視線でぼくを見た。クールを装っているけれど、内心ぼくの答えが気になって仕方ないのだろう。女の子に限っては、三太君と一緒に顔を上げたあとも、今も尚、子犬のようにいたいけな瞳で真っ直ぐにぼくを見上げている。
二つの真摯なまなざしに降参してぼくは言った。
「でもまあ、大丈夫だよ。乗ってる時間は、そんなに長くなかったよね?」
「二十分くらいやったんじゃない? 行き方はわかっとる?」
「カーナビあるから大丈夫。うん、いいよ。天気もいいし、フェリーに乗るには、うってつけの日だろうからね」
直後、女の子がにかっと笑って、三太君がまたちらりと熱い視線でぼくを見た。
「だって三太。よかったねー」
水を持って遠ざかる姉さんの背中を見やりながら、しょうがない、二人をカケロマジマに連れてってやるか、と改めてぼくは思った。帰るのが明日になったところで、どうせ問題はないからだ。それに実を言うと、このまま帰らないですむきっかけを探していたということもあった。
注文を取り終えた姉さんが厨房へ戻りがてらに声をかける。「それよりあんた、鶏飯食べていくんよね?」
「そのつもりで来たけど、」
と、そこでまた新しいお客さんが入って来た。
「でもいいよ、帰って来てからで」ぼくは言った。「子供たちはもう食べてんだよね?」
はいいらっしゃい! 姉さんはお客さんにそう言ったあと、慌ただしくぼくの質問に答える。「食べとうよ。あんた、ほんとによかと?」
「大丈夫、まだそんなお腹減ってないし」
姉さんはすばやく調理場の奥に消えると、手にしていた一万円札をぼくに握らせた。
「だったら途中これでなんか食べんさい。二人のフェリー代と、ガソリン代もここから出してよかから」
「うんわかった」
「何かあったらメールして。番号変わっとらんから。フェリーの時間は、それ参考にすればよかけん」
見ると、お札の下にはメモ用紙が重なっていて、そこには姉さん特有の端正な筆跡で、フェリーの時刻を含むスケジュールが書かれていた。
と、そこでまた新しいお客さんが入って来た。手伝った方がいいだろうかと思ったけれど、なんとか大丈夫そうだったし、姉さんもこの上なく張り切っているみたいだから、やめておくことにした。ぼくはこっちを気にしながらもゲームをしている子供たちの前に屈み込むと、とりあえず行こっか、と言った。三太君は画面を見たままでこっくりと頷いて、女の子はまた目をぎゅっとつぶって歯を見せながら、いーっと笑った。
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