第9話

 ※


 このことは、おそらくもうご存知かもしれませんが、わたしと兄は、当時、養護施設に入っていました。孤児というわけではないのですが、母親が育児放棄をしたために、兄が十歳、わたしが五歳の頃に、施設に入ることになったのです。父親のことはわかりません。もの心が付いた頃には、もういませんでした。こんなことを言ってわたしは何も、酌量を求めているわけではありません。いえ、すみません。実を言うと、それはあるのかもしれません。いえ違いますね。正直に告白します。これは、『そのための』手紙です。わたしは、稀代さん方に、兄のことを許してやって欲しいのです。けれどももちろん、兄のやってしまったことを許して欲しいとは思っていません。兄がやってしまったことは、決して取り返しのつかないことなのですから……。ただ、彼の存在だけは、どうか許してやって欲しいのです。そして、わたしの存在も。そう思いながら、今、この手紙を書いています。

 そのためにもわたしは、かつての兄とわたしの身に起こったことを、ここに書き記そうと思います。憶えている限りのすべてを。なんら粉飾しようとすることなく。稀代さん方に、わかってもらうために。限りなく勝手なことだとは承知しているのですが、どうしても、その想いを抑えることができません。わたしは、誰かに存在を否定されながら、この先生きてゆく自信がないからです。本当に勝手なことだってわかってはいるのだけど……


 先ほども書いた通り、兄が十歳、わたしが五歳の頃に、わたしたち兄妹は、施設に入りました。正確に言うと、入らされたのです。わたしはその日と、その三ヶ月前後の日々のことを、とてもよく憶えています。そしてそれが、わたしの持っている、一番古い記憶です。

 その頃わたしたちが住んでいたのは、公営の、古い団地でした。そしてその部屋は、ひどく散らかっていました。居間の鴨居にぶら下がっている三つの洗濯干しには、衣類が常に干されていて、台所の流しには、使い終わった食器が乱雑に積まれ、部屋の床全体に、ゴミの入った大小の白や茶色のレジ袋が、汚れた衣類や日用品などの雑多な品物と、まったく区別されることなくして、わたしの背丈ほどにうずたかく積まれているような状態です。部屋は全部で四部屋あったのですが、四部屋ともが、同様の状態でした。洗面所を兼ねた脱衣所までもが袋やがらくたで溢れ、浴槽の中にまで、それらが放り込まれているような有様です。そのためトイレのドアは、ずっと開けっ放しにされていました。溢れているゴミのために、開閉が難しくなっていたからです。ただ、テレビの置いてある居間だけが、比較的ゴミが少なく、意識的に片付けられていて、その中央にぽっかりと開いている、まるで壊れたスポットライトでも当てたかのような、二畳ほどのいびつな丸い空間と、その部屋の隣りの、寝室の隅に置いてある二段ベッドの上だけが、わたしたちの生活するスペースでした。そこからどこへ行くにも、ゴミの上を踏まなければ行くことができません。

 母親が仕事にでかけ、兄が学校に行っている間、わたしはその小さなスペースで、一人遊んで過ごしました。アニメのビデオを繰り返し流しながら、人形と話すのです。やがて二人が帰って来ると、その場所でテレビを観ながら、全員で食事を摂りました。母親はスーパーマーケットの調理場で働いておりましたので、食事はほぼ決まって、彼女の持ち帰ってくる、売れ残った総菜や弁当の類でした。そして夜になると、母親は二段ベッドの上の段に、兄とわたしは、下の段で眠りました。

 信じられないかもしれませんが、そのときのわたしは、幸せでした。母親と兄はどう思っていたのかわかりませんが、わたしは、幸せだったのです。少なくとも不幸だと思ったことは、一度としてありません。生活自体は貧しかったようですが、食事に不自由することがなかったために、そのような意識もありません。惣菜や弁当と共に、母親がプリンやケーキなどのデザート類を、必ず持ち帰ってきてくれていたので、我が家はお金持ちなんだと思っていたほどでした。保育園に行かされていないことも、その存在さえ知らず、家にいることが当たり前だと思っていましたので、何ら疑問は湧きませんでした。部屋中がゴミで溢れていることも同じです。入浴も三、四日に一度、母親にシャワーを浴びさせてもらうだけだったのですが、それもそういうものだと思っていたので、特には何も思いません。わたしがいろいろと思うようになったのは、長い時間が過ぎ去ったあと、改めてその日々を振り返り、当時のわたしと同じ年頃の一般的な人間の生活と、自分のそれとを比べてみたときでした。ただ、そうは言っても、今でもそのときの自分を、心から不幸だったと思うことが、わたしにはできません。むしろそれは、その後に待っていた生活と比べると、確実に幸福な日々でした。それだけは断言できます。ですからその頃のことを思い出す度に、とても複雑な気持ちになってしまいます。

 そんな日々を繰り返すうちに、母親は、ぽつぽつと家を空けるようになりました。それまでと同じように、毎日一度、夕方には帰って来るのですが、その日の夜と、翌日分の食料を冷蔵庫に入れると、シャワーを浴びて、よそ行きの服に着替え、化粧をし直し、またすぐに出て行ってしまうのです。最近は仕事がとても忙しくなったというのがその理由でした。兄はともかく、わたしはその理由を、素直に信じていました。普段よりもきれいな母親を見ることができて、喜んでいたくらいです。

 当初、母親が帰って来ない夜は、一週間に一度ほどのペースだったのですが、二度三度と徐々に増えてゆき、ある日を境にして、ふっつりと帰って来なくなりました。

 ですがわたしは、施設に入ってから尚も、ずい分先になるまで、その事実を知りませんでした。兄が隠していたからです。兄は、母親は遠くで仕事をするようになったから、あまり帰って来ることができないのだけど、でも時々わたしが眠ったあとに、実は帰って来ているのだと、嘘を吐いていたのです。兄は母親が出て行ってしまったことを、わたしに隠そうとしてくれていたようです。あるいは、自分でその事実を信じたくはなかったのかもしれません。いずれにせよ兄は、学校からの帰りに、わたしの好きだった銘柄のお菓子やジュース類を、時おり持って帰ってきては、昨夜母親が置いていってくれたお金で買ってきたと言って、食べさせてくれました。わたしはその度に、一体なぜ起こしてくれなかったのだと、泣いて兄を責めました。兄は困ったように笑いながら、何度起こしてもわたしが起きなかったからだと、毎回我慢強く嘘を吐いてくれました。

 わたしは、表面的には、兄の言葉を信じて疑ってなどはいなかったのですが、心の奥底では、母親が帰って来てはいないということを、わかっていました。そのことを証明するかのように、以来わたしは、それまでまったく恐れていなかった、室内にて目にする虫や、小さな生き物たちを、自分でも不思議なくらい恐れるようになりました。家に一人でいるのが嫌で、学校へ行こうとする兄を、毎朝泣いて引き止めていたことを憶えています。ですが兄が学校へ行かないと、食事をすることができません。兄がこっそりと持って帰ってきてくれる、給食のパンやおかずが、いつからかわたしの、大事な食料源になっていたからです。母親は出てゆく前に、いくらかのお金を残してくれていったようでしたが、それほど多くの額を、残していったわけではなかったのです。

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